「日本の匿名希望のエホバの証人」への質問に対する答え

(2-14-99)

「日本の匿名希望のエホバの証人」への質問に対する答えです。

「日本の匿名希望のエホバの証人様への質問」に対するあれこれ
BY 「日本の匿名希望のエホバの証人」

>なぜ 「アム ハーアーレツ」 なのですか
>私が選んだ私の僕 と神が言われる唯一の組織に属していることを誇るように訓練
されていたと記憶しております。

あなたの持っていた「誇り」と私が持っている「誇り」はどうやら、別物のようで
す。

>いつだったかの記事で世でひとかどの者となるのではなく
>エホバの証人としてひとかどの者となるように励まされていたはずです。

全くその通り。
一角:一人前であること(広辞苑より抜粋)

>”大半は”,「アム ハーアーレツ」 と書かれているところをみると
>かなりのエホバの証人は ”会衆内で”虐げられていると読めます。

だれが会衆内で虐げられているといいましたか?

>そう読めてしまうのわたしの経験からです。

つらい経験をされましたね。
私も個人的なレベルでいわゆるいじめやいやがらせがあることを認めています。

>といいますのが 外部の者から虐げられていたとしても
>「アム ハーアーレツ」 と ”自分を”粗末に表現することは
>ものみの塔の(=エホバの証人の)ポリシー(当然建前)に真っ向から違反するもの
だからです。

あなたの考えるものみの塔のポリシーってなんですか?
聖書でも人は「塵」に例えられていますけど。
イザヤ40:15にはこうあります。(新世界訳。以下同じ)
「見よ、諸国民はておけの一しずくのようであり、彼らははかりの上の塵の薄い層の
ようにみなされた。
 見よ、神は島々をもただの微小な塵のように持ち上げられる」

>そういう意味では いわゆる背教的表現だと思ったのでお頼りしました。

おいおい私は背教的ですか?
初対面の人にずいぶんと過激なお言葉。

>思い当たることがあります。
>匿名希望様の心情”合致”するかどうかは 確信ありませんけど hi

わたしが「アム ハーアーレツ」という言葉を使った主旨とはなにかかけ離れてきま
したね…

>エホバの証人の組織のなかで ”胃腸に負担のない人々”はほとんどいません

エホバの証人でなくても”胃腸に負担のない人”はほとんどいないのではないでしょ
うか?
それは胃腸薬のTVコマーシャルの多さからもわかります。

>裁かれる立場にある人は そのこと(裁かれること)が 大きな負担となります。
>また裁く立場にある人は人々を観察することに忙しく評価に忙しいようで胃が痛い
みたいです。

あなたの「裁く」という言葉を何を指しているのか?
会衆の長老団(あるいは審理委員会)による裁きか?だとしたらあなたの言うことは
事実に近いと思います。
それともいわゆる私刑(個人的なレベル)のことか?だとしたら無駄な痛みですね。
(裁く側も裁かれる側も)

>噂話が得意な ”イゼベル”級(男女問わず)の人たちはそれなりに平安がない様
子です。
>彼ら(彼女ら)イゼベル達は
>弱い立場の人々がつぶやくと噂話をする霊性の低い人々と弱い立場の人々を非難し
ますが
>自分たちが語ることは ”評価、洞察”といってはばかりません。

多分、神もあなたと同じように「イゼベル」たちを見ているでしょう。

>弱い立場の人々というのをいまさらながら再確認すると、体力がないというのがほ
とんどです。
>逆に強い立場というのは体力がある、つぼの中に金塊をもっているというのがほと
んどです。

>補助開拓や開拓伝道をしながら寄付をしながら家賃を払いながら
>自動車を維持しながら自活していくことは容易ではありません。


なるほどそうですね。
でもね、私も自活して開拓奉仕をしていましたが(独身時代も結婚時代も)
今のフルタイムの(いわゆる世俗の)仕事に比べれば容易でしたね。
甘い考えで開拓奉仕(全時間奉仕)に入る人は意外と多いのかもしれません。
世間もエホバの証人の社会もそんなに甘くないんですよ。

>体力がないにもかかわらず命を削ってそうされている人々がいる事実は否定しませ
ん。


私も否定しません。
無理なら開拓奉仕をやめればいいのです。
コリント第二9:7
「各自いやいやながらでも、強いられてでもなく、
 ただその心に決めたとおりに行ないなさい。
 神は快く与える人を愛されるのです」

