子供時代をエホバの証人として育った方より−エホバの証人の裁判の権利

(5-16-98)

はじめまして、
私は母がエホバの証人で私自身も幼いころから研究をし、伝道もしていました。
高校生になったころ真剣にバプテスマを受けようと考えたこともありました。
現在は大学院で情報処理の勉強をしています。このページはエホバの証人の知り合い
から教えていただきました。

  私は、結局のところ今はエホバの証人とは何の関わりもありませんが、小学校、中
学校、高校と一切の行事、格闘が含まれる体育の授業等に参加しませんでした。その
時はそれが神を賛美していることと信じていたからです。また、どんな病気のときも
集会はかかさず出ていました。その時はそれで何の疑問も持っていませんでした。
  しかし、進学を考えたときに、世の教えを勉強しに行くみたいなことをいわれ、
「長老」や「巡回監督」から「助言」を何度も受け、そのあたりから参加しなくなり
ました。(「世の中」に出て行くといかに組織がだらしないかが分かり戻る気も無く
しました。たぶん、こうなるから大学を世の教えというのですね。) 最近では結構
教えも変わってきてるみたいですね。でも、高校を途中で止めた人がどうして大学の
教授を教えることができると考えたのか今でも不思議に思います。

一つだけ疑問を持ったのでメールさせていただきました。

  裁判についてですが、「事物の体制」を受け入れるが参加はしない− これは、裁
判に頼るのはおかしい、これは、そのとおりだと思います。しかし、キリストも裁判
を受けたことを考えるとエホバの証人も裁判を受ける権利があるとも考えられるので
はないでしょうか?

  いろいろな意見がありますが、20年間勉強してきた中で「山上の垂訓」が一番大事
であり今でも私自身大切な教えだと認識しています。これは、ほかのキリスト教でも
同じ事なのではないでしょうか?
  また、信仰というのは人それぞれによって違い(パウロなどいい例ですね。)強制
力を持つものではなく、神もそれを認めてくれているのに組織は均一化を図っていま
すね。

  このページは大変面白く読ませていただきました。ありがとうございます。
(muramotoさんは背教者ではないといっていますが、組織のいう背教者の基準とは違
うと思いまよ。)

《編集者より》
子供時代にエホバの証人として育った方(いわゆる「二世」)の中には、特に組織に対する鋭い洞察を身につける方がいますが、あなたもそのお一人であるとお見受けします。大学教育の問題、信者の均一化の問題などは、非常に的を得た見方と思います。

私も、エホバの証人にも憲法で定められた、公平な裁判を受ける権利はあると思います。問題は権利の有無ではなく、論理の矛盾なのです。今の裁判は、イエスの時代のローマ帝国の独裁者が勝手に任命した裁判官によって裁かれるのとは違い、民主主義に基づいて選出された政治体制の中でわれわれが作った法と、われわれが選出した裁判官によって裁かれるのです。もしエホバの証人が自分たちの権利を裁判に訴えて守ろうとするのなら、なぜ自分たちはその裁判制度の根幹である民主的な選挙を通じて、政治に参加し裁判制度を擁護する働きに貢献しないのでしょうか。逆に言えば、もし「この世」の政治体制をそれだけ軽蔑して避けるのなら、裁判による自分たちの擁護も避けるべきではないでしょうか。これはエホバの証人が警察の全面的な保護を得ながら、その一方で警察力を否定し、エホバの証人になるなら直ちに警察官を辞職しなければならないという矛盾と似ているでしょう。もし自分たちがそれだけ警察力に依存するのであれば、それに自分達も協力するのが当然でしょう。「自分のして欲しいと思うことを人にもする」、これがキリスト教徒の原則ではないでしょうか。

私は組織のいう背教者の基準にはあいません。しかし、これだけ公然と組織を批判している限り、組織は私を背教者と同様に扱うでしょう。