「日本の匿名希望のエホバの証人様への質問」に対するあれこれに対する 元アムハーアーレツより応答

(3-9-99)

村本さま 匿名様から 回答いだけたことをうれしく思っております。
少々きつく感じるタイトルですが 当方も 語った以上責任がありますので応答いたしました。
匿名様からのご指摘にもっとも と思うことも多々あり 一部匿名様に対するお詫びもかねてお便りします。
、もとエホバの証人ということで 組織に対して語ることは 神に対抗すると言うような 脅迫観念がありこれ
をすべて拭い去ることは いまだできておりません。当然 命をはって応答するという 感覚があります。
たいした 理解しかないのですが、匿名様に対する 友情と責任を感じて 書きました。
だらだらと した部分誤字脱字もあるかと思いますが その点 ご了承ください。
貴殿の 投稿に対する 適切な応答にも 敬意を表したいと思います。
                                           敬具

タイトル ”禿げ頭のぼっていけ 列王第二2:23、24”

王二2:23 それから、彼はそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、その
             都市から出て来た小さい少年たちがいて、彼をやじりだし、彼に向かって、
             「はげ頭、上って行け!はげ頭、上って行け!」と言い続けた。
王二2:24 ついに彼は後ろを振り返り、彼らを見て、エホバの名によって彼らの上に災いを
             呼び求めた。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼のうち、四十二人の
             子供たちを引き裂いた。

匿名さま 丁寧な回答ありがとうございます。
しかしながら 言語の違いというのでしょうか 私が組織内部にいたときの考え方と同じです。
組織を出てしまいますと エホバの証人(以下JW)のいう清い言語を忘れてしまいました。
私がこのように記述すると
>あなたの持っていた「誇り」と私が持っている「誇り」はどうやら、別物のようです。
ここでいう 別の誇りが あなたに湧き上がることでしょう。それは理解できます。
現在 私のもつ 小さな誇りと あなたの言う誇りは 確かに別物であることに疑いの余地はありません。
実際 jwに反論する人の立場も jwの立場も理解していたつもりでした。
ただ ちいさな部分ですれ違いが発生しているようです。
かなりの部分 字義どおりの解釈から 字義どおりのコメントいだだいております。そこらあたりが 気にかか
るのです。

もちろん 匿名様と用語の用い方に相違があるのは 致し方ないことです
ただ 誤解していだたきたくないのは 敵対しているのではないと言うことです。
私が現役時代に観察した事実を ご報告しているにすぎません。
エホバの証人に関しては たんに好き嫌いの問題では 済まされないという 実態があります。

すべて 短時間にご回答することは 当方も サラリーマンを 始めて間も無いこともあり 生きて行かなけれ
ばならないために 困難があります。 すべて不慣れなことばかりですので。
直接の私に対する質問にはお答えします。
その前にここで少し 気になる点をいいます。
貴殿のご回答のなかに 実質的にいってこのようなメッセージが繰り返されているように思えます。
”問題を解決する力が 私にはあるが あなたにはなかった。”
字義どおりには このように述べられていることはありませんでしたが。その根拠となる貴殿のご回答を列挙し
ます。
----------------------------------------------
>会衆内の、資格はあるが霊性の弱い人なんかをまともに相手にして(真に受けてむきになって)はいけませ
ん。
>それができないのが問題なのです。
>(つまり当事者であったあなたが問題だったのかもしれません)
>でもね、私も自活して開拓奉仕をしていましたが(独身時代も結婚時代も)
>今のフルタイムの(いわゆる世俗の)仕事に比べれば容易でしたね。
>甘い考えで開拓奉仕(全時間奉仕)に入る人は意外と多いのかもしれません。
>世間もエホバの証人の社会もそんなに甘くないんですよ。

>わたしはたとえ「いじめられ」たとしても
>あなたのようにこの組織を捨てるつもりはありません。
>問題を解決できる人でありたいと思います。

>どうやらあなたは、情報を見分けるのが苦手のようですね。
>あなたは人から影響を受けやすい人ですね
---------------------------------------------
など まとめると
問題解決できなかったのは 問題解決できない側にある。
問題解決できない人 の特徴として 
 1甘えている
 2主体性がない
 3情報を見分ける力がない
対する 匿名様は問題解決ができる。

とご回答されています。

結論からいくと たとえば いじめにあって 打ちのめされて
 離れる人間は意思が弱い人間であり  エホバを待つ態度に欠けている。
 情報処理能力がない。
ということになります。

聖書のどこに このような見解があるのでしょうか? 是非お答えください。
使徒たちの活動のなかで このような見解はあったのでしょうか。
 お読みになるように ご提案したのは やはり見当違いでなかったようです。
是非 もう一度お読みになってくださいますように。おねがいいたします。

弱いものに同情することこそ 霊的であって 「やっぱりおまえは弱い 」と蔑む 態度にはやはり同意不能で
す。
是非ヨブ記なども もう一度精読することをお勧めします。
病んでいるものに なんと 慰めとなる ことだろう というヨブの言葉には 人生の重みを感じるのではない
でしょうか。
ヨブ26:2 「あなたは無力な者にとってなんとまあ助けになったのだろう。あなたは力の
         ない腕を[何と]救ったのだろう。
ヨブ26:3 あなたは知恵のない者に何とまあ助言し、実際的な知恵を大勢の者に知らせたの
         だろう。


それと 貴殿は 「アム ハーアーレツ」という言葉を誤解されているようです。
土の民 以上の意味があるのでしょうか?
ふみつけられるに値する 呪われた民 という以上の 意味はありません。
より正確にいうと ものみの塔のから はそれ以上の意味を教えられていません。
 神の民が塵に喩えられるのは 真実としても 踏みつけられるのに値する。土の民といったい
何のかかわりがあるのでしょうか。
あくまでも パリサイ派(神の律法+ 自分たちが思い込みで勝手に作ったの独自の律法を死守する人々)に虐
げられた民をさすことばです。
この意味でなく 「アムハーアーレツ」を用いられたとのことですが
とすれば あなたが 言葉の意味を勘違いされているにちがいありません。

>それにしてもわたしから見れば、あなた(編集者)も「アム ハーアーレツ」の一人
>でしょう。

ここでも どうも意味が通じません。やはり なにか 勘違いされているご様子です。
神の見地からは が「アム ハーアーレツ」は存在してはならないものであるゆえに イエスが犠牲として さ
さげられたのです。
きっと 違う事柄を指していわれていると思われます。当方のアムハーアーレツの理解は 以上のべたとおりで
す。



