「不定期なエホバの証人?」と「世の人」とのカップル―輸血問題など

(3-16-99)

初めまして。
某病院に勤める医療従事者です。
私は不定期でたまーに集会に顔を出す程度の証人とは言えないような人物です。
このメールは”世の人”である彼氏のコンピューターを借りて打っています。
私は二世ですが、医療職に携わっており、輸血の問題ではその見解がこじつけのように感じており、
信憑性に欠けると思っていました。このページを見て、”なるほど”と感じたのでメールしました。
 
 高校生のころ年鑑を読み、”これはラッセル教?”と感じたことに始まり、その後は
学生時代、他から見れば熱心な信者であるように見えたと思いますが・・・。
内心は親を喜ばせる為だったのかもしれません。 
それが医療の学校へ進学し、学ぶにつれ血液のことについては疑問を感じるようになってしまったのです。
  
 まず、あれほどまで拒否するよういわれていた血液製剤。
代用血液(デキストランなど)を使うよう指導されていたのに、いつのまにかグロブリン、
人血清アルブミンまで良心の決定となっています。
挙げ句の果てには移植まで許されるようになりました。
 
 アルブミン、グロブリン。
赤くはないとはいえ血液に違いないし、臓器移植だって臓器を生理的食塩水で洗って
あるとはいえ血球成分がゼロとはいえません。
まして骨髄移植の幹細胞、血液のおお元、血液そのものではないですか。
それに”血を避けなさい”といっているのに他人の臓器を体の中に入れること自体、
私にはわかりません。新しい光が当たったと言う言葉で片づけてよいのでしょうか。
 (そういうことを言うと、良心の決定と言われてしまいそうですが。)
 
 ただ思うのは、例えアルブミンや血友病治療用の製剤は一般の人たちの献血に依存しているのに、
エホバの証人は恩恵を受けているだけでよいのでしょうか。血液製剤を受け入れ、
献血をさける・・・矛盾していると思います。
 
 でも私は、エホバの証人を批判するつもりはありませんし、聖書も神も信じています。
人間の体を知れば知るほど、若輩ながら素晴らしいと感じているし、神の存在を感じずにはいられません。
ただ、バランス感覚と寛容さが必要なのではないかと感じています。自分を省みることも大事なのでは?
 
 
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 上の女性とつき合っている男性です。
つき合って五年がたち、そろそろ結婚を考えています。
ここで問題なのは、私が”世の人”だということです。
彼女の家にあいさつに行き、エホバフ証人である彼女の母から条件提示されたのが、
聖書研究をすることでした。私もいろいろ忙しく、何もしないまま九ヶ月がたってしまいました。
その間、貰った本(生命の本と家族生活の本)や、インターネットで「ものみの塔公式サイト」をみて、
エホバの証人の教えを自分で勉強しました。
そこで感じたことは、軽々しく宗教(エホバの証人?)を勉強するのは危険なことだということです。
無神論・不可知論者に近い私は、書いてあることすべてについて、いちいち否定することを
考えてしまいます。あまりに強い負の力です。そして思いました。私がもっと若かったら、
これが劇的改心につながるのだな、と。否定する力が大きいほど、反動は大きくなる、ゴムの反発のように。
幸い私のゴムは老朽化しているため、すぐにきれてしまいました。
やはり私にはエホバの証人の教えは信じられません。輸血のことや、千年王国、どれをとっても??????です。
 
 私たちの結婚問題は足踏み状態です。
同じ問題で悩んでいる方々の意見等なにかありましたら教えてください。
 

 
最後にこのようにメールを出せる場を作って頂いた村本さんに深く感謝します。
今後もホームページを見させて頂きたいとおもいます。頑張ってください。
拙文をお許しください。                                                 

山羊と羊(今は死語?)より

《編集者より》
「不定期なエホバの証人?」の方は、これだけエホバの証人の核心となる教義に疑問を持ちながら、なぜエホバの証人を批判できないのでしょう。神と聖書を信じているからですか。それならなおさら、神と聖書から逸れているこのものみの塔組織中心の宗教から離れるのが、自然ではないでしょうか。そのへんが私にはよくわかりません。

「世の人」である男性の悩みは、多くのエホバの証人と交際する人々の悩みと共通しています。恋愛のために、自分の信仰を明け渡す男性、自分の宗教のために、「世の人」である男性を切り捨てるエホバの証人の女性というパターンが多いようです。同じ悩みを抱えている方々の投書を期待します。