>実際開拓奉仕を励まされて励まされて逃げるに逃げられず
>無理して開拓奉仕を1年ばかりされたため
>もう二度と語ることができなくなった人がいます。
>つまり 亡くなられました。
>会衆がその老齢の姉妹を殺した事件といえるでしょう。
>刑事責任は全く問われない 殺人です。
>そう まさに 完全犯罪です。
>後に大会で開拓奉仕に対する熱心の模範として 威風堂々 と語られました。
>完璧としかいいようがありません。

あなたはこの姉妹についてどの程度知っているんですか?
まさか聞いた話ではないでしょうね。
あるいはあなたは、この姉妹と個人的な付き合いなどがなかった人ではないでしょう
ね。
その姉妹は臨終の時、どんな様子でしたか?
詳しいことを、しらないのでしたら、こういう形で話を提供するのはいささか軽率で
すよ。
私の妻の祖母も年老いてからエホバの証人になり
亡くなったその日まで補助開拓をしていました。
体力のない人でした。(いわゆるあなたのいう弱い人)
あなたのような人には詳しく話したくありません。

>話をもとにもどします。
>1 知能が高く(平均的と言う意味)体力がない 場合
>いじめにあうことは 間違いないようです。
>”言うだけ言うが 業が伴わない。”と”正当な”評価をされてしまいます。
>独身であるならば なおさらいじめられるでしょう
>たとえば(結婚する資格がない とかなんとか)
>「へー 結婚というのは ”資格” だったの!しらんかった  ”三高” じゃ
無かったんだ hi」
>と返答して 白い目攻撃をくらったことがあります。
>さらに体力のない成員で開拓ができてない人+世俗の特殊技能があれば もっとい
じめられるでしょう。
>特殊技能があるとかいうのにロクに自活もきない とか なんとか 影で非なんす
る
>資格ある立場の人々からのいじめは じわじわと忍び寄ってきます。
>資格 −> 祝福 との連想が あります。
>要するに 開拓奉仕できない −> 根性がない、口だけ、信仰がない、
>霊的なことをまじめにしないから 祝福がないとなります

もしかしてすべてあなたが体験したことではないでしょうか?(違っていたらお許し
下さい)
会衆内の、資格はあるが霊性の弱い人なんかをまともに相手にして(真に受けてむき
になって)はいけません。
クリスチャンの間に問題が生じるのは問題ではありません。
1世紀の使徒たちでさえ愚かでくだらない問題を起こしています。
大切なのは問題が生じた時どうするかです。
できれば双方が(あるいは片方でも)聖書に基づいて問題を解決できなくてはいけま
せん。
それができないのが問題なのです。
(つまり当事者であったあなたが問題だったのかもしれません)

>2 逆に 知能が低くても(平均的と言う意味) 体力があるならば
>夜中に世俗の仕事をして 昼は開拓奉仕、そして長老、神権家族ができ
>馬鹿なことを語っても 業がある つまり信仰がある つまり霊的にすばらしい。
>と ”正当な”評価をされます。
>要するに 開拓奉仕ができているなら
>何をやっていても(影でどんな悪事を行っていても)ばれなければ OKなので
す。

エホバ神にはばれています。
その人の見せ掛けの信仰は無駄です。

>なかには 自宅近所の留守であることが間違いのない 家々を扉をたたいて開拓奉
仕する人もいます。

もしかしてあなたの身近にいた人の話ではないでしょか。(違っていたらおゆるしく
ださい)
はっきりいって「ひがみ」の文章ですね。
ガラテア6:4、5にはこうあります。
「むしろ各人は自分の業がどんなものかを吟味すべきです。
 そうすれば他の人と比べてではなく、だた自分自身に関して歓喜する理由を持つこ
とになるでしょう。
 人はおのおの自分の荷を負うのです。」

>3 また まれな存在ですが 資力(資産)があるばあい
>夜はよく寝て、昼は仕事もせず開拓奉仕、そして夕方長老と 
>そして集会では他人事のように”仕事を調節して 開拓奉仕に励むように”抜けぬ
けと助言をします。

またひがみ。
エホバの証人でなくても、エホバの証人でも金持ちはいます。
金持ちはある面で有利な立場にあります。
金持ちの行動や言葉をどうとらえようとあなたの自由ですが、
上の文章は、単にあなたのひがみを披露しているだけでみっともないですよ。

>また少し脱線しますが。


脱線もしてるし、エホバの証人に対する批判と、自分の中の悪感情が混ざっているの
では。

>伝道活動が 苦手な(体力がないを含む)自活している独身女性は
>結婚にある種の恐怖を感じるようです。(実態をしっているだけに)


あなたがどの程度「実態をしっている」のか疑問です。
まさか傍目にそう見える(あるいは見えた)だけではないんでしょうね。
まさか、「イゼベル級」のように安易な「洞察」をしているのではありませんよね。

