エホバの証人の良いところを議論する

Sさんより(2-16-97)。

 いままでに、「エホバの証人との間には分厚い「壁」があり(10-11-96)その壁を通すと
向こうの世界は互いに歪んで見えてしまう。その是正には対話が必要であり(1-12-97)そ
の第一歩は、相手の良いところを認めることではないか(2-2-97)」と投書させていただき
ました。

 しかし、批判している相手の良いところを真に認めることは、決してなまやさしいことで
はないと思います。見下している態度を変えないまま、しかも自分の物差しで相手の良いと
ころを探そうとしても、決して見つからないでしょう。冷笑しながら「まあ、ここはまとも
かな」で終わってしまうでしょう。もともと壁の向こうの世界は奇妙に歪んで見えています。
こんなへんてこに良いところを認めるなんて!との嫌悪感が先に立つのでしょう。さらには、
自分の依り立つ基盤が脅かされることに対する無意識の恐怖感もあると思われます。
 とんでもない!と切り捨てるのは簡単・明瞭で気持ちがいいものですが、実は公正な真実
から逃避しているとも言えます。これらの困難を克服して批判相手の良いところを真に認め
るためには、しっかりした理性と大きな勇気が必要なのでしょう。
(ちなみに、エホバの証人を目覚めさせようとする人は、この大変なことを強要しているこ
 とになるのですね。)

 さらに、エホバの証人の良いところを認めるだけでなく、良いところの研究を進める必要
があると思います。これは対話のためだけではなく、むしろエホバの証人をより理解し、そ
の本質に迫るためです。エホバの証人の問題点についての研究は、このサイトも含めてすで
に質・量ともかなりのものが公となっています。しかし、これらはエホバの証人の問題点を
厳しく批判するあまり、このようなアプローチは全くなされていません。
 実際、エホバの証人にこれらの批判的な情報を与えてもほとんど心は動きません。これは
彼らにとっては予言はずれなどのマイナス面よりも、良いところへの魅力がとてつもなく大
きいからに他なりません。すなわち、この良いところが壁を強固にしています。したがって、
良いところの研究からのアプローチは、エホバの証人を目覚めさせようとする場合にも非常
に有効と思われます。

 そこで提案なのですが、このページでエホバの証人の良いところを議論してはどうでし
ょうか。例えば、エホバの証人の良いところとして、信仰の深さ・人柄の良さなどがありま
す。信仰の深さでは聖書への全面帰依・神への畏怖心の強さ・信仰と生活との一致などが特
徴的ですし、人柄の良さとしては温厚・誠実・熱心・真面目さなどが際立っています。これ
らの良いところはどうやって生み出されているのでしょうか。
 マインドコントロールによって信仰に縛られているだけなのでしょうか。このような性格
の人しか集められないのでしょうか。確かにこのような面もあるかもしれませんが、なにか
もっと本質的なものがあるように思えます。そして、これがエホバの証人を理解するカギに
なるように思えます。皆さん、いかが考えでしょうか。

《編集者より》
エホバの証人の良いところは何か、なぜそのような良いところが生み出されるのかの議論をすべきだとのご指摘ですが、その議論は連日、世界各国で計5百万人、日本だけでも20万人が総出で行われています。先ず日本人や他の自由主義の国の国民であれば、少なくとも一度はエホバの証人の訪問を受けてその「良いところ」を学ぶ機会を与えられているはずです。(実際に学んだかどうかは別問題ですが)これに対してエホバの証人の問題点を指摘する議論はどれだけ行われているでしょうか。たまたまインターネットでは批判派が先手を打ったために、批判的な議論が圧倒的な印象を受けますが、実際に世界的に全ての人口を見れば、批判的な議論はものみの塔協会の「世界企業」としての圧倒的な資力と人力の前に風前のともしびと言えるでしょう。

私はエホバの証人の良いところを議論することにより、「壁」が取り除かれる可能性があるという提案には賛成します。私はいつも、エホバの証人と対決姿勢をとることは、お互いに何の進歩ももたらさないということは自分の経験から知っています。先ず、コミュニケーションの経路を確立することが第一です。しかし、私は彼らの良いところに関しても批判の手を緩める積もりはありません。なぜなら、彼らの表面的な良いところには必ず「裏」と「条件」があるからです。Sさんの指摘される温厚・誠実・熱心・真面目さもほとんどの場合一定の条件の元であって、条件が異なると彼らは全く別人になります。研究生に対しては特にその表面的な良さが前面に出されるので、多くの人々はSさんのような疑問を持たれると思います。しかし、その実態を知ると、いかにその美しい表面の下に他のごく普通の人間と同じか、時にはそれよりひどい不誠実・不真面目が顔を見せるかが分かります。

Sさんのおっしゃる「実際、エホバの証人にこれらの批判的な情報を与えてもほとんど心は動きません」という見方は、短期的に見て、また少数のエホバの証人を見る限りその通りかも知れません。しかし実際はたくさんのエホバの証人がこのような啓蒙運動を通じて、「目ざめる」経験をしています。是非、元エホバの証人の体験談、証言を読んでみて下さい。このような運動は全く無駄であるとは言えないと私は思います。世の中には色々な人間の活動がありますが、ある時に目がさめて、何故自分は今までこんな馬鹿なことにだまされていたのだろう、という経験をするものはそんなに無い思います。そのような人、そのような体験がある以上、私は啓蒙運動の必要性は無くならないと思います。

Sさんには、どうかエホバの証人の良いところを議論する投稿をお願いします。私はそれを喜んで掲載します。しかし、同時に批判の記事も更に載せていくつもりです。結局そのような自由な議論ができれば、私はこのウェブサイトの目的の半分以上は達成されたと思っております。