エホバの証人情報センターを読み、証人としての活動を止めました

(1-28-99)


村本さんへ
  初めてお便りさせていただきます。  このメールを村本さんに書くまでに八ヶ
月以上かかってしまいました。自分のことを村本さんにお伝えするのにどう書いたら
よいのか、長くなりすぎてしまいそうで、なかなか取り掛かれなかったのです。  
私は大学三年の夏から亡くなった主人や当時研究していた友達の紹介で研究をはじ
め、大学四年の夏には両親の猛反対にもかかわらずバプテスマを受けました。  バ
プテスマ直後は両親をこれ以上悲しませたくないとの思いから集会へも奉仕へも行か
なくなったのですが、大学在学中から開拓奉仕を始めるほど熱心で同じように両親の
猛反対を経験していた主人の励ましがあって大学卒業後は二世の姉妹とパートナー生
活を始め9月からは自分も開拓奉仕を始めるほど熱心に活動していました。  主人
も大学卒業後、パートナー生活を始めていました。 主人と私は会衆や巡回区は違い
ましたがいつも励まし合っていたので、いつかは二人がパートナーになって開拓奉仕
をして必要の大きな会衆へ赴こうと約束していました。 そして私が24歳、主人が
25歳の時に結婚し、主人がいた**市の会衆で10ヶ月ほど奉仕した後、必要の大
きな##市の会衆へ移動しました。  その会衆は私たちがそれぞれ育った会衆では
決して経験しなかったような人間関係の問題がありました。 胃の痛くなるような思
いもしましたが、主人は奉仕の僕として本当に一生懸命会衆を盛り立てようとしてい
ました。 もともと話し上手なほうでしたが、割り当て作りにはたくさんの時間をか
けて準備し、集会中には私にテープに録音させ、後で聴き直すほどでした。 伝道者
や開拓者の少ない会衆でしたので、奉仕の司会は週に五日ほどしていました。 仕事
は塾の講師でしたので、午前中はだいたい奉仕で午後には研究が入ることもありまし
たが、夕方家を出て夜十一時ごろ帰ってきていました。  会衆の中の数少ない二世
の男の子達を励ますために日曜日の集会後は野球をしていました。  そんな主人が
「膀胱のあたりがつくつくする。」と言ったのが1996年の五月の始め頃で泌尿器
科を受診しましたが筋肉弛緩剤をいただいて終わり、しばらくすると「お腹の表面が
筋肉痛みたいだ。 塾でダンベルやりすぎたかなぁ。」と言いだしました。その痛み
が一週間たってもなくならないので近所の内科で相談すると「筋肉弛緩剤の薬の害の
ほうが怖いからもう少しそのまま様子を見たら。」と言われました。  その後私の
実の姉がお嫁に行った先の整形外科の義兄さんに診ていただきました。  そこで初
めて胃があまり丈夫ではないと主人が言うと義兄さんが胃のレントゲンを撮ってくだ
さいました。 そのレントゲン写真の胃は右下の部分が二箇所も深くえぐれていて、
普通ではないことは私たちでもすぐにわかりました。 最初義兄さんは妊娠七ヶ月ご
ろだった私を気遣ってか、「胃に深い潰瘍があるのですぐに検査を受けなければなら
ない。」とおっしゃいました。  しかしその日の夕方病院へ赴いた主人のお父様は
あと2,3ヶ月でしょう。と言われていたそうです。 その日から私たちは主人の実
家でお世話になり、癌研と呼ばれる、大塚の大きな病院で検査を受けました。 外科
の先生から主人は癌の初期ではないこと、また最終的な胃カメラ検査の結果が出た後
でお会いした先生からも残念ながら外科的な処置が出来る段階ではないことを告げら
れました。  癌研での何回かの検査のたびに私やお義母さんは余命6ヶ月、4ヶ月
という宣告を受けてきました。  その間にも主人は巡回訪問中の、集会への出席を
励ますプログラムだけは自分でやりたいと私に代筆をさせ準備し、プログラムを果た
しました。  しかし主人の体には腹水がどんどん出ていたのです。 そのプログラ
ムを果たした夜から身の置き所のない苦しさのため一睡も出来ず、急きょ義兄さんに
紹介していただいて##の病院に入院し、1,5リットルもの腹水を採ったのでし
た。その日7月25日から主人はとうとうその病院の外へ出ることは出来ませんでし
た。  9月27日に亡くなるまでつらい毎日でした。  9月に入ると胃に胆汁が
たまり始め、鼻から管を通し、マービンという機械で吸い上げました。 私が身重
だったため夜はお義母さんが毎日病室へ泊まってくださいました。 主人の妹さんの
結婚式を9月7日に控えた9月の始め、目に黄疸が出てきているのでこれからはいつ
何が起こるかわからないと言われたので、その日の夜からは私もお義母さんと交代で
泊まりました。  お腹の張りっ苦しさのため寝る態勢がなかなかとれず、1時間半
続けて寝るのが精一杯で何度も息苦しさや寝汗のため目を覚ましました。  亡くな
る四日ほど前に夜中に吐血しました。 その苦しみの中で主人は輸血に変わる方法で
手当てしてもらえるように医療機関連絡委員会の兄弟にいただいてある資料を当直で
主人の手当てをして下さっている先生に見ていただくよう私に指示しました。  幸
い輸血をすぐにしなければならない事態にはなりませんでしたが、次の日から主人は
もうろうとしてつじつまの合わないようなことを言ったり、夢を見ているような状態
になりました。  「**ちゃん、日々の聖句取って!」とか、「君、****でしょ
!僕****って言うんだけど、ハルマゲドンじゃないんだけど大変な状況災害が
あってさ、僕たち離れ離れになってたんだよ。でもやっと逢えてよかったぁ。」など
彼の頭の中にエホバの証人としてのさまざまな想いがあったことをうかがわせるもの
でした。 純真で純粋な彼は、自分はパラダイスへの切符を手に入れることが出来た
けど、*ちゃんと##(:子供の名前、病室で二人で決めていた。)ちゃんのこ
とが心配だと妹さんにもらしていたと聞いています。 こうして私たちの結婚生活は
3年4ヶ月で終わり、主人は保父さんになったら良かったんじゃないかと皆が思うほ
ど大の子供好きでしたが、自分の子供をその目で見ることなく逝ってしまいました。
 主人が亡くなって約40日後に私は女の子を出産しました。最愛の息子をこんな形
で亡くしたお義母さんの悲しみを思うと、自分の悲しみよりも主人の健康をちゃんと
見てあげられなかったという罪悪感で一杯でした。 この罪悪感は一生消えないと思
いますし、お義母さんの悲しみをほんの少しでも癒すために##を連れて一緒にお義