噂と事実と信憑性
私の 経験から つまり 見たり聞いたりしたこと には 私自身の体験もあり 他の人の体験を目の当たりに
したものもありますし、ものみの塔に書かれてあること、他の仲間の体験談、うめき、叫び、愚痴、嘆き、を直
接見聞きしたことが含まれます。
噂を聞いたことがあるに過ぎない場合は 噂であると お断りしたつもりなのですが。幾分落ち度がありまし
た。
言い訳をしたいと思いますが 前提として私の過去の立場を少し説明します。
  私の研究司会者は 会衆の主宰監督でした。
  私の立場は 一般の伝道者です。時折補助開拓奉仕を楽しんでおりました。
  仕事の都合で 平日の午前中の奉仕に関しては 参加しており、奉仕の司会(タイムキーパ的存在にすぎま
せんが)はしばしばおこなっていました。しかしながら開拓奉仕者ではありませんでしたので限度がありまし
た。
  ご質問に答えるには この程度の自己紹介で十分かと思われます。
では 信憑性についてご解答いたします。
1 長老団の噂会合に関して
  私は 主宰監督の懐にいました。彼から 内用をお聞きしています。実に口の軽い男でした。神権的という
枕言葉をまず 語った後。もったいぶった口調で、事実を厳粛に受け止めるように という訓戒をしながら 遠
まわしに 会衆の機密を漏らすような人材でした。
 二の句には ”洞察力”を働かせるようにといつも 訓戒いただきました。
 彼との会話は いつも口止めされていました。ところが人間には うっかりがあり 彼との会話を 他の長老
との会話の中でポロッ としゃべったときなぜをそれを知っているのかと問われたことがあります。”まずい”
と思い 口に手をあてたものです。
あるときなど しつこく収入を聞かれたものです。他の人の給料も 聞きまくり それを 時折 ポロッ と
しゃべるような人材でした。
  ご回答としては 口の軽い 神権的出世株の主宰監督の 重厚なおしゃべりにより 私に筒抜けとなってい
ただけのことです。
 私としては その真偽を確かめたくて。他の長老にそれとなく探りをいれて観察しました。なぜそうしたかと
いうと 主宰監督ともあろう者がそんな大切な会衆の成員の個人情報を一研究生にしゃべってよいものなのだろ
うかと いう素朴な疑問が浮いてきたからです。
 貴殿の目からみると 彼こそ 実に 組織に対する 根っからの 裏切りものでしょう。
 しかし 彼は 大会で 先輩長老を 凌ぐ 優れた話し手として また 医療機関連絡委員として 有用な人
材と極めて高く評価された人物でした。人間の弱さゆえに ポロッ としゃべってしまう というタイプではあ
りません。戦略的に 情報を蒔くタイプです。
 彼の意見に 意義あり を唱えた 長老を 一夜のうちに 長老の名簿から削除さえしたのです。一夜のうち
にですよ。
 彼の口の軽さは 特別ですから 私には そこでの削除理由は事細かにわかっています。理由は簡単 気に入
らなかったというだけのものです。
 それも ゆっくり ちびり ちびり かたるものですから 全容を理解するのに 1ヶ月以上かかりました。
 要するに 気に入らなかったようです。
 また ある兄弟の 借金問題にくびは突っ込むわ、結婚紹介したことすら記憶にないわ、で まさに トラブ
ルメーカでした。
 私の うちにきては あの兄弟は どうのこうのと 洞察力を自慢します。 私にいったいなんの関係がある
のか さっぱりでした。
 そんな彼が 神に選ばれた組織の 聖霊に任命された、長老であり、先輩を追い越す勢いで 重宝がられる立
派な兄弟 だったのです。
 まさに 聖霊はなにをしているのでしょうか。聖霊が無能であるか この男が 聖霊とは無縁であるかの ど
ちらかです。
 私としては 信仰により この男が 聖霊とは 無縁と判断するしかありません。ほかの選択肢など ありえ
ません。
 他の 横暴な長老も これほどではありません。 いわば 日本でも 屈指の兄弟といえます。
 巡回訪問をやり過ごすたびに 横柄になっていきます。
 彼いわく 巡回訪問には 特別の霊の働きがあり。不正、を正す力がある が口癖でした。
 しかし 信仰はあるようで 神の名によって 彼の欠点をストレートにしてきしたところ 黙って下をむいて
しまいました。
 おとなしかったのは 次の巡回訪問までのことです。それをすぎると ますます です。
 これが いきさつです。匿名様とは 違う宗教に属していたのかもしれません。
【 もし これが 他の宗教団体で起きていたと私が 告白するなら 匿名様なら どうお答えいただけるので
しょうか。 やっぱり 大いなるバビロンは そんなもの とお答えくださることでしょう】。
あなたは ものみの塔誌など 公の文章に無い 表現は JWにはありえない とお思いのご様子です。
しかし こんな 表現を 実際 JW はするのです。
「あの兄弟は 不活発だから、霊的に未熟だから 相手にするな」
「エホバにより頼まないから 力がでないのだ」
 これは この霊によって任命された主宰監督から聞いたお言葉です。
 
2 伝道が苦手な独身女性
 この話題についてお答えします。 
実は直接聞いたのです。
結婚とかの感情が全くありえない関係の 男女の仲がたまに存在します。
よく奉仕が終わったあと ともに語りあう機会があり。いわゆる相談ではなく 暇つぶしの会話をよくしたもの
です。
いわゆる ぶっちゃけた 仲 があります。勝手な”洞察力”を働かせる 仲間は いましたが どうでもよい
ことでした。
なぜ 勝手な洞察力を働かせていることが わかったのか についても 一応述べます。前述の長老が 噂話を
きいて 私に確認を仕掛けてきたからです。もちろんほのめかしなどではなく 「こういう 噂があるが どう
なのだ」と具体的にたずねられたので 私にわかるのです。
>失礼ながらあなたのような人に、そういった類の相談をする姉妹はいないと思いま
>すけど…
でも いたのです 不思議なことです。
どこにでも、気楽にぶっちゃけた 話しをする仲は存在します。
また 私はどうやら 言われやすい タイプで いろいろと文句もいわれ、本音もいわれるタイプでした。
だた 苦笑いの事実もあります。
司会者には内緒で(私が主宰監督にしゃべらない) という条件で 心を打ち明けてくれる仲間もいました。
でも 信頼できる友にと言うわけでもなさそうでした。
やはり 言われやすい としか いいようのない 状況です。
金をかしてくれ という仲間 もいました。ことわりきれません。^_^;
やはり 言われやすい としか いいようのない 状況です。
どういうわけか ぼくみたいな 人間が 存在するのです。だれがどう疑おうと 事実であるとしか回答不能で
す。

3 殺された姉妹
 あなたの指摘が 唯一 現実味がある 話題です。
 といいますのが 直接聞いていないのはこの話しだけでした。
>まさか聞いた話ではないでしょうね。
すみませんが まさかなのです。
さいしょから 疑っておられるのは理解できます。
うわさも ある距離があると いいかげんなものとなります。
信仰の定義をご存知かと思います。
一方的な情報を信じると言う意味ではそうなりますね。
ですから 私は2つの情報限から 提供しました。
 この2つは真っ向から 向き合っており もはや聞く人間が どちらを信じるかの領域です。
しかし この2つは どちらも 同じ会衆からの連絡です。
ただ 一方は 霊的に立派な と評判の 家族でもない人間が 大会で発表した内容であり。
一方は彼女と 交流のあった友人が涙ながらに語った内容です。確かに間接的ですね。
ただ 複数の人間から この話題を違うときに切り出され 、大会で語られた内用は でっち上げだと吐き捨て
るように 教えられたのです。
面識がなければ 語るな とおっしゃりたいようですが。 残念ながらそうはいきません。
正直この件に関して 貴殿のご指摘どおり 責任だれかにをふって 逃げたい気持ちがあります。
怒りをもって語る複数の 正直な エホバの証人の発言を信じた私の落ち度です。
普段から 信頼している 仲間だったことも 私の軽率な発言の 原因でした。お詫びいたします。
しかしながら 真っ向から 相容れない 情報が飛び交う 会衆でした。ここは少なくとも事実です。


