「生きることに興味がない」研究生−永遠の楽園について

(2-12-99)


はじめまして、私は現在一応研究生という立場です。
証人の方と接し、聖書朗読をし、研究を続けていても私の一番の問題が解決
できていません。
その、問題というのは、私自身、生きる事に対してさほど興味がないということで
す。
楽園に魅力を感じません。
私は、聖書に書いてあるものや、司会者に対して特に批判はありません。
研究をはじめたのも、、聖書というものがどういうものなのか、エホバの証人とは
どんな人達なのか興味があっただけで、知識の本から始めました。

当初、司会者の方は、「こんな世の中だから生きていたくないという気持ちになって
あたり
前だ。でも、この世がなくなって新しい楽園ができたらどんなにすばらしいだろうか
?楽園に行ったらなにがやりたいですか?。」って聞かれたのですが、なにが楽しい
のやら理解できません。
私は、真理を知る前に結婚していましたが、その頃から夫婦関係がうまくいっていま
せん。できたら、離婚まで考えているぐらいです。こんな状態なのに、無理に夫婦関
係を
修復して、もし楽園にいって、好きでもない人と永遠一緒にいなきゃならないなんて
なにがいいんでしょう?
それに、いくら健康で一番いい時のままでいられるとしても、自分自身こんな顔や女
性
であることに満足してもいないのに、永遠に同じだなんて・・・考えただけでぞっと
します。

永遠に生きるよりも、無になった方が楽なような気がします。
どう思いますか?

《編集者より》
私は生きることには興味がありますが、エホバの証人の描く地上の楽園には全く興味がありません。これはあなたの言っている意味とは少し違うかもしれませんが、私は人生に苦しいことがあるから楽しいこともあり、死があるから生きる喜びもあると思います。死もなければ苦しみもない永遠の楽園なんて、正直言って全く魅力がありません。寿命が来たら、今までの全ての歴史上の人たちと同じように、無に帰りたいと思いますし、そのことは何も恐怖でも悲しみでもありません。逆に限りある人生であるからこそ、今という時間が最も貴重なのでしょう。

次にアメリカで時々言われる、私の大好きな警句を一つ紹介します。日本語に訳すとその「洒落」が出てきにくいのですが、察して下さい。

Today is your gift from God. That is why it is called "present."
これを日本語に訳せば、
今日という日は神様からの贈り物。だから「プレゼント」(「贈り物」と「現在」との二つの意味をかけてある)と呼ばれている。
あなたは死に対してどのような気持ちを持っているのか分かりませんが、多くのエホバの証人のように、永遠の死の恐怖から心が離れられずに、エホバの証人の教えに興味を持っているのではないように見受けられます。エホバの証人の「永遠の楽園」の宣伝文句を研究するより、単純な生命の誕生と死とを冷静に見つめて考えて下さい。人の死は、人の誕生と同じように自然に繰り返される現象に過ぎないことがわかると思います。
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