「エホバの証人の何が具体的に悪いのですか」

(3-10-97)

初めてお便りします。私は現在米国在住で、大学院準備中の日本人です。
以前からお便りしようと思っていたのですが、忙しさと、きちんと考えを
まとめてからにしようという気持ちのままに時間が過ぎ、今日はとりとめ
もない書き方にお腹立ちかもしれませんが、どうぞお許し下さい。

さて、私は以前よりエホバの証人に関心を持っているひとりですが、家族
には信者はおらず、私自身も信者ではありません。ただ、友人に何人かいる
ことから、少しずつまじめに考え始めた程度であります。そんな私が村本さ
んはじめ「目薬」等のページを偶然読む機会があったことから、何点か疑問
を抱くようになり今回お便りすることとなりました。

疑問の第一は、救済であれなんであれ、批判的立場にある方たちのおっしゃ
っていることがさっぱりわかりません。たとえば、目薬では、エホバの証人
の上層部しか知らないことで、大変な不正や秘密があるような書き方なので
すが、一体どういうことなのか具体的に書かれていないので想像がつかない
のです。

また、「夫たち」ということで投稿している方たちは、単なる寂しがりやの
ようで理解に苦しみます。

何が具体的に悪いのかがはっきりしないのです。お金をせびりとっているとか
リンチを加えているとか、何かはっきりした例がなくて、ただ気に入らない
だけとしか受け取れません。

その例として、ある方達が気に入らない理由に、神戸高専の生徒に対する判決
を挙げていますが、私は、裁判に訴えるのは、真っ当なことだと思っています。
話し合いで決まらなければ、中立なはずの法に訴えるのは当然の権利です。
裁判官の判断が気に入らないのなら、選挙の時にある投票で不信任にすれば
よいと思います。優秀な弁護士を雇うのもごく当たり前のことなのに、どう
してそんなに批判的になるのでしょうか。また、授業に出ないのはわがままだ
という指摘をする人が、「自分も嫌いな教科を同じように拒否できたのに」
と投稿していましたが、それならそうすればよかったのです。いやならいやだ
と言えばいいのに、最初から否定されると思い込んで言えなかった人が、
うまくいったひとを妬んでいるように思えてなりません。

信者である妻が子どもを連れて集会に行く件も、夫が妻に子どもを連れて行く
なと言っているのに強引に連れていったなら、勿論おかしな話だと思います。
ただし、その際に「集会に連れて行かないかわりに、神社仏閣にも連れて行か
ない」という約束はあったのでしょうか。何も知らない子どもを集会に連れて
いくなんておかしい、という意見がありましたが、何も知らない子どもをお宮
参りに連れていったり、正月は初詣に連れて行くことも同じことのように思い
ます。また、生まれてすぐ洗礼を受けるカトリックがやり玉にあがらないのは
なぜでしょうか。

かくいう私も大変批判的に彼らを見てきました、その話しは次回にさせてい
ただきます。校正する時間がなくそのままお出しする失礼をどうそお許し下さい。
よろしければ、お返事お待ちしております。お返事を参考に、次回はもう少し
明解に書けるようになればと思います。勝手を言って申し訳ありません。

《編集者より》
非常に重要な内容を含んだ、またよく聞かれる質問ですので私なりにお答えさせて頂き、他の読者の方の投稿もうかがいたいと思います。

まず、何が(エホバの証人の宗教で)具体的に悪いのかがはっきりしないというご質問に関して。

エホバの証人を批判している人々には様々なタイプがあります。私の立場が全ての批判的立場を代表するものではないことはお分かりでしょうし、私自身、批判的立場にある人の一部の方々には賛成できない点も沢山あります。日本で一番多いのは「被害者」と言われる人々で、この人たちは自分、あるいは家族がものみの塔宗教に入ったことによって様々な被害を受けた人々です。その被害はお金をせびり取ったり、リンチを加えたりというものではありません。家族にとっての最も多い被害は「家庭破壊」、すなわちそれまで円満幸福であった家庭が妻の入信により分裂し、子供を巻き込んで争いの場となることでしょう。信者本人にとっては組織が与える心理的虐待が最大のものであり、(それは心理的な「リンチ」とも言えるでしょう)特にこの宗教を追放されたり自発的に脱退した元信者に対する冷酷な仕打ちがあり、かなりの人がこの恐怖から精神疾患に陥るのが実態です。そしてもちろん、その奇抜で変更の目まぐるしい教義に従うことで、輸血拒否による無駄な死の他、様々の個人生活、社会生活の上で無意味な規制が課せられ、それにより多くの人が豊かで幸福な人生を生きる機会を失っています。