>そう言う人の 頭のなかでは 
>結婚(ものみの塔の奴隷との)−自活から開放−夫婦そろって貧乏暮らし−開拓奉
仕−ヒエー勘弁して 


これもあなたの「洞察」ですか?
あなたのいう「伝道が苦手で体力がなく自活している独身姉妹」の頭の中の話を
あなたは直接(あるいは信頼できる筋から)聞いたのですか?
失礼ながらあなたのような人に、そういった類の相談をする姉妹はいないと思います
けど…

>伝道が苦手で 特権のない 若い男子は 結婚の資格も剥奪されます。


剥奪されているのではなく、結婚してくれる姉妹がいないだけでしょう。
エホバの証人でもエホバの証人でなくても、結婚を望んでも魅力のない人は結婚でき
ません。

>結婚(ものみの塔の奴隷との)というおぞましき可能性はないので ある面安心で
す。


ものみの塔の奴隷(いわゆる兄弟・姉妹の事?)と結婚したくない人は
自分も会衆を離れて兄弟や姉妹でない人と結婚すればいいのです。
どうしても自分は会衆にとどまりたいけど、結婚相手は兄弟や姉妹でない人がよけれ
ば
そうもできます。

>”霊的”な兄弟姉妹が 結婚して 破綻ということは最近特に目立ちます。
>これも 結婚資格主義の生み出す弊害でしょう。


「特に目立ちます」といっていますが
現役のわたしの知っている限りでは、そういうのはぜんぜん目立ちませんけど?
どこかの会衆とか地域とか国では「特に目立」っているのでしょうか?

>非現実的な期待を抱いて結婚するケースが増えているようです。

これは若くして結婚する人(もちろんエホバの証人でなくても)に共通の課題です。
まあエホバの証人でない人が、若くして結婚する人は「できちゃった」がおおいみた
いですけど。

>さまざまなテストに合格して結婚の資格を身につけたことになっていますから

そんなのないって。どんなテストがあるの?

>現実は厳しいと言われても なにかしら薔薇色を連想して いる若者も多く存在す
るようです。
>夫婦の会話は 連絡ボード を通して という 音声による会話がないという場合
も
>最近増えているときいています。(エホバの証人内での噂です) 

また、根拠の乏しい話ですね。
あなたはエホバの証人のうわさを信頼しているんですか?それともしてないのですか
?

>噂話をしながら評価とうそぶく貴族 と 評価されるしかない奴隷(土の民) が
存在する組織
>噂話が禁止されているので 彼ら貴族は 評価の話をするのです。


「貴族」の「評価」もうわさです。
エホバの証人はうわさをしないように教えられています。
またうわさをしないように努力しています。

>実質は 長老団の集まりは 噂話会合としかなっていません。

あなたは元長老ですか?
長老だった場合:長老団の会合に参加していたあなたにもうわさ話をしていた責任が
あるのでは。
        自分のしていたことをネタにして、エホバの証人を非難するのはお
門違いでは。
長老でなかった場合:どうしてその会合の様子をしっているのか疑問です。
          またしても根拠の乏しい、あなたの「洞察、評価」にもとづく
話になり、
          あなたの主張は無効です。

>実質的な意味では エホバの証人ほどうわさずきな集団は珍しい 存在といえま
す。

否定しません。
協会は何度も繰り返し噂話を注意する記事やプログラムを提供しています。
その理由は、相変わらず噂話が後をたたないからでしょう。

>質問2
>このような 実態に気がついているものの いつか いつか 必ず、必ず
>エホバが エホバが 神が、正してくださる
>という 希望(儚い望み)をいだきつつ 生きていくしかない
>弱い立場の存在があることに気付いておられるのではありませんか。

あなたと同じような見方しかできない人がエホバの証人の中にもいることは否定しま
せん。
また、エホバが(あなたが言うような問題を含め)全てを正してくれるという希望は
エホバの証人の信仰の基盤です。

>「アム ハーアーレツ」は まさに 靴のそこについた 泥のような
>もしくは 踏みつけられるに値する 泥 クズ カス のような ものさす言葉で
す。
>その言葉を 自らに当てはめるということは 信じがたく思われます。

例えというのは適用範囲があります。
そういう極端なことをいうならば、本も、会話も、電子メールも成り立ちません。
あなたのような論議は俗に「あげあしとり」といいます。

>なにか そう言わせる圧力が組織”内”にあるのではありませんか。
>ものみの塔聖書冊子協会は エホバの証人の便宜のためだけに存在するものです
(建前)