母さんたちと暮らさなくてはと思いました。  しかし主人のエホバの証人としての
私たちへの想いを考えると私も証人としての活動を止めるわけにはいかないと思って
いました。 「僕への愛は100%でいいから、エホバへの愛は120%にしなく
ちゃだめだよ。」と病室で言っていた主人の声も心に残っていました。 一緒にお義
父さんお義母さんと暮らし始めたものの、許していただいたのは日曜日の昼の集会だ
けでした。 ##を連れていくことは絶対に許されませんでした。 そういう状態が
約一年続きました。 結婚後交わっていた主人の育った会衆の集会に行っても主人を
思い出すことばかりでほとんど泣きに行っているようなものでしたがエホバの証人と
しての活動を続けるためにはやはり同居は無理なのではないかとの想いが強くなって
きていました。  夜の集会への出席のことや##を連れていくことが話の発端とな
り、お義母さんのたまっていた息子への無念な想いが爆発し、「**はあなたに殺さ
れたようなものよっ!!!」と言われたこともありました。お義母さんと私の泣きな
がらのやり取りが何度かあって、長老兄弟にも家を出ることを勧められました。  
不本意ながらそれしかないのかと##と家を出て最初長老兄弟のお宅にお世話になる
というところまで話が進んでいたところで、私の実の兄がインターネットで村本さん
のページから取ったいくつかの資料を読むよう私の実家へ送ってくれたのです。  
それは丁度去年の記念式の一週間ほど前でした。  実家に行き、警戒しながら夜、
レイモンドフランズ兄弟の“良心の危機”を読みました。 レイモンドフランズ兄弟
に起きたこれらのことが本当のことだとしたら……。 統治体のとった態度は私を幻
滅させました。 2度も3度も読み返すうちに、フランズ兄弟の書かれた、”人の論
理が聖書に優先されて決定を左右し、エホバの証人の私生活を翻弄した”という部分
や、”聖書に決定を委ねさせ、独断的な立場を控えるという態度は実際、統治体の決
定するほとんどの事柄にあてはまることを痛感せざるを得なかった。”という部分
や、”極端な「組織への忠誠」が、それが基本的にどのようなものであろうと、いか
に善意で行われていようと、人を不親切、不正、そして残酷な、行為と決定に走らせ
ることになる。”という部分に特に心動かされました。  そしてこのような組織に
私はともかくとして、娘を入れることに疑問を感じ始めました。 この時点で私は記
念式になんとしても出る!という気持ちが弱まっていました。 
 それから、「神は一つの組織を使って業を行うのでしょうか?」
       「忠実で思慮深い奴隷についての考察」
       「エホバの証人に関する日本語の情報源」   などに目を通しまし
た。
自分は今まで、エホバの証人の解釈でしか聖書を読んでいなかったけれどもっといろ
んな風に解釈できてしまうんだと思いましたし、「エホバの証人に関する情報源」の
本の題名と内容紹介を読んで、こんなにたくさんエホバの証人について外部の人が研
究しているんだ。こんなにもたくさんの問題点があったんだと愕然としました。
 次の日は実家にあった「エホバの証人 マインドコントロールの実態」という本を
読みました。  かなりショックでした。 自分は多くの新興宗教のようにある特定
の人物を崇拝していないし、聖書を研究して理性的に従っていると思っていたのに、
自分がどのように頭と体が支配されていたのか、はっきりとした図で示されたように
よくわかりました。  自分がマインドコントロールされていたことを認めるのはか
なり辛い事でした。 自尊心が全く無くなりました。 今まで自分の両親も主人の両
親もこの宗教のことでさんざん悲しませてきているのです。 自分にももっと普通の
幸せがあったのではないか、親子三人仲良く手をつないで歩いている自分と同世代の
人を見て自分が惨めで惨めで涙があふれてきました。 「マインドコントロールの後
遺症と克服法」という記事も読みました。 自分のこの複雑な気持ちを客観的に捉
え、前向きに考えるのにいくらか役に立ちました。  そして組織を離れてもいい、
正当な理由を持てたことに本当は安堵している自分に気がつきました。  私の本当
の良心は、私が自分の両親や主人の両親をこれ以上悲しませることをすることに対し
て抵抗を感じていたのです。  
   私は自分の両親とお義母さんお義父さんにエホバの証人の活動をする気が無く
なったことを告げました。 それから今まで一度も集会へ行っていませんが私は自分
のこの気持ちを強化する必要があると思い、お義父さんにお願いしてパソコンを買っ
ていただき、インターネットのやり方を学んで5月から村本さんのページをずっと訪
問させていただいているのです。  
   まもまく集会へ行かなくなってから一年が過ぎます。  会衆の長老兄弟へな
んと言ったら良いかわからず、私と##のことを彼らの観点から真に心配してくだ
さっているであろう兄弟姉妹たちに与える動揺を考えると、このまま不活発の状態で
いるのがいいような気がしていました。  しかし、先日私が以前に注文していた文
書を預かっていてくださった長老兄弟から電話がありました。 お会いできませんか
?とのことでしたが、私は今自分が考えていることをお手紙の形でお伝えしたいと申
し上げました。  断絶の場合は審理委員会が開かれると聞いたことがあります。 
 今までお世話になり、心配してくださっている兄弟には申し訳無いのですが今自分
が考えていることは兄弟姉妹たちの生き方を否定することになってしまうので、お会
いするのがとても辛いのです。  死ぬまでエホバの証人として頑張ってきた主人の
生き方を知る人たちへ与えるショックを考えるととても辛いのです。  この点でど
うしたら良いか、何か良いアドバイスを頂けないでしょうか?  お忙しい中、恐縮
ですが個人的にお返事が頂けたらとても嬉しいです。  ある現役のエホバの証人が
どのような記事に心動かされたのか知っていただくことが他の人の参考になるようで
したら、私の心の経緯を読者の広場に載せてくださって構いません。 投書者の特定
が出来ないようにお願い致します。
   読みづらい文章を最後まで読んでくださって本当にどうもありがとうございま
した。
 又、さまざまな記事の感想や感謝をめーるで書かせていただきます。