もう一つのエホバの証人批判者の立場はクリスチャンです。私は「被害者」の立場から出発し、今でもその心情は持ち続けていますが、今では私の主な立場はこのクリスチャンの立場です。私をはじめ、この立場にいる人々は、エホバの証人の大部分の人々は、真摯に聖書の神に信仰を求めようとしている人々ですが、彼ら特有のマインド・コントロールの巧妙な手口により、目も耳も心も閉ざされ、奴隷のように組織の言うなりに右往左往する人間に変えられている、と認識しています。これらの人々を目ざめさせ、聖書とイエス・キリストに基づいた信仰を自分の力で見出してもらうこと、これがクリスチャンの批判者の目標です。「被害者」の立場ではエホバの証人に対する挑戦的態度が前面に出ることが多くなりますが、クリスチャンの立場ではむしろ彼らとの対話を求めて行きます。そしてマインド・コントロールへの最大の武器は隠された情報を明らかにすることであり、それがこの「情報センター」の目的なのです。

次にもう少し細かい質問に対してお答えします。

この組織に秘密や不正があることは確かですが、それはどのような宗教組織でも同じことだと思います。彼らは確かに明らかに法律に反することはしていませんが、倫理的に不正なことは数限りなくあります。このウェブサイトの記事をお読みください。

「夫たち」の問題は上に述べた家庭破壊の問題が根底にあります。単なる寂しがりやの問題とは異なります。結婚以来のお互いに認めあってきた夫婦のルールが根底から覆されるのです。単に家庭の仕事や妻としての義務が二の次にされるだけでなく、妻の忠誠は、夫から組織(それは組織=エホバという概念にマインドコントロールによってすり替えられていますが)に移行させられ、妻は組織が必要とすれば夫を欺くことさえするようになるのです。この件に関しては具体的な体験談を「夫たち」のどなたからか投稿して頂けるかもしれません。

高専の問題ですが、私は一般的に言ってエホバの証人が裁判に訴えて自分の教義を正当化しようとするのは偽善だと思います。何故なら彼らの教義では「この事物の体制」、すなわち政府も裁判所も法律も選挙も、すべてはサタンから出たものであり、彼らはその命令には従いますが、参加は拒否します。しかし他方で、自分たちの利用できるものは最大限に利用するのです。これはやくざを批判しながら、やくざが自分たちを守ってくれる時は最大限そのやくざの尻馬に乗ろうという態度に似ているでしょう。優秀な弁護士を雇うことですが、これは数年前私の住むアメリカで大きな問題になりました。本来個人で争うはずの離婚調停や子供の養育権の訴訟で、エホバの証人が関わっており、その信者と教義が危ういという場合には、ものみの塔協会は組織の資金を使って、そのエホバの証人のために優秀な弁護士を雇うのです。その結果、もし個人としてその裁判を闘った場合には勝ち目のない場合でも、この協会のうしろだてがあるためにエホバの証人は次々と離婚裁判や養育権の裁判で勝利を治めているのです。何が悪いのか、とおっしゃるかも知れませんね。これは財力にものを言わせた不公正さの問題と、自分たちの歪曲した「真理」の正当性を財力によって無理矢理押し通すことの問題だと私は思います。

神社仏閣に子供を連れて行くことと、エホバの証人の集会に子供を連れていくことと、何が一番大きな違いなのでしょうか。あなたが神社仏閣にお参りした時に、「世の中はエホバの証人以外は悪い人間で一杯だ。この世の中はどんどん悪くなって滅ぼされるから、あなたはエホバの証人になって、これこれのことをしなければならず、これこれのことはしてはならず、批判するものの話を聞いたり、本を読んではいけない。組織から離れたら生き残れません」と子供に教える所がありましたか。問題は、子供に対する恐怖に基づいた徹底的なマインド・コントロールなのです。私は幼児洗礼には確かに問題点はあると思いますが、その行為自体は、エホバの証人の集会ほど子供の健全な精神発達に大きな害悪を与えることはないと思います。エホバの証人のマインド・コントロールは大人にとっても大きな害悪ですが、それが子供の発達しつつある無垢な心に植え付けられた時、それは計り知れない傷を作るのです。