どういう意味で書いているのかよくわかりませんが、
ものみの塔協会の設立の目的は、法的な制度を利用して、王国の業(教育と宣教と出
版)を推進するためです。

>実際はご主人となっています。

>日本の各会衆は 海老名支部から命令を受けているようなものですから。
>(実質 無論 統治体は絶対であるが。)


エホバの証人は好きでエホバの証人になったのですから、現在の組織のやり方に従う
のは当然です。
いやなら、やめればいいのです。

>その型にならい 会衆の長老が 穏やかな顔で 威張り散らす
>長老支配が 実際にはなされているということ 
>そのことを 自嘲的に 表現されたかったのでしょうか。

最近、威張る長老はめっきり減りましたよ。
そういう人たちはあなたのように組織から出ていっています。

>そうであれば ものみの塔は パリサイ派であることを 証言されたと同じです。


特に日本人は規則好き、取り決め好きですから(つまり決まりがあってみんなと同じ
なら安心)
これはエホバの証人に限らず国民的な傾向ではないでしょうか。
あなたの論法では 日本人はみなパリサイ人 という事になります。

>実際 世話の焼ける 長老は 大勢いらっしゃいますね。

否定しません。
でも彼等は愛すべき兄弟たちです。
(もちろんあなたのように反感の目で見ればみんなどうしようもない人たちに見える
でしょう)

>また ものみの塔の教科書にもない ”長老の妻”という 神権的立場も存在する
ようです。
>世話の焼ける ”長老の妻”の世話も大変でした。

あなたは人から影響を受けやすい人ですね。
勝手にそのような人を「長老の妻」と定義して、聞きしたがっていたんですか?
あなたは世話好きですね。

>ものみの塔誌上では”表向き”読み取れない 裏の教えを広めるためには彼女達は
 よく働いているようです。
>(たとえば 子供を ホースを丸めた鞭で しばきたおす など)、
>「ものみの塔誌にはこう書かれているが 現実は こうなのだ」という ”本当の
教え”が 存在するのです。
>(二重の教理)


あなたは、あるエホバの証人がいっていることを
「本当の教え」と見なしていたのですか?
どうやらあなたは、情報を見分けるのが苦手のようですね。
箴言13:24
「むち棒を控える者はその子を憎んでいるであり、
 子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める」

>ものみの塔 の記述そのものが 二重束縛を用いたり 隠し絵的に 裏の教えをす
りこんでいるようです。

話が跳躍しているようです。

>最後にエホバの証人(クリスチャン)会衆内の 「アム ハーアーレツ」たちに
(矛盾表現?)
>ほとんどの 「アム ハーアーレツ」たちは 恐怖政治のなかに置かれています。
>貴族は神の威をかたる狐となっています。
>この組織から離れると 死がまっているとの 恐れを用いながら
>貴族たちは 言いたい放題となるでしょう。
>まさに ものみの塔のコピーとかれらは されているのです。


あなたのいう貴族がものみの塔のコピーという結論はどこからでるのですか?
私は、あなたのいう貴族はものみの塔の厄介者に思えます。

>「アム ハーアーレツ」 こそ ”神の目に あなたは 貴重です” という言葉
>を忘れないように願いたいものです。
>”私には信仰があります。人が(組織が)私になにができよう”
>と考えることもできるかもしれません。


まさにその通り。

>組織から離れるには 信仰が必要なばあいがきっとあります。
>死の恐怖に打ち勝たねばならない場合がほとんどです。
>ここが 組織から離れるのが大変といわれるところです。

自分が望んで築いた信仰を捨てるか捨てないかの問題です。
自分で望んで築いた信仰ですから、捨てるのは大変なことでしょう。
(つまり強い自己否定が含まれるから)

>物理的には 長老団に対して 「では 失礼します」と一筆書くという単純きわま
りない
>手順でOKです。
>そうすると 近隣会衆まで連絡が行き渡ります
>ただそれだけのことです。簡単なものです。


おっしゃる通り本当に簡単です。
エホバの証人になるのは簡単ではありませんが、離れるのは簡単です。

>心情的には大変だが 手続きは簡単
>脱会経験者は 前半を(心情的には大変)を強調しますが
>脱会者を送り出す側は後半(手続きは簡単)を強調するだけです。
>だから 互いに うそつきとなるのです。

なにがうそつきなんですか?
よく意味がわかりません。

>全く心が痛まないことに誰も離れる人々に対してエホバの証人は同情しません。
>去りゆく「アム ハーアーレツ」のために 泣く人など一人もいません。
>会衆から一人減ることを悲しむ人は いますが
>”あなた”がいなくなることを悲しむ人などだだの一人もいません。
>だから心配しなくても 大丈夫なのです。
>そう”去りゆく「アム ハーアーレツ」”など組織にとって
>まさに”あなたは組織の目にとって ただの ゴミ” ベリアルなのです。


