「研究生をやめる決意をしました」

(12-10-04)

こんにちは。
初めまして。

私は、研究生です。6年間、研究していました。
でも、今日、やめようと決意しました。
怖いので、今日はこれしか書けません。
本当は、もっといろいろお話したいのですが
まだ心の整理がついていないのと、
子どもたちが帰ってきたら、なんて言って説明したら
いいのか、すごく不安です。
子どもたちも2世を目指してがんばっていたからです。

明日は、幼稚園のクリスマス会です。
心から、楽しみです。
子どもの劇を見たいです。
来週は、子どもの誕生日です。
ケーキでお祝いしたいと思います。
それが、私の気持ちです。

ホームページを拝見いたしました。
****と申します。
8歳の娘、5歳の息子、主人と私の4人家族です。
主人は未信者で、私はエホバの証人の研究生でした。
幸い、家族は仲良く普通にやっています。
私は、6年間、エホバの証人の研究生でしたが、
組織の、個人的な事柄についての指示に疑問を持ち、
このたび、やめることにしました。

息子の幼稚園のことや、娘の習い事のことなどにも
個人の良心にゆだねるとはいえ、
司会者からやめるようにと指導があり、
(息子の幼稚園はカトリック系、娘の習い事はそろばんとピアノです。)
以前から疑問がありましたが、最近は、危険を感じました。
なぜというのはひとことでは言えないのですが、
私の中で、「危険」を察知してしまいました。
北朝鮮のようなことを思ったのです。
すべて管理される危機を感じました。

幼稚園は家からバスが近いとか、良い雰囲気だったのでという理由で
通っていますから、聖書研究の妨げになるとは思っていませんでした。
自分はその幼稚園が気に入っていて、カトリックだからとか深く考えて
いませんでした。そろばんは将来役に立つと思ったし、
ピアノは娘が幼稚園の先生になりたいからやりたいと言ったからです。
ですので、やめる理由は私にはまったくありませんでした。

しかし、信仰のためには、それらをやめる必要が
あるということでした。
カトリックに属すことは、おおいなるバビロンから抜けないから
いけないことで、そろばんやピアノは家庭聖書研究の時間を
奪われるから、という理由でした。
私は、エホバがいると思っていたし、将来は伝道も考えていました。
しかし、今後、もし自分が伝道するなら、他の人の自由を奪うことに
なってしまうと思ったときに、「危険」なものでしたら
他の家族にその危険なものを分け与える業を行うことになり、
自分にとって良心が痛むと思いました。

だから伝道をすることになる前にやめることにしました。
インターネットは見ないように言われていたので、
見ていませんでした。ですから、
その決定に際して、インターネットの記事は大きな割合では
ありませんでした。私の中で「何か・・・違うかも。」と単純に漠然と、
思ってしまったことが大きな原因です。
そして、会衆の人から無視されても全然平気だと思いました。
他の人に危険なことを勧めることの恐ろしさを思えば、
無視されることは全然怖くないと思いました。
そして、自分の中で、やめることに決めてから、村本様のホームページを
検索により、拝見いたしました。

そして、レイモンドフランズ氏について書かれた
村本様のページを拝見し、私の疑問と合致していたため
自分の決定に間違いはないと、確信を持ちました。
特に、マラウィとメキシコのお話は、心が痛みました。
腹が立ちました。
マラウィの話は集会で聞いたことがありますが、
メキシコの話は初めて知りました。
昨夜、レイモンドさんの「良心の危機」を、amazonに注文しました。
まだ読んでいませんが、今週中には読めると思います。

来週、会衆の長老に
研究生をやめることを申し出ることに決めました。
牧羊ということで長老が家に来る予定なのですが、
そのときに、「良心の危機」を渡して、読んでもらおうと
思っています。そのつもりで購入しました。
私の言葉よりも説得力があると思ったからです。
しかし、読んでもらえない可能性も高いですが、
もし、ここに書いてあることが本当ならば、私はこれ以上
研究をしたくない、そう言うつもりでいます。
でも、もし読んでもらって、何か「立ち返るように」と言う内容を
言われても、私の気持ちは変わりません。

ひとつ、質問です。
村本様のホームページのレイモンドフランズのページ最後
「エホバの証人からクリスチャンの自由の証人へ」
のところで、レイモンドが、聖書を自宅で研究しているとのことですが、
その聖書は、どれを使用しているのでしょうか。
「新世界訳」それから、「エホバ」という神の名はどう考えたら
良いのでしょうか。

新世界訳の聖書は、エホバの研究生しか手に入らないもの
ですので、これを使って研究するということは私には
疑問があります。
そして、今まで騙されてきたという思いがあり、
このまえ、思い余って、新世界訳の聖書を破って捨ててしまいました。

ひとりで聖書を研究したり、
今まで子どもたちとも家族研究してきましたから、
聖書を研究したいのはやまやまです。
神はいると思いたいです。
しかし、もうどこの組織にも属したくない、そういう気持ちは
私も、レイモンドさんと同様です。

村本さんから、何か私にお話していただけることがありましたら、
どうぞご遠慮なく、教えてください。
清く生きたい、ただ、そう思っています。
その助けとなる方法をご存知でしたら、どうぞおっしゃってください。
以前、本屋で「新共同訳」の聖書を買って、家に一応ありますが、
これで研究したらよいのでしょうか。
それとも、新世界訳の聖書をもういちど求めて、
今家にある「偉大な教えてから学ぶ」という子ども向