《編集者より》
投稿文から個人名と地名をすべて隠して掲載させていただきました。この悲しくも感動的な手記を読者の方々に是非読んでいただきたかったからです。私は決して人生相談の専門家でもありませんし、ここは人生相談をする場所でもありません。しかし、あなたの手記を読んで、あなたは普通のエホバの証人や元証人と比べ二重三重もの重荷を負っていらっしゃることがわかり、何とかその重荷を減らしてあげられないものかと考えています。最愛のご主人の死、会衆との関係、ご主人の家族との関係、それらの全てがあなたの心に大きな重荷になっているのではないでしょうか。

会衆との関係については、あなたも少し考えているように、不活発のままでいることが一番の安全策であると思います。断絶をしても、審理委員会にはかけられないとは思いますが、「裏切り者」「背教者」という烙印を押され、心理的に大きな傷が残ることが多いようです。私が接した多くの現役、元エホバの証人の話を総合すると、不活発のままでいて自分も会衆も互いに忘れてしまうのが、最も安全な方法のようです。引っ越しでもできればなおさら簡単に縁を切ることができるでしょう。

あなたのようにまだ若い時期にこれだけの試練を通られた方は、きっと人間として強く生きることができると思います。新しい土地、新しい仕事、新しい友達を見つけられることで、力強い人生の再出発を試みられることをお勧めします。それから、あなたがエホバの証人になった以上は、神とキリストと聖書への強い関心があられたのでしょう。その初心を忘れないことを、これは私の個人の希望としてお伝えします。何もエホバの証人に代わる宗派や教会を見つけることに躍起になることはありません。そのようなものが見つからなくとも、聖書の単純明解なメッセージ、神と隣人への愛がどのような規則や教義よりも強いものかを、日常の生活の中で発見し、実践して下さい。またお便りを下さい。


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