これは私への勧めですか?
どんな信仰を築くか、捨てるかは全く各自の自由です。
しかし、組織にいる人間にとって
兄弟姉妹が増えるのは喜びですし、減るのは残念なことです。

>神の目に貴重で尊く組織の目に ゴミ なのです。
>”すこしばかり” 神と価値観のことなる組織といえるでしょう。hi

どんなに頑張っても
神と全く同じ価値観をもつまでに、人はなれません。
あなたの文章を読んでくると、どうもあなたが今もエホバを信じているように思えま
す。

>組織からでると生活に困ることがあります。
>でもそれは エホバが見捨てたとか言うものではありません。

エホバはどんな人も見捨てていません。
マタイ5:45
「それは、あなた方が天におられるあなた方の父の子であることを示すためです。
 父は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ、
 義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださるのです」

>急激な変化を多くの人が苦手とする例に過ぎません。
>場合によっては 出る前に準備する必要があります。
>(費用をよく計算してね特に仕事の絡みがあるばあい。)
>もちろん 脱獄準備中であることを 誰にも語る必要ありません、
>他の人はそんなことに関して知る権利などないのですから。
>(洞察の本”うそ”の項目参照のこと)
>信仰をもって ものみの塔の組織からでた人々が 餓死したという話は聞いたこと
がありません。
>きっと 大丈夫です。
>川に 1歩足を入れたら 水が引いたという物語がありますが
>1歩の勇気とちょっとしたスパイスが必要です。

離れる方法を具体的なアドバイスですね。
もし私へのアドバイスでしたら、ありがためいわくです。

>自らを「アム ハーアーレツ」呼ぶ人は
>一字一句 使徒たちの活動を読むことをお勧めします。
>いわば組織のあり方 1世紀のクリスチャン使徒たちの活動ですから
>本当にそう言う風に組織が運営されているかを 丹念に研究してみてください。


できたら、あなたがわかりやすく説明してくださると助かります。
特にそういう観点で個人研究する時間はありません。

>1世紀のクリスチャンが 自分たちを そう呼んだ記録は 記憶にありません。
>でもそう認識していた人々がいたのでしょうか?。

わかりません。

>私にはパリサイ人によって虐げられた人々「アム ハーアーレツ」が
>そこから開放されたとしか読めませんが 偏見でしょうか。
>「アム ハーアーレツ」 + 良い便り −>自由の民

その通りだと思います。

>洞察の本などで当時の背景を調べながら研究されることをお勧めします。
>”ふれ告げる” がエホバの証人の活動ですので 重ね合わせて見られるとよいと
思います。
>”ずれ”を どう見るかで 世界が変わります。

そうですね。
同じ事を知っても、どう見るかで世界は変わります。

>発展とみるか 退化とみるか 進化とみるか、背教とみるか おまかせします。

>”ふれ告げる”にあるラザフォードの金銭の使い方は 興味深く感じた記憶があり
ます。
>ベトサレムでしたっけ 売却時の理由が傑作でした。
>詳しい理由はなく 十分用を果たした とかなんとか 書かれていました
>いったい その家はどう十分役割をはたしたのでしょうか。
>ご自分で ”ふれ告げる”の本からしらべてみてください。
>どこにも納得のいく理由は見つからないとおもいますが。
>ここにも”知る権利”が絡んでいるのでしょうか。
>聖書と 洞察の本 と ふれ告げるの本 をしらべれば
>なぜ 匿名希望様が「アム ハーアーレツ」とご自分を呼ぶように”させられた
か”がみえてくると思います。

とりあえず、「ふれ告げる」は2度ほど読んでいます。
「洞察」は全部読んでいませんが、いつも参照しています。
自分を「アム ハーアーレツ」と呼ぶようにさせらた記憶はありません。
あなたも言っているように、
組織内の問題をどう見るかで世界は変わります。

>ものみの塔流ですが 腐った木は ”立派な実”を生み出すことができません。
>”実”よってしられるでしょう。
>組織内に 罪悪感を鼓舞される人々「アム ハーアーレツ」が

またしても、例えの誇大適用。

>多数存在するという”実”であり現実をよくみてくださいますように。
>日本の匿名希望のエホバの証人様へお願いいたします。
>少なくとも”見たら”信じる人であってほしいと願ってやみません。