4噂 結婚破綻
 これは 噂であることを あらかじめ申し上げたとおりです。
 噂を信じるのは愚か という意見と、信仰の仲間の発言を信じるかという 板ばさみが ある程度あるのは否
めません。
 そこで できる範囲で信憑性を確かめることもしました。
 噂話をしてきた場合 どこで聞いたのかを確かめることにしておりました。
 だまれ というのはあまりに簡単なので 「姉妹 その話しはどちらで きかれましたか?」と質問すること
にしていました。
 ”私は直接聞いた” との主張は 否定することはできませんでした。(たとえうそであったとしても)
 うそでも仲間を信じるということも あっていいとおもったものです。

 私がかたった結婚破綻の話しは 集会で公に話されることもありました。
 そのときいちいち 公演者に どこから 聞いたのか、あんたは本当に見たのか とたずねませんでした。
 そこは 信頼でしょう。あなたは 集会で話された ことまで 疑うのでしょうか。 
私は 集会ではなされた 内容を 語ったのです。
 私としては 結婚破綻の話し つまり ”夫婦の会話が連絡ボードで”は集会でも話されたことのある話です
ので 本件は 疑っていません。
この手の話しは 私の見聞きした範囲では 否定要素がありません。

 長老をぶんなぐって 妻と子を捨てた 人の情報も はいってきました。この時点では 噂でした。
後にその 長老を殴って 排斥となった人ど同じ職場ではたらいているひとから 「人間 あーもかわるもの
か」となげかれたこともありました。
この時点で 噂は 私にとって真実となりました。 私にとっては 事実の報告としか 思えません。でも私が
 ここでこう書いた内容については あなたが信じるかどうかは 私の理解とは無関係です。その後 殴られた
 長老と話しをしました。私と交友のある長老だったのは 驚きでした。
なぜ この話しをしたかというと 
 悔い改める措置である 排斥が 人を 自暴自棄にさせる ことの実例として提示したかったからです。
 

 少しの火が 山全体を焼き焦がすとありますが 、根も派もない 噂を用いて 仲間の兄弟の評判をたたきお
とす 主宰監督もいると言う事実があります。
かれの うちだす 噂が事実かどうかは問題ではありません。神に認められた組織の中の 聖霊に任命された
会衆の主宰監督が 噂を利用するケースがあるという事実が 問題なのです。

いずれにせよ エホバの証人は噂好きであることは 匿名様もみとめられたとおりです。
基本的に歓迎される慣習ではないことは いうまでもありません。


その他
いくらか 抜粋してお答えいたします。

発覚の件

神権的立場は ものみの塔によると 神の任命によるものです。
発覚したら 彼らは 責任をとらねばならなくなる。では 神の面子に泥をぬっているのです。感情的衝突は 
人があつまれば 当然おこるものです。それは 不完全で済まされるべきでしょう。エホバを待て といって理
不尽な裁きが 実際世界中のあちこちでおこっているのです。もはや 僕以上の立場の人間が 他の人とトラブ
ルを起こしたらなら 高位のものこそが まず最初に問題の解決に手を差し伸べることが 聖書の世界では 当
然のことです。しかし 多くの場合発覚するまで 放置。されている現実があります。もちろん 発覚 つまり
 公に問題が明らかにならなければ 確かに 措置のとりようがありません。
発覚しない問題が 山積されている 組織の体質を問題視していることを ご理解ください。
つまり あなた御自信が 証言されているように 解決されない問題が山積されているのです。
そして 神権的立場の人間が 事件を捏造する 場合 これは もはや 個人の問題ではありません。
立場ゆえに 大きな責任があることは 否めません。
24時間年中無休のJWが 会衆内でおこなう すべての事柄は 公のものだからです。隠れた犯罪は つまり
  公の組織の中で行われているという認識が 全く不足しています。個人のミスなら クリスチャンでなくと
も 許し、赦す精神は あるのです。
クリスチャンでなければ 赦す精神がない などというのは キリスト教徒の思い上がりといえます。クリス
チャンであるからこそ 隠れた犯罪は組織内にゆるされるべきではないのです。
受け継いだ罪に起因することがら うっかり、とか 単なるミスなら 赦されるべきですが・・・・・・・
他の宗教組織で JWが巻き込まれるような 問題を見聞きしたら あなたはどう反応されますか??
やはり 偽りの宗教は ときりだされると 思います。


>あなたの「裁く」という言葉を何を指しているのか?
私刑を含みます。 彼らは洞察という言葉を好んで用い 他の人を比較することに躍起です。
あなたのいわれる無駄であることが 実に山積されているのです。
エホバにより頼む ということが どれほどの JWにとって現実的ものかをあなたこそ 理解されているので
はないでしょうか。
うめき苦しむ魂が いったいどれほど JW内にあるとおもわれますか。毎日 会衆内の問題に無き悲しみ い
くつもの夜をなみだ 祈りと共に過ごししている 魂が あることを 知っておられるのではないでしょうか?
彼らが 力尽きて 不活発などになったとき あなたは その 不活発な兄弟、姉妹が エホバにより頼むこと
を 忘れているから 落ちていくと本気で思われているのですか。?
人間にものみの塔的 ”洞察力” など ありはしないのです。


>あなたの考えるものみの塔のポリシーってなんですか?
私も JWだったのですが。そういわれると 本当に 元JWか?と質問されたようなきがします。
証拠を提示することは不可能ですが、信じてください。元JWです。
そうなると JWの中においても かなり ずれがあるといわざるをえません。
唯一まことの神エホバを崇拝する 唯一の組織 つまり 絶対に正しいとは言わないまでも 聖霊が常に航路を
修正し 真理に向かってまい進する組織 ということです。
そして霊的パラダイス であり 将来の 地上のパラダイスを 予表している 。
そこに 集う 幸いなもの、霊的兄弟たちが ともに いる なんとすばらしい世界なのだろう。
そして 存在意義は ものみの塔の表紙の裏にかかれてあるとおりです。
表紙にも エホバの王国を告げ知らせる です すばらしいパラダイスを告げ知らせる のが ものみの塔の主
義と考えてきました。
ちがっていいますか? 一字一句をとりあげられると 若干忘れている部分があり、厳しい面もありますが・・
・
どこにアムハーアーレツの居場所があるのでしょうか。
塵に喩えられるのは 真実としても 踏みつけられるのに値する。土の民といったい何のかかわりがあるので
しょうか。あくまでも パリサイ派(神の律法+ 自分たちが思い込みで勝手に作ったの独自の律法を死守する
人々)に虐げられた民をさすことばです。
定義から判断すると背教的表現であることには 変わりありません。


>わたしが「アム ハーアーレツ」という言葉を使った主旨とはなにかかけ離れてきましたね…
 意見の相違というより 定義の相違です。私の理解によるとです。


>エホバの証人でなくても”胃腸に負担のない人”はほとんどいないのではないでしょ>うか?

