ごく最近までエホバの証人伝道者であった方の指摘する具体的な「悪」

(3-18-97)

拝啓

初めまして。このページを書いていらっしゃる村本さんに敬意と感謝を捧げます。
こうした公の場にお便りすることは自分の恥をさらすようで情けない思いですが、3ー10投稿の
Kさんのご意見に対して、私なりの考えを少し述べさせて下さい。

私はたった2週間ほど前まで、エホバの証人のバプテスマを受けてない伝道者という立場にありま
した。ひょんなきっかけからこの情報センターのページやリンクされているページを読んで、肝が
冷える思いをし、組織と決別する決心をしたのです。
私が組織と関った期間、夫は私を信じ、なにも言わずに見守ってくれていましたが、その心中は穏
やかではなかったと思います。夫は今となっても恨み言一つ言いませんので、「JWの夫たち」と
いう立場からの被害者意識については良く解りませんから、私が受けた被害(?)についてお話し
ます。

私はエホバの証人との研究を始める際、それは「聖書」を学びたいという強い欲求があったからで
す。小学生の時、三浦綾子さんの「氷点」を読んで以来の願いでした。だから「家庭で無料の聖書
研究をしませんか」と個別訪問で言われたとき、それに応じたのです。
その時以来ものみの塔発行のテキストに添って学んで行きました。「聖書を単独で読むと危険なの
です。独自の解釈をしていくうちに暗黒の状態になってしまいますから」と言われれば、もともと
聖書の知識のない私としては、エホバの証人の言うとうりにするしかありませんでした。(馬鹿だ
といわれればそれまでですが)そしていつの間にかマインドコントロールにまんまとはまり、組織
=エホバ(神)=絶対 の精神が培われていたのです。

インターネットによって、エホバの証人は聖書ではなく組織独自の教義を教えられている事、あま
つさえ組織は聖書を変えてしまっていることを知ったときの衝撃は忘れられません。
私は一番最初に、ものみの塔発行の新世界訳聖書を渡されてそれを使っていましたが、それは「聖
書を模倣して書かれたものみの塔の聖典」だったのです。
「エホバの証人の何が具体的に悪いのですか」ということに関して、家庭生活の破壊や輸血拒否に
よる幼児の死亡、社会生活への不参加などいろいろな意見があるでしょうが、私は「ものみの塔は
聖書と偽って聖書ではない物を伝え歩いている」ということを、声を大にして訴えたいと思います
。聖書を変えているのだから正直に「ものみの塔的聖書っぽい聖典」とかなんとか銘打てばいいじ
ゃあありませんか。ごたいそうに黒地に金で「聖書」と書くとはなんたる不正直でしょう!
彼らはまじめに聖書を学びたいと思っている人を騙しているのです。

・・・・こうしたことによって誰が得をしているのか、それは私にも解りません。だからと言って
、誰も得をしてないからといって、人を騙してよいことにはならないでしょう。
「ものみの塔的聖書っぽい聖典」を学びたいんだという人はそれは信教の自由ですからかまいませ
んが、そうでない人にとってはたまらないことです。
一番の被害者は、「ものみの塔的聖書っぽい聖典」を「聖書」だと信じ、組織の言葉を神の言葉と
信じ、組織の規則を神の律法と信じて、日々組織から課せられる膨大なノルマを忠実に果たしてい
るまじめな自称クリスチャンの方々と、そういうエホバの証人を親に持った子供達ではないでしょ
うか。

つい興奮して長々と書いてしまいました。私は最近新世界訳聖書を本箱の隅に押しやり、新改訳聖
書を読んでいます。(私の組織からの離脱を助けてくださった牧師様がプレゼントして下さったの
です!)ほんのちょっとの言葉の置換えで、意味が大きく変わっている部分がなんと多いことかと
改めて驚いています。いちばん初めに感謝を捧げますと書いたのは、このページを読まなかったら
今でも私は間違いに気づかなかっただろうと思うからです。
これだけの資料を集め、HTMLを作り、しかも本業はお医者様だとのことで、本当にご多忙な毎
日だと思います。どうかお体に気を付けてお過ごし下さい。
奥様とお嬢様が、村本さんの深い愛情によって、真実に気付かれる日がくることを信じてお祈りし
ています。

   敬具 

《編集者より》
ご丁寧なお便りを頂きありがとうございました。元統治体員のレイモンド・フランズはエホバの証人の最大の欠陥を次のように書いていますが、Tさんのおっしゃることと共通しているように思います。「本来神の一人子(イエス・キリスト)にのみ帰せられる権利と特典を、一つの人間の組織に横取りさせたことが、恐らく彼らの犯した最も重大な誤りでしょう。もう一つの誤りは、神とキリストとの個人的関係の真の感覚を個人の信者から奪い取り、純粋に人間のものである無数の規則、規定を課する結果、個人の良心の正しい行使を侵害したことが上げられます。この事態はマタイ15:9に記されたような、一世紀当時のパリサイ人のものと酷似した状況を生み出しているのです。彼らがその組織としての存在をあきらめない限り、その抜本的変革はありえないでしょう。キリスト教は兄弟愛であり、そうでなければならないのであって、中央の執行部に従属する体制化された社会ではないのです。」(詳細はレイモンド・フランズの伝記のページをお読み下さい) Tさんのような方が一人でもいらっしゃるだけで、私のこの活動は100%目的を達成できたと思っております。無数の苦労も一つの大きな喜びに代わります。どうかご主人と「新改訳聖書」を研究されて、私が私の家族で果たせなかった夢を実現して下さい。