見えるものを信じるのは誰でも出来ることです。
わたしは見えないものを信じられる人でありたい。

>”真理”を語る前に ”事実”をみるのも必要かもしれません。


まさにその通り。

>「アム ハーアーレツ」たちにこそ イエスが特に目をかけられたことを
>思い起こしてくだされば 幸いです。
>組織内で虐げられている人々に
>イザ42:3 彼は砕かれた葦を折らず、薄暗い亜麻の灯心については、それを消すこ
ともない。
        彼は真実のうちに公正をもたらす。
>詩56:11 わたしは神に信頼を置きました。わたしは恐れません。地の人がわたしに
何をなし
         得るでしょうか。
>の2つの聖句をおくります。


あなたの神への信仰は確かなようですね。

>いずれにせよ エホバの証人の組織は 「アム ハーアーレツ」である 嘆きの
人々 に値しません。


それは各自が判断することで、あなたはそのように結論したんですね。

>墨つぼをもった御使いが 嘆息する人々の額に しるしをつけていった という
>エゼキエルの幻を思い起こすことができますね。
>神の名を語る組織 のなかで 嘆息する人々も
>このしるしをつけられている人々にふくまれていると 思いたいものです。
>かれらこそ 雑草の中に生えた 小麦ではないでしょうか。
>当座は 雑草のごとくたくましくあってください。
>雑草達に 小麦であることを気付かれるといじめられますよ

わたしはたとえ「いじめられ」たとしても
あなたのようにこの組織を捨てるつもりはありません。
問題を解決できる人でありたいと思います。

>”エホバ”の組織つまり エホバが所有される組織ではなく”エホバの証人”が隷
属させられる組織です。

>わたしには どうひいきめに見ても(つまり内部から18年間観察しました )
>霊にみちびかれている組織とは おもえません。
>偏見でしょうか?


偏見ではなく、あなたの結論です。

>タッキングは どう見ても 洞察の本(英文)が出版された時点で終了していま
す。
>が新たな真理が見えてきたと小出しにもったいぶって 大会などで発表されている
ようにしかみえません。

>洞察の本は ほとんどいたるところ再臨待望派教理のデッドコピーです。
>3つの異なるキリスト教団の牧師と 洞察の本を元に対話して確認しました。
>異なっているのは 主に神権用語の違いです。
>同じことを違う言葉で言い換えている場合がほとんどでした。
>同じ言葉が違う意味で用いられていることが多く発見されたのです。
>クリスチャンとは 通訳がいなければ デートもできません。hi
>対話をはじめた初期のころは 異端がやってきたと 距離を置かれていましたが、
>しばらくするとある牧師いわく
>「言語の壁がなければ極めて近い存在です エホバの証人にたいする考えかたがか
わりました」とのことです。
>エホバというお名前についても こうコメントされました。 
>「イスラエルとの契約の名ですから 発音はともかくとして いわば 昔の名で
す。
>それを用いたところで 神様がお怒りになるとも思えません
>が そのお名前は イエス様(エホバは救い)が 引き継いでおられます
>御子であられますから 当然といえば当然と思います
>また 父なる神に キリストイエスの 犠牲の名を 通して 祈る という点も 
同じです
>聖霊様に対する 理解は 違っているようですね
>でも エホバの証人にたいして親近感がわきました。たずねてくださって感謝しま
す。
>三位一体については 定義は理解しているつもりですが正直なところ感覚的には私
もよくわかりません。
>大体人間が神様を定義すること自体無理があるように思えます。
>共通点をとりあげると 父なる神 がおられ イエスは御子であり あがない主で
あるということです。
>だた イエスに単に敬意をささげる ではなく 崇拝するのです
>翻訳をいくら変えても 原文は 変化しません。
>神に対してひれ伏す という原語と同じ言葉はイエス様に対しても用いられている
ことは否定できない事実です。
>人に対して同じことばが用いられている部分は聖書の中に確かに存在はしますが、
>それも 王とかという高い立場にしかもちいられていないと記憶しています。
>少なくとも 高い立場に対して ひれ伏すことを示しているのです、
>イエスに対して ひれ伏すように神から命ぜられていることをどう思われますか?
>単に敬意を表すと理解しますか?
>神様は 他の御使いに関してこのようにいわれたことはありません」
>肩透かしをくらったおもいでした。
>ものみの塔の理屈によると 真理をしることは キリスト教会には 許されていな
いはずです。


あなたの今の「信仰」のいきさつですね。
質問とはおもえないのでコメントする気はありません。
宗教論争をする気も、教理を議論するつもりもありません。
ただ、ものみの塔もキリスト教会の教えが全て偽りであるとはいっていません。
それに例えば、教会の過去の宣教士たちの働きもある程度評価しています。

>ものみの塔誌が一般に配布されているから
>彼らも真理の一部をしっているのだとの主張は ものみの塔の論理でしかありませ
ん。


そんな理論は初めてききました。
どこの載っていたのでしょうか?

