エホバの証人は社会問題か

Sさんより(2-11-97)。11月21日に投稿頂いた方です。

 以前一度Sの名で、投稿を掲載して頂いた者です。この名は複数の人に用いられ
ているらしく、私以外の人の投稿もSの名で掲載されていますが、まぁ良いでしょ
う。
 以前の投稿に対して村本さんから頂いたコメントは、特定集団ではなく個人に注
目すべきであるとの勧告でした。今回の投稿は、心情的にはその勧告は理解できて
も、実質的な意味があるかどうかは疑問であるとの内容です。
 前回の私の投稿は、村本さんが信仰を抱く理由を問うものでしたが、これに対し
ては直接的な解答は難しかったようです。この時は、これ以外の私の記述がすべて
感想であったこともあり、「だからなんなのり?」といわれれば、「なんでもない
」としか答えられないものでしたが、村本さんのコメントは、社会学という学問の
存在理由に直接絡んでくるだけの内容のように思われましたため、「批判」とはな
らないように、疑問を示しておきたいと思います。
 社会を単なる個人の集まりと考える立場の人であれば、その社会を構成する人を
見ていれば、社会全体も分かると考えます。それに対して、社会とは、それを構成
する個人には還元しきれない何かであると考える人は、社会の謎を解くには、個人
に注目するだけでは不十分だと考えます。
 村本さんが指摘していらっしゃることの一つに、証人一人一人はいい人なのに、
協会がやってといること自体は、(辞書的な意味とはとりあえず別な意味で)カル
ト的であるということです。これは、村本さんが社会と個人の関係を、上で示した
後者の立場から捕らえていることを示しています。つまり、村本さんが協会を批判
する際は、飽くまで協会を批判しているのではなく証人を批判するものではない、
ということになるでしょう。
 しかし、どうやら村本さんの他の人の投稿に対するコメントを見た限りでは、村
本さん個人は特定宗派・教会には属していないようです。もちろんキルケゴールの
単独者に始まる教会を媒介とはしないキリスト教の流れもあるのかもしれませんが
、そのような個人レベルからの関与の結果、自分が属すべき集団を見出すこともあ
り得るでしょうし、村本さんのように、少なくとも宗教的にはそのような集団を見
出さない方もいらっしゃるでしょう。
 問題なのは、どのような理由があるにせよ、協会に所属することを決断する個人
が存在するということです。協会それ自体のカルト性をいくら指摘したところで、
それなりの理由があってその集団に属してしまった以上は、その理由そのものの解
決のためには協会が無力であることが示されない限りは、問題が解決しないという
ことです。
 そして、そのような問題を抱える個人が生まれているという事実は、個人に還元
しきることができるものではなく、社会的なものであろうということです。そのよ
うな社会性が認められているからこそ、カルトが問題になり得るのだと思います。
 だとすれば、身内に証人がいるというような現象を捉える限りは個人的な問題に
しか見えないとしても、これし社会の問題なのであって、ならば個人に注目するこ
とが無意味であるとはい言えないとしても、個人だけを見ている限りはまったく問
題が解決できない、ということになるでしょう。デュルケムの『自殺論』の意義は
、一見自殺が自殺する人の個人的理由によるものであるのに対して、その根源的原
因が社会の側にある、ということを示したことです。協会がまさに世界規模の問題
であるのは、それが単に特定の地域の問題ではなく、世界規模の社会の問題である
ことを示しているのであり、地道な努力によって個別の事例は解決できても、協会
の問題の根本的な解決には資することができないことを、示しているように思われ
るのです。
 協会の問題がカルトの問題の一つであるなら、カルトの問題を解く必要がありま
す。これが、神と個人の関係を社会的に妥当させようとすること自体に求められる
なら、神の社会性そのものを否定できなければならないでしょう。
 では、個人に注目するということが、この問題にとってどのような意味を持つの
か。私には、ほとんど無意味に思われます。
 お断りしておきますが、私は社会学プロパーではありませんので、十分に学術的
な裏付けがありません。

《編集者より》
再び広範で深い内容の質問で、Sさんの納得のいく解答ができる自信はありませんが、答えられる範囲で努力いたします。先ず第一の感想は、私とSさんとは問題意識と目標が大分異なることです。私が個人に注目するように申し上げたのは、決して「社会の謎を解く」ためではありません。宗教、特にキリスト教の人間と社会に及ぼす影響を理解していただくためです。また、私は証人一人一人がすべていい人だと言う積もりもありません。仏教的な言い方ですが、完全な悪人も完全な善人もいません。これはエホバの証人でも、キリスト教徒でも、共産主義者でも同じことでしょう。私が個人に注目するようにと申し上げたのは、まさしく一つの社会、一つの組織(ものみの塔でも、共産国家でも)、そこに入れば全ての悪が解決する、という観念に対抗するためです。キリスト教はそれに対し、組織でも社会でもなく、個人のキリストとの関係なのです。一つの組織、社会に属することはキリストによる救いにとっては副次的なことなのです。少なくともこれが私がこのサイトを通じて分かって頂けることを希望していることです。

Sさんのおっしゃる「どのような理由があるにせよ、協会に所属することを決断する個人が存在する」という観察はその通りだと思います。しかし、私はそれが「問題」であると認識して私の力で「解決」しようと努力している訳ではありません。前回の解答でも書きましたが、エホバの証人のような組織を必要とする人たちは後を絶たないでしょうし、それをくい止めることができるか、そもそもくい止める必要があるのか、私は疑問に思っています。確かに社会の問題が関係しているかもしれませんが、聖書を読む限り、カルトに走る人間の性質は人類の歴史とともにあり、社会を変革するだけの問題ではないと思います。また私のこのページが「協会の問題の根本的な解決」に資するとも考えておりません。

私のこのウェブサイトを出している目的は、エホバの証人に自分の宗教に関して自分の頭と目と耳を使って考えてもらうこと、エホバの証人以外の人には啓蒙活動を通じて個人的キリスト教と組織的カルトとの関係を考えて頂くことです。「解決」はないでしょうし、これがどのような効果を及ぼすかも私は分かりません。それは、神が決めて下さることと信じています。