エホバの証人との対話をめざす研究生

(1-12-97)

 10月13日の読者の広場に「エホバの証人になりきれない壁」
と題されて掲載されたSです。

 私はエホバの証人の真の志願者ではありません。しかし、不毛な
対立のメカニズムを少しでも解明するべく実地研究として、エホバ
の証人の教理とその心を志願者のつもりで学びました。その結果、
理屈では説明できない大きな壁を実感しました。

 この壁は乗り越えて入るのにも、また一旦入った以上そこから出
て来るのも困難な壁です。この壁の割れ目を通して見える向こうの
世界は奇妙に歪んでいます。向こうから見てもこちらは同じように
歪んで見えます。確かに壁をはさんだ二つの世界は同じではないの
ですが、この壁はその違いを拡大して互いに全く異質な世界へと変
容させてしまいます。

 村本さんのコメントで、「・・「エホバ」と「組織」の二つの全
く異なった概念を巧みにすりかえています。・・」とありました。
確かにそうです。確かにそうなのですが、しかし彼らにしてみれば
「エホバの組織」であるのだから当然で、何故これを問題にするの
か理解出来ないでしょう。彼らは「組織」のおかげで「エホバ」を
知ることができたのですから。そして、命を賭しても守り抜こうと
いう信仰を得たのです。そんな彼らからすると、このコメントはサ
タンの声としか聞こえないのも無理はないかも知れません。ここに
も「壁」の高さを感じてしまいます。

 樋口久さんの「対話に向けて」は、この「壁」の一つの姿をうま
く示していただいております。大変参考となりました。

 確かにエホバの証人への攻撃は簡単であり、また自分自身を奮い
立てますが、これだけでは建設的ではありません。おかしいところ
はおかしいと指摘するとともに、彼らの良いところはそれを認める
こと、これが対話への第一歩であると思います。
 さらに、彼らの良いところを見習う態度もぜひ必要ではないでし
ょうか。エホバの証人は、決してサタンによって作られたものでは
ないでしょう。神様はこれらの対話を通して互いにより真実に近づ
くことを望まれているのではないかと思います。

《編集者より》
「攻撃だけでは対話にならない」というSさんのおっしゃることはよく理解できます。私自身どのようにしたら対話ができるのか、日夜模索しています。「彼らの良いところはそれを認めること、これが対話への第一歩である」というお考えもその通りと思います。しかしエホバの証人やその他のカルトメンバーとの対話が成立しないのは、このわたしたちの側の態度の変化だけでは解決しないと思います。その根底にあるのは心を閉ざさせるマインド・コントロールの力があるからです。家庭聖書研究の経験からわかると思いますが、たとえ通常の友好的な対話が成立しても、ほとんどの場合エホバの証人の側には何の変化も見られません。また彼ら自信が時にはわれわれ以上のし烈さをもって攻撃をかけてきます。彼らの教えでは他の宗教を批判しその間違いを公に指摘することは大事なことと教えられています(ものみの塔誌1968年11月15日688頁−英文版)。しかし彼らは自分の宗教についてだけは、同じ様なし烈さで批判されると、ハリネズミのように防御的になり「サタン、サタン」とののしるのです。その一方で彼らはイエスの「自分のして欲しいことを他人にもしなさい」(マタイ7:12)という教えも知っています。この支離滅裂で矛盾した行動は彼らのマインド・コントロールの病根の深さを如実に示します。対話の確立が重要であることには全く異論はありませんが、その先にマインド・コントロールに対する視点を持ち続ける必要があると私は思います。