>異端としてさけている組織の雑誌を読むことなど 思いつくことすらなかったよう
です。
>確率的には ものみの塔が批判する教会の姿はありえますが、
>同様に同じ確率でひょっとしたらもっと高い確率で
>ものみの塔が非難するところの不品行は ものみの塔内部にも発生しているので
す。
>どの程度ですか 毎年4万人が排斥となる事実からわかります。
>大半は不品行です。
>ほぼ500万人のエホバの証人の 1%弱はものみのいうところの不品行です。
>氷山の一角でしょうきっと
>おそらく成員の 1%が不品行という集団が神の純潔を代表しているとは思われま
せん。
>発覚していない部分を考えると ぞっとします。
>弱者をいじめて 良い子を演じている 曲者を含めると
>彼らの罪は 天に達していることでしょう。
>恐らく 20〜30%は 純潔とはいえないと思います。


それらが発覚した段階で(そして当人が悔い改めない場合)排斥をしていることは
エホバの証人の組織が健全である証拠だと思いませんか?
キリスト教会はその点、どんな処置をしているのでしょうか?

>弱者をいじめる長老を支持する成員も同罪です。
>永遠の命を捨てでも(長老に嫌われるということ)

長老に嫌われたからといって永遠の命を失うというのは
エホバの証人の見解ではありません。
あなたの見解ですか?

>友のために真実を語るという態度を18年間見たことはありません。


あなたより長く組織にいる私は、真の友情を何度も経験しているし、見てきました。

>強いものに加担するという態度が聖霊の名のもとに 当然となっているのです。
>都合が悪くなると 聖霊が正す といいのがれする人生 まさに 言い訳の人生が
 彼ら の生き方です。
>人はつまり あの組織も 神の前に 言い開きをしなければならないのです。
>そのとき誰がたちえるでしょうか?

あなたの感じたことだけでエホバの証人を判断するのは納得できませんが、
次の聖句を贈ります。
詩篇130:3
「ヤハよ、あなたの見つめるものがとがであるなら
 エホバよ、いったいだれがたち得るでしょうか。」

>乱文となってしまいました、 
>ものみの塔の組織ないに は私の観察によると
>「アムハーアーレツ」という いじめをうける立場と
>貴族という 聖霊の権威をかさにきる 立場が あるとおもいます。
>そのことを  日本の匿名希望のエホバの証人様は感じてのこととおもいます。

いくらか語弊を感じますがあると思いますよ。

>元  「アムハーアーレツ」より 愛をこめて 


どんな種類の「愛」なのか…


>《編集者より》
非常に多岐にわたるエホバの証人の世界の内部問題を指摘して質問されています。
「匿名希望のエホバの証人」の方から回答の頂けることを期待しています。エホバの
証人内での「律法主義」「形式主義」は「現代のパリサイ人」として度々指摘されて
いましたが、このように内部からの具体的観察として語られると、実感を持って感じ
ることができます。そして、かなりのエホバの証人が、最下層でストレスと戦いなが
ら、ハルマゲドンと地上の楽園を今か今かと絵に描いた餅のように空しく見据えなが
ら、生活していることも事実でしょう。「アムハーアーレツ」という言葉が日本のエ
ホバの証人の間でどれだけ日常的に使われているのかは知りませんが、そのような実
態を表現するには適しているのかもしれません。会衆内の不品行の問題も重大な問題
です。読者の中で、現役のエホバの証人の方がいたら、是非これらの件に関してお便
り下さい。お待ちしています。

回答といえるほど立派なものではありあませんが、あれこれ言わせていただきまし
た。
今回も匿名でお願いします。
それにしてもわたしから見れば、あなた(編集者)も「アム ハーアーレツ」の一人
でしょう。
他人の信仰(または組織)を批判・非難・けなすことに精力を注いでいる、むなしい
人です。
(あなたがエホバの証人のことを自由に判断しているように、わたしもあなたのこと
をそのように判断します)

それでは失礼。

《編集者より》
詳しい回答・反論をありがとうございます。現役のエホバの証人としては珍しく、質問者の論点を捉えて、正面から答えようとしているあなたの真摯な態度に先ず、敬意と感謝を表したいと思います。先ず、私に向けてのコメントへの回答から。