たしかに 舌足らずでした。これも いわゆる普通の人 より 精神病となる率が高い 体質を指摘したつもり
でした。
私の所属していた会衆 70名弱 でしたが、精神病院へ通っている人が 3人。胃薬を常に携帯している友人
も少なくありませんでした。正直なところ 実に私もそうでした。
エホバの証人をやめて4ヶ月で 胃薬 は廃棄しました。いまでは 必要の無いものです。
胃腸に負担のない人が 世にも ほとんどいない ということも 議論対象ではありません。
霊的パラダイスにいる しあわせな 人々であるはずですので。少なくとも 一般より率が低くなるはずです。
いわば 世間並み つまり 比較対象が 世間という レベルにすぎないという意味です。
エホバの証人 とは 控えめにいって 世となにも変わらない ということになります。


>世間もエホバの証人の社会もそんなに甘くないんですよ。
そうですね。別に甘い世界にあこがれて JWになるわけではありません。
それにしても 甘い話が 最初に多すぎます。
とくに 知識の本など 甘い話で 人を誘う 部分が 大ですね。
もっと昔は あなたは地上の楽園で永遠に生きられます という 甘いことば???
最初から 厳しい世界であることを はっきりと 告げるべきです。
ハイと言え! イイエはない 世界である! と最初から 言うべきです。
もちろんここには 最初から反論を用意していることも言うべきです。
「盲目の従順であってはならないが 従順をエホバは尊ばれるのだ。
従うことは 犠牲にまさる。でも注意してください。盲目の従順であってはなりません。」といいます。
ここが JWの不思議なところなのです。
実際 真っ向から向かい合う 二つの理屈にはさみこまれてしますのです。
でも あなたは 理屈抜きに理解されているのでしょう。
その 感覚的なものは理解できるつもりです。なにか こう そうじゃない わからないのは 聖霊が注がれて
いないからだ。と 思われるところではないかと 記憶によると そうなります。ただ 徐々に訓練して なら
されてしまうようです。ここが 精神を制御されているという ゆえんです。 
インフォームドコンセントというのでしょうか あらかじめ そうする 責任があるのではないでしょうか?
事実 神経をすり減らして ついていく 人々がいるのは くどいですが事実です。
彼らに 永遠に生きる苦痛を味あわせる必要はありません。事実 生きることは苦しむこと と道義のエホバの
証人を見てきました。
「 聞き従わなかったもの を 哀れんではならない 惜しんではならない」 というのは 神のご命令が下っ
たときに言うべきです。
いまは そのときではありません。
他の宗教組織で JWが巻き込まれるような 問題を見聞きしたら あなたはどう反応されますか。



>無理なら開拓奉仕をやめればいいのです。
>コリント第二9:7
>「各自いやいやながらでも、強いられてでもなく、
> ただその心に決めたとおりに行ないなさい。
> 神は快く与える人を愛されるのです」

ならば 長老たちは しつこく 開拓奉仕を勧めるのは 過去にさかのぼって やめることです。
 負担になる 仕方で”励ます” 長老が多すぎます。
そして かれらも コリント第二9:7 を口がすっぱくなるほどかたるのです。
 正しいことが 行いにくい 環境を JWはつくりあげているのです。
しかしながら、最近はかなり 緩やかになってきました。

>会衆内の、資格はあるが霊性の弱い人なんかをまともに相手にして(真に受けてむ
>きになって)はいけません。
main()
{
while(1)
 {
 彼らに(聖霊に任命された長老たち) とやかく言わずに従うように;
 /* 研究記事でとりあげられたことは事実です。*/
 コリント第二9:7 を開く;
 同時に「兄弟、今ハルマゲドンがきたら エホバにあなたは 言い開きができますか」と励ます;
 平衡をたもちなさい;
 }
}
無限ループが 発生しているのです。
>会衆内の、資格はあるが霊性の弱い人なんかをまともに相手にして(真に受けてむきになって)はいけませ
ん。
と言う言葉は ものみの塔 のどの研究記事であつかわれましたか?
この 実際的な知恵は とやかく言わずに従うように という研究記事と真っ向からぶつかります。
これも 原則の一部なのでしょうか。
確かに 実際的な知恵として 主宰監督に同じ言葉を 教えられたことはありました。



一世紀にも問題があったがそれでも彼らはクリスチャンだったという主張について

エホバの組織は前進しなければなりません。
一世紀となにも変わっていないという明白な論証となっています。
そんな問題はとっくに解決していなければなりません。
今ごろになって ”長老たち やさしく 群れを扱いなさい”を強調するのでは 100年の歴史に傷がつきま
す。
実際 すこしづつ 効果が でてきているようです。
 あなたの証言からわかります。 
しかしながら
長老が聞き耳を持たず 我意をはり 虐げを行うと どうなりますか。
まわりは 手も足もでません。 解決をどう取るのですか。長老をぶん殴って 断絶した仲間もいました。
それは ちと 早急だったと思われます。
誰がなんと言おうが”聖霊が任命した”は すばらしい 言い訳となってしまっています。
自分たちの悪を 神に責任を負わせるとは いい度胸というより蛮勇といわざるをえません。
ダビデの模範にしたがって サウル(油注がれた者)を撃つことをしないようにと 公開公演を行うことが 解
決策なのでしょうか?
過去の出来事を 模範として組織が運営されていない 証拠といえます。
銀を精錬するように 神が 100年間精錬してきても 上位者とのトラブルが絶え間無くおこっている組織なの
です。
他の宗教組織で(例えば xx教会、など思いつくすべての宗教) JWが巻き込まれるような 問題を見聞き
したら あなたはどう反応されますか。
そして 神が正されるのだ というおなじ言い訳を 他の あなたがたが 偽りと 信じる宗教組織の成員が 
するならあなたはどうおもわれるのでしょうか?


>エホバ神にはばれています。
>その人の見せ掛けの信仰は無駄です。
神の名によって 他人を虐げる のですから エホバの見地から見ると 死罪でしょう。
でも その罪人を 神権的立場に 据え置くことの意義がなにかあるのでしょうか
それだけの ことなら 他の宗教を 糾弾しても 意味がなくなります。彼らも 同様に言い訳可能です。

>なかには 自宅近所の留守であることが間違いのない 家々を扉をたたいて開拓奉仕する人もいます。
>もしかしてあなたの身近にいた人の話ではないでしょか。(違っていたらおゆるしください)
>はっきりいって「ひがみ」の文章ですね。
>ガラテア6:4、5にはこうあります。
>「むしろ各人は自分の業がどんなものかを吟味すべきです。
> そうすれば他の人と比べてではなく、だた自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう。
> 人はおのおの自分の荷を負うのです。」

しかし同じ聖書には こうもかかれています。
マタ23:4 重い荷をくくって人の肩に乗せますが自分ではそれを指で動かそうとも
        しません。
マタ23:11 あなた方の間で一番偉い者は、あなた方の奉仕者でなければなりません。
マタ13:41 人の子は自分の使いたちを遣わし、彼らは、すべてつまずきのもとに
       なるものや不法を行なっている者を自分の王国から集め出し、
マタ13:42 それを火の燃える炉の中に投げこみます。そこで[彼らは]泣き悲しんだり
マタ18:6 しかし、わたしに信仰を置くこれら小さな者の一人をつまずかせるのがだれで
      あっても、その者にとっては、ろばの回すような臼石を首にかけられて、
      広い大海に沈められるほうが益になります
       歯ぎしりしたりするでしよう。

  これは 誰かを 表しています。
  いったいだれでしょうか。
  この点で 責任のある人物を 最初の方でご紹介しましたが 間違い無くエホバの証人でした。
  匿名さまのように そう考える 知力があれば よいのですが、長老を信じて つぶれる仲間にとってなんと
 ガラテア6:4は慰めとなることでしょう。
  神に敵対して 組織を裏切る ではなく 信じてつぶれる人物を 
  *洞察力がない(情報選択力がない)
  *問題解決力がない。
  *つまり エホバを待っていない。
  *甘い世界ではない。
  *あなたは人から影響を受けやすい人ですね
 と 評価すること自体 愛情を感じるとは 言いがたいように思えます。

マタ11:28 すべて、苦労し、荷を背負っている人よ、わたしの所に来なさい。そうすれば
       わたしがあなた方をさわやかにしてあげませよう。
マタ11:29 わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。わたしは気質が温厚で、
       心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかな
       ものを見いだすでしょう。
マタ11:30 わたしのくびきは心地よく、わたしの荷は軽いのです」。
   イエスの言葉と比較してみてください。
    これは 疲れた人をおびき寄せる 甘いことばであり・・・・なのでしょうか?
    能力に 不足のない 人が 労苦し、荷をおっている人に対応するのでしょうか。
ここの質問に対する直接の応答は
確かに 身近にいた人です。あなたと同じ聖句をもちいることの 大変得意な方でした。

となります。
神のお名前に泥を塗っているのです。
テサ二3:9 わたしたちに権限がないというのではありません。わたしたち自身を、見倣う
         べき手本としてあなた方に示すためだったのです。
と同様に
自分に見倣え という立場のひとでした。
そう言われれば、言動を見るようになることは自然なことです。
神の名のゆえにねたむ ことは 正しいことと 心得ております。
ひがみ といわれても ぴんときません ひがむ理由がありません。 
見倣えといわれて見たところの事実のご報告です。


>>3 また まれな存在ですが 資力(資産)があるばあい
>またひがみ。
>エホバの証人でなくても、エホバの証人でも金持ちはいます。
>金持ちはある面で有利な立場にあります。
>金持ちの行動や言葉をどうとらえようとあなたの自由ですが、
>上の文章は、単にあなたのひがみを披露しているだけでみっともないですよ。

おかれた立場で最善を尽くす という意味では 有利な立場を 用いることは 全くすばらしいことです。
 これも 事実を 公開しただけのことです。
ここだけを指摘されるとそうでしょう。しかし 前述したイエスの言葉と矛盾した行動がある世界ですので 
はっきり申しあげて なにが起こっても 驚きません。長老が 若い姉妹をレイプした と誰かが たとえば 
でっち上げたとしましょう。
事象のみに注目するなら(ここでは便宜上 強引に被害者の感情を無視します) ああ そう 起こったか と
いう程度です。真偽のほどは ともかく ”ありうる” というのが 結論です。
ねずみが猫に噛み付く というほうが よっぽど大きなニュースなのです。。。
表の教理によるとあなたの意見は全く正当なものです。

しかし 現実が あるのです。
結局 良心を 組織に売り飛ばしているから 仲間の痛みがわからない。
問題が解決しないのは おまえに原因がある と一喝できる 神経になるのです。
そもそも どちらが悪いのいいの との 二元論で 対話するようにどうも制御されている傾向が目に付きま
す。
 あまりに 私の報告を単純にとらえすぎています。
正当なことを 言うのはかまいません 。罪悪感を鼓舞する 形式で語る 人に対する 私の怒りを示したつも
りでした。そして 本当に 心を締め付けられている 人に対する同情からのつもりでした。
当然 同じことを語っても 糾弾の対象にならない 長老も探せば いらっしゃるにちがいありません。

そして 貴殿の言われる とおり ひがみ によって 語る 人間も知っております。
同じことを語っても 観点の違う 場合も多々あります。

私の 経験(観察)から 少しお話しますと。
実に NO2の長老が 主宰の長老(資産がある)に対しても 形としては私と同じ つぶやきをしていまし
た。
頑張っても頑張っても うまく行かない 仲間も 形としては 私と同じ つぶやきをしていました。
恐らく 観点が全くちがう ことでしょう。どうおもわれますか。



>>伝道活動が 苦手な(体力がないを含む)自活している独身女性は
>>結婚にある種の恐怖を感じるようです。(実態をしっているだけに)
>あなたがどの程度「実態をしっている」のか疑問です。
>まさか傍目にそう見える(あるいは見えた)だけではないんでしょうね。
>まさか、「イゼベル級」のように安易な「洞察」をしているのではありませんよ
ね。

冒頭で回答いたしました。
洞察力など 私にはありません。あったらいいなぁと思うことがあります。
見たまま 直接に聞いたままのことです。
エホバの証人ほど 洞察力 という言葉を安易に用いる人々は 希少なのですが・・・・
>まさか傍目にそう見える(あるいは見えた)だけではないんでしょうね。
それを まさに 洞察という 人がいました。
見えないことを探る力と勘違いしているようでした。
人を呼び出して 神の名にかけて 尋問し 口を割って 聞き出したことまでも 彼らの洞察となっていまし
た。
誰かさんが その”洞察”の結果を 自慢げに 語ってくれたことがありましたが。私はすでに 本人から 聞
いていたことで「 はぁそうですか」としか 応答できませんでした。



>剥奪されているのではなく、結婚してくれる姉妹がいないだけでしょう。
>エホバの証人でもエホバの証人でなくても、結婚を望んでも魅力のない人は結婚できません。
そうともいえます。しかし 引き裂かれたカップルもありました。
ここでの 魅力 というのも 結構 世間からずれた 魅力があります。
いわゆる 霊的でなければなりません。
長老が あれとは 口をきくな おまえにふさわしくない と直接命令されるケースもあるのです。

あなたはそんなことをされないと おもいます。文面から誠実さが感じられますので。
そんな 長老がいることすら 奇妙とおもえるかもしれません。
いたとしても ”情報を選択する 力”がある人なら 問題回避できるかもしれません。
たまたま  ”情報を選択する 力”を不幸にも 持ち合わせていなく 生まれてきた はいったい どうすれ
ば よいのでしょうか。
でも そんな 横暴な 霊によって任命された 長老も数多くいらっしゃいます。
他の宗教組織で(例えば xx教会、など思いつくすべての宗教) JWが巻き込まれるような 問題を見聞き
したら あなたはどう反応されますか



>ものみの塔の奴隷(いわゆる兄弟・姉妹の事?)と結婚したくない人は
>自分も会衆を離れて兄弟や姉妹でない人と結婚すればいいのです。
>どうしても自分は会衆にとどまりたいけど、結婚相手は兄弟や姉妹でない人がよけ
>れ>ばそうもできます。
やろうと思えばできますが・・・・・
キリストとべリアルと いったいなんのかかわりがあるのでしょうか。
急に 聖書のおきてから 離れてしまいました。
でも まず あなたもおっしゃるように 文章の最初に 会衆を離れて・・・がきて
次に ものみの塔は 寛容であることを 論じられています。
そうされたかった お気持ちは 理解できます。



>>”霊的”な兄弟姉妹が 結婚して 破綻ということは最近特に目立ちます。
>「特に目立ちます」といっていますが
これも 冒頭でのべています。
エホバの証人 という潔を ”うり”とする組織ならではの 恥部ですのでそうです。
 特定の地域では 本当に問題となっています。
若気のいたり といってしまえばそれまでです。
離婚は原則として ゆるされません ので うわさ好きなJWの間で 事件が起これ
ば 脱兎のごとくです。
もっというと 私がめだたたせているいるのではなく JWの噂が ことを めだたたせています。



>これは若くして結婚する人(もちろんエホバの証人でなくても)に共通の課題です。
>まあエホバの証人でない人が、若くして結婚する人は「できちゃった」がおおいみたいですけど。
こまったものです。その方面では エホバの証人の潔は 確率的には はなまる です。
しかし 共通の課題 では 神の組織の名が廃るのではないでしょうか。
世と同じものであることが 胃薬の件もそうですし、これもそうです。
エホ証でも できちゃった があるのはごぞんじでしょうか?
あってもおどろきませんが 、これは 確かに 極めて稀です。


>>さまざまなテストに合格して結婚の資格を身につけたことになっていますから
>そんなのないって。どんなテストがあるの?
確かにおっしゃるとおりです。
公式文書にはありません。しかし 実際的な知恵として 出世株の長老から資格という言葉がでてきました。
もちろん彼は狡猾ですから、公式文書に無いことなど 文書で指示はしてきません。
実際には 知識の本や 若い人が尋ねる質問 などを討議することが 推奨されています。そのなかで 具体的
には 資格という言葉はでてきませんが。長老の口を通して 資格として 扱われているのを目の当たりにした
という報告です。
このように 長老によって 出版物の扱いが変わってしまうのです。
なんとも 研究生にとっては 混乱混沌 の連続なのです。
表の教理しか 研究対象にならない JWにとっては 意外と JWは まともなキリスト教なのです。



>>夫婦の会話は 連絡ボード を通して という 音声による会話がないという場合
>>(エホバの証人内での噂です) 
>また、根拠の乏しい話ですね。
>あなたはエホバの証人のうわさを信頼しているんですか?それともしてないのですか
冒頭で論じています。
本当は噂と言うべきではないかもしれません 会衆ないでの 公の話しでも扱われたものです。
噂も 発生源からの 距離で 信頼性が変わります。信頼できるものもあれいば、根も葉もないガセねたである
ことが 証明できるものもあります。どちらとも言えない ものもあり 真っ向から対立する噂がある場合もあ
ります。 まとめて ポン とはできない 領域のことがらです。
亡くなられた姉妹の話しは 真っ向から対立する 例となっています。

>「貴族」の「評価」もうわさです。
>エホバの証人はうわさをしないように教えられています。
>またうわさをしないように努力しています。

でも 大好きな体質は 私がいたあいだずーっとそうでした。
研究記事で扱われた日の午後からさっそくでしたよ。
用語をあわせていだだき恐縮です。
もちろん 貴殿が 私の使う意味で使われているとはおもわないことにします。


>>実質は 長老団の集まりは 噂話会合としかなっていません。
>あなたは元長老ですか?
冒頭で論じています。
 権威者との会話は 門外不出のあつかいをしなければならないことをまなばさ
れました。


>>エホバが エホバが 神が、正してくださる
>あなたと同じような見方しかできない人がエホバの証人の中にもいることは否定しません。
「見方しかできない」ではなくそれが健全という意味でしょう。
現実は 100年たっても 組織としてだだされていないことが たくさんあります。
「知識の本」でようやく 重い重い イエスの磔刑の杭が 細くなりました。
とは言うものの 長さに関しては 挿絵から 読み取れません。
杭が重過ぎるという問題も 100年たっても 解決はしていないようです。。
エホバが 正してくださったのでしょうか?
長さに関して は エホバを待つ ことにしたいと思います。



>「アム ハーアーレツ」は まさに 靴のそこについた 泥のような
>例えというのは適用範囲があります。
>そういう極端なことをいうならば、本も、会話も、電子メールも成り立ちません。
>あなたのような論議は俗に「あげあしとり」といいます。

全く極端ではありません。その言葉をその言葉どおりに用いただけです。
前半でもお話しましたように ほかの適用はありえません。



>>実際はご主人となっています。
>>日本の各会衆は 海老名支部から命令を受けているようなものですから。
>エホバの証人は好きでエホバの証人になったのですから、現在の組織のやり方に従うのは当然です。
>いやなら、やめればいいのです。
確かに論理的なご回答ですが。倫理的とは思いません。
ある程度それは必要でしょう。自由と法と秩序、組織・・・・・・
しかし 1914についても 右に左に 振り回されて 信じられないというと 出て行け。
でも 信仰はある。でも 組織のいうことは 論理的な理解の範疇にない。こまったものです。
十字架か杭か とか 三位一体 など 信仰にとってさして 問題とならない 小さな 問題を 神の主権の問
題と 同等とは言わないまでも 重要事項として 振り回されてきたのです。
ぼくはどうすればいいのですか?
ときけば 勝手にしろといわれたようなものです。
 好き嫌いの問題では無いはずです。
牧師についていくとか 、監督についていく、とか長老に アポロにパウロに ついていくという信仰は 聖書
には無いはずです。
( 蛇足:
牧師についていくことを強調する 組織も確かに存在しました。ある特定の組織についていく、とか ある牧師
についていくとか 言う信仰を聖書から読み取ることはできません。あくまで信仰の援助 つまり きつい言い
方をすれば 組織は 添え物にすぎずといったところです。
ものみの塔と同じ穴の狢と断罪されてもしかたない組織もあるということです。
)

>>そうであれば ものみの塔は パリサイ派であることを 証言されたと同じです。
>あなたの論法では 日本人はみなパリサイ人 という事になります。

パリサイ派というのを 喩えとは 思わずつかってしまたようです。
宗教的律法を 神の律法を超えて 自分たちの独自の律法を真理といい 人々に強制する 宗派をさしたつもり
でした。
誤解を生じたことをお詫びします。
だだ 聖書のどこにもかかれていないことを 規則化して守らせるというのは いただけないとおもいます。
日本に限らず 規則長老は 多いと聞きます。
それよりも エホバの証人は 日本うけ したとみるべきではないでしょうか。


>>実際 世話の焼ける 長老は 大勢いらっしゃいますね。
>否定しません。
>でも彼等は愛すべき兄弟たちです。
>(もちろんあなたのように反感の目で見ればみんなどうしようもない人たちに見え
>るでしょう)

反感というのはどうでしょう。愛すべき人であることは間違いありません。
私にとって 憎むべき JWはいません。
偽りの預言者は 死すべき という 聖句は 信じております。
 横暴なJWは自分の権威を 自慢しながら 笑いながら死ぬとよいでしょう。
実際は かわいそうな人物です。できるものなら 火のなかから 出てきてほしいものです。
世話の焼ける長老たちの行う 義が 実際横暴と道義であることに気づいてほしいと思います。


>勝手にそのような人を「長老の妻」と定義して、聞きしたがっていたんですか?
>あなたは世話好きですね。

世話好きはみとめますが。
じつは これも 主宰監督から”長老の妻”にたいして 敬意がないと助言いただいたことがあります。
これを定義したのは 僕ではなく 主宰監督 なのです。

監督が その妻の地位を保証する形で 姉妹たちを統制していました。
ですから 大変わがままで 自分が気に入らなかったら ヒステリーおこしていました。
啓2:20 「『とはいえ、わたしにはあなたを責めるべき[こと]がある。あなたがたの
     女イゼベルを容認していることである。彼女は自ら女予言者と称し、わたしの
     奴隷たちを教えて惑わし淫行を犯させ、偶像に犠牲として捧げられた物を
     食べさせる。
聖書では イゼベルは容認されないということを 私は主張しているのです。
前にものべましたが 大変いわれやすい性格をしているため なだめる 役目を おおせつかまつった わけで
す。


>>「ものみの塔誌にはこう書かれているが 現実は こうなのだ」という ”本当の
教え”が 存在するのです。(二重の教理)

>あなたは、あるエホバの証人がいっていることを「本当の教え」と見なしていたのですか?
>どうやらあなたは、情報を見分けるのが苦手のようですね。
>箴言13:24
>「むち棒を控える者はその子を憎んでいるであり、
> 子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める」

いやいや 「本当の教え」ではなく”本当の教え”です
貴殿は 「本当の教え」を語られるので 貴殿に対して反論はありません。
でたらめを 本当といって教える グループ(組織のなかの組織)を容認しているのは 親組織に責任ありとい
うことです。

真理を 世の底辺を支える つまり最下層の人間 つまり ぼくなどが属している階級が わかりやすく理解で
きるようにしてくださることを期待していたのです。やっぱり 頭のわるい 人は JWをやめろといわれてい
るようにおもえてなりません。
情報を見分けることが できない階級に 正確に真理をつたえていただきたいとおもうしだいです。

 懲らしめの鞭の範疇を超える  虐待といわないまでも 虐待の領域をかすめる 体罰をする人
間もいれば 涙をもって教え諭すことを中心に やむをえないとき 一発鞭をいれる 教育 とエホバの証人の
 幅の広さが 気になっているのです。
同じ 箴言13:24が 教え諭すことから 虐待の領域にかするまで 適用されることが問題なのです。
本当に ホースを丸めたもので しばき倒す ことなど 現役時代 にも 思いつかなかったものです。
 断絶後にこの話をきいて おいおい 教え諭すことが 土台じゃなかったの? 体に教えるのは 最期の手段
でしょう そんなもの安易に ふりまわさないでほしいなぁ とあきれたことがあります。
よい子でなくて 体罰の恐怖により おとなしい子 となってしまいます。タガがはずれるとどうなるかが心配
です。本当の箴言13:24の適用をお願いします。ということです。


>>ものみの塔 の記述そのものが 二重束縛を用いたり 隠し絵的に 裏の教えをすりこんでいるようです。
>話が跳躍しているようです。

すでに論じましたように 一見矛盾する 論理の板ばさみの部分が あります。
それを 心で調和化しなければなりません。矛盾は矛盾と考えるべきです。
たとえば 教理に関して 肉の業を避ける ということが論じられたとします。
肉の業とはどういうものか が論じられます。次に適用にはいりますが。思いつくこともない ねたみの仕方を
懇切丁寧に会衆に適用して論じてくださいました。 同期のバプテスマを受けた人が 早い機会に特権に与るこ
とを ねたんではならない とか かなりリアルです。神にゆだねた人物なら 思いつくこともありえないこと
です。あれはだめこれはだめ と極めて具体的に教えられました。
それを 注解までさせるのです。
知らなくても 何の不自由もない 知識でした。どうして心にも上らない 肉の業を知識として知る必要がある
のでしょうか?
主宰監督も 同じ思考で 他の人を疑う習性が身についてきていました。
いったい なんなのだ わけのわからんちんだ と訝ること しばしです。
過分のご親切 の話しもそうです。神の恩寵というほうが 古めかしいものの 正確です。
それを 記憶不能の 煙に巻く論理で 過分の親切と訳すほうがよい と論じられていました。
いったいなにがいいたいのか 私にはわかりませんでした。
われこそは 今回の記事を正確に理解したと言わんばかりの 訳のわからん 自慢話を その集会の後 早速聞
く羽目になり うんざりした記憶もあります。
のちに そう翻訳すると都合がいいこともわかりました。組織が人に 恩寵を与えることが困難ななめ 言葉を
格下げしたのです。あくまで 組織が 恩寵を配分する立場を固めるために 過分の親切とすると なんとなく
しっくりくるのです。
協会はご親切にも という枕言葉が 多発されるには都合がいいようでした。
神に献身したが 組織に献身したつもりなど 毛頭無いわけです。無論エホバの証人の模範回答もこうなりま
す。しかし 献身とは行かなくとも 帰依してしまうわけです。ニュアンスの差といえばそれまでですが 王国
の名の元 実質的には 組織献身となってしまいます。
でも 言語の定義からは 組織献身では ありません。なんとも説明のつかない 歯切れのわるい 感覚で 組
織と共に歩むことを義務ずけられてしまいました。
 洞察の本にとっくの昔に記載されていることを新しい理解といい発表されることにもうんざりしたのです。
ぼんやりとした 雲をつかむような 挟み撃ちも経験したように思えます。
ヘブライ語聖書と言う呼び名も 旧約の律法を よみがえらせるには 好都合です。
イエスが イザヤ書を朗読された といえば ヘブライ語だ と直感的な連想をさせるにも 都合がいいようで
す。”王手飛車取り効果”とよぶことにしました。
一部の教会も ご都合主義で 旧約を復活させている事実はあります。
献金の 十分の一 律法を復活させるには 旧約を使わなければなりません。この 十分の一を教会が採用して
いるのを糾弾しつつ ヘブライ語聖書と呼びその旧約の律法を 復活させる ことは 2種類の分銅です。
申25:13 「あなたは自分の袋の中に二種類の分銅を、すなわち大きなものと小さなものと
      を持っていてはならない。

また うやむやな記述もあります。
要するに どこをどう探しても ギリシャ語写本に エホバの御名が ないことを 認めたわけですが そう読
み取るためには注意が必要でした。凡人には考えもつかない 言いまわして テトラグラマトンを復活させる正
当性を主張していました。わたしなど は 思考が単純なので 要するに どこをどう探しても 新約聖書には
 エホバの御名が 全くないことが 判明したとしか読み取れませんでした。1997年の秋頃の研究記事です。
(何月号か忘れてしまいました)。

匿名様は このように考えたことはないのでしょうか? 一度や二度は考えたことがあるはずです。
いいや 普通あるはずです。


>あなたのいう貴族がものみの塔のコピーという結論はどこからでるのですか?
>私は、あなたのいう貴族はものみの塔の厄介者に思えます。
憎まれっ子よにはばかるなのです。では いまこそ ゴミ掃除のときなのです
 ぼくの所属していた 会衆の主宰監督は 厄介ものであるということになります。
あなたに責任の無い事柄ですが事実となります。



>自分で望んで築いた信仰ですから、捨てるのは大変なことでしょう。
>(つまり強い自己否定が含まれるから)
たしかに 自尊心の崩壊の危機に直面します。
時をかけて たてあげた 城が 一挙に崩壊するわけです。表現にこまる 感覚です。
自己否定という感じなのでしょうか。
その痛みをわかっていだだけると うれしいです。


>>だから 互いに うそつきとなるのです。
>なにがうそつきなんですか?
>よく意味がわかりません。
すみません。前提が跳んでいました。
現役の一部の人が 脱会者(多分断絶者のこと)が組織から離れるのは大変だと 大声をあげる というような
主旨の文章をみたことがあります。そして そういう断絶者は うそをいっているとはっきり と言いきってお
られたので そう 書いたのです。
その兄弟いわく 手続きは簡単だを 特別強調しておられました。
そして ”断絶者が 大変だった 苦労した とかたることには 根拠がなく ただ単に 中傷する目的でしか
ない” と本当に兄弟なのかな と思うぐらい強烈に語っておられたからです。
きっと 組織にどどまっている人たちは みんな そうおもっているのかなぁ と 予断してしまったのです。
ただ 私のばあい 現在のものみの塔は 言うこととやることに 矛盾した 分子を容認しているということで
 離れているのであり まっとうになってくれたらいいなぁと おもっている人も 大勢? いるんじゃないか
なぁ と おもぅ・・・・・・・・(情報なし 希望的・・)



>これは私への勧めですか?
勧めといえば そうなります。
私の言うところの 「アムハーアーレツ」たちへの勧めでもあります。


>あなたの文章を読んでくると、どうもあなたが今もエホバを信じているように思えま>す。
わかりますか? そうです。


>>でもそれは エホバが見捨てたとか言うものではありません。
>エホバはどんな人も見捨てていません。
>マタイ5:45
>「それは、あなた方が天におられるあなた方の父の子であることを示すためです。
> 父は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ、
> 義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださるのです」

排斥、断絶に対して 創世記3:15の敵意 を表すことが 重要視されてきました。
貴殿の回答によると エホバの証人でなくても 救われる可能性があるとの 受け止め方ができてしまいます。
そのような回答は ありえません。
それは ものみの塔的には いずれ帰ってくる 可能性を思っての 文面としかとることができません。
なにか また タッキングがあったのでしょうか?
洞察の本によると ありえないと考えます。強いて言えば 放蕩息子の喩えが該当します。


>できたら、あなたがわかりやすく説明してくださると助かります。
>特にそういう観点で個人研究する時間はありません。
背教者ないしは 断絶者が 具体的に 教理を説明できない 彼らはただ 闇雲に否定するだけである
と 私もこってりおそわりました。じっさい たとえ具体的に指摘されても、個人研究の時間が取れない とい
う現実は わかります。忙しさは 半端ではないことも理解しております。
また こちらも 聖書を再び学びたいとおもっておりますので 時間の点努力します。


ベトサレムの売却理由
>とりあえず、「ふれ告げる」は2度ほど読んでいます。
>組織内の問題をどう見るかで世界は変わります。
売却理由に関して言えば だれが なんと言おうとだれがどう見ようが 不鮮明、不明確な部分であることだけ
は 間違いありません。


>>組織内に 罪悪感を鼓舞される人々「アム ハーアーレツ」が
>またしても、例えの誇大適用。
アムハーアーレツの意味に食い違いがあるだけのことです。



>見えるものを信じるのは誰でも出来ることです。
>わたしは見えないものを信じられる人でありたい。
見えるものを論ずることは 無能な私でも かろうじてできるのですが。
見えないもの・・・・・
難しい話しです。この点は 私の理解、能力からして 応答不能です。
ヘブ11:1 信仰とは$望んでいる事柄に対する保証された期待であり、見えない実体につい
         ての明白な論証です。
残念なことに 今もこの聖句の意味は 全く理解できません。


>あなたの神への信仰は確かなようですね。
そのことにより 平安はあります。


>わたしはたとえ「いじめられ」たとしても
>あなたのようにこの組織を捨てるつもりはありません。
>問題を解決できる人でありたいと思います。

そうできる人は いいのですが 能力が欠如している場合 適応不能がありえます。
適者生存 の組織なのでしょうか?


>宗教論争をする気も、教理を議論するつもりもありません。
宗教論争をしたつもりはありません これも私が独断で行った インタビュー の報告です。
今の私には 実際問題 十字架か杭か、神は三位一体か などどうでもよいことです。
ただ 信仰があるのです。



>ただ、ものみの塔もキリスト教会の教えが全て偽りであるとはいっていません。
>それに例えば、教会の過去の宣教士たちの働きもある程度評価しています。
「偽りとはいえ キリスト教世界の働きによって 人々は 一種のキリスト教に触れることができた。」
という コメントと
「 ある程度評価している」
とは かけ離れているのでしょうか。それとも 調和しているのでしょうか。
 同業者の バッシングみたいに聞こえます。
マタ15:14 彼らのことはほっておきなさい。彼らは盲目の案内人なのです。それで、
       盲人が盲人を案内するなら、二人とも穴に落ち込むのです」
      そう思うなら ほおって置くべきです。
本当に 目を開いてほしいと思う という動機での活動なら 賞賛に値するのですが・・・・
他の教会を 肯定しているとは 到底理解できません。
むしろ 糾弾することに 主眼があると見るのが 客観的です。



>>ものみの塔誌が一般に配布されているから
>>彼らも真理の一部をしっているのだとの主張は ものみの塔の論理でしかありません。
>そんな理

《編集者より》
非常に長いコメントで、メールが途中で切れているようです。特に私から付け加えることはありませんが、この続きがありましたらお送り下さい。