それにしてもわたしから見れば、あなた(編集者)も「アム ハーアーレツ」の一人
でしょう。
他人の信仰(または組織)を批判・非難・けなすことに精力を注いでいる、むなしい
人です。
イエスも、パウロも、ルターも、すべてその時代の宗教組織と、ある人たちの信仰を批判・非難していました。これらの歴史上の人物のやっていたことが「むなしい」ことであるとは私は思いません。私のやっていることが、これらの歴史上の人物の業績と比べ物になるとは思いませんが、少なくとも私はこれらの人々に近づきたいとは思っています。

次にあなたの回答の中から幾つか私の気がついた点についてコメントと質問をさせて下さい。あなたの回答の中に「好きでエホバの証人になったのだからいやならやめればいい」、「離れるのは簡単」といった言葉がありました。私はこれはエホバの証人の実態を知らない人に誤解を招くことですので、もっと詳しく「離れる」ことの意味することを書くべきだと思います。1988年4月15日のものみの塔誌に書かれているように、自ら離れた、つまり断絶をした人は排斥された人、すなわち不品行や重大な罪を犯した人、すなわちエホバ神に背いた人と同じ扱いをされるのです。どこの世界に「会員になるのは自由だけど、会員をやめるのは重大な罪を犯すことと同じである」と教える会があるでしょう。「離れるのは自由、やめたければやめればいい」と本当に考えるのなら、どうして、「あなたと私とは意見が違うのですね、別の道を行きましょう」と握手しあって気持ちよく別れることができないのですか。何も断絶する人が全て神とイエスを捨てたわけではなく、ただ単に現在の協会の指導部と意見があわないでやめたでけではないですか。その単に組織と意見を異にする人を、神に背く人間として扱うことに大きな問題があるとは思いませんか。会衆の中でそのような「罪人」を祝福するものはおらず、従って「離れること」が決して簡単ではないのです。(最近の現役のエホバの証人からの投稿で現在どのように離れたらよいか苦悩している方の手記を読んで下さい。)あなたが言うように「自分の築いた信仰を否定する自己否定」だから離れるのが大変というのは、問題の核心をぼやかす議論でしょう。

もう一つ気がついた点は、悪行者の排斥の問題です。あなたは次のように書かれました。

それらが発覚した段階で(そして当人が悔い改めない場合)排斥をしていることは
エホバの証人の組織が健全である証拠だと思いませんか?
私はこの習慣はちっとも健全であるとは思いません。あなたがたのやっていることは、自分の家の中のごみを公道へ掃き出して、「どうですか、私の家はいつもきれいでしょう」と胸をはっているが、自分の家の前に山積みされているごみは人事のように無視する人に似ています。確かに協会の近年の教えは「排斥されたものにも復帰の機会がある」というメッセージを強調していますが、それはまるで、上のごみを公道に掃き出す人が「家から掃き出したごみの中で、再利用のできそうなものに限って引き取ってもいいですよ」と言っているようなものです。このたとえの人のどこがおかしいのでしょう。それは全くの自分中心の「清潔感」の幻想にひたっていることです。自分の家の中さえきれいにすれば外は汚れていても構わないという態度です。こう申し上げるとあなたは「エホバの証人は公道に出ていって世界中を清潔にしようとしている」と言うでしょう。いいえ、あなた方のやっていることは公道全体を清掃する仕事でなく、公道の中からきれいに見えるものだけを選りすぐって拾い上げることをしているにすぎません。本当に汚れきったものは逆に避けて通ります。あなたがたは本当に汚れきったものをそのまま自分の家に持ち帰り、きれいにしようとする努力をしません。「きれいになったら拾ってあげる」という態度です。

私は、もしエホバの証人の組織の中に「悪行者」が出たら、つまり自分の家の中にひどく汚いごみが出たら、その人を放り出す、つまり公道に掃き出すのでなく、自分の家の中できれいにする努力をあくまで続けるべきだと思います。なぜでしょう。悪行者に必要なのは排斥のような私的な処罰ではなく(もちろん法律に触れてそのために裁判によって処罰されることは別問題ですが)愛ある更正の手を差し伸べることです。そのようなことをせずに、ごみを公道に投げ散らかすように「悪行者」を追放して「私たちの組織だけはいつもきれい」と自慢するのは、公害をまきちらしながら「私の家だけはきれい」と自己満足している人と同じことです。自分中心の視点に埋没せず、地球規模での汚染を考えて下さい。「悪行者」は常にどこにでもいるものです。「中」にいようが「外」にいようが人類全体の問題としては全く変わりません。その人たちを追放して「健全」の自己満足にひたるのでなく、そのような人を身内として真剣に助けたらどうでしょうか。

まだあなたの書かれたことに対して言いたいことはいくつもありますが、長くなるので今日はここでやめておきます。また是非お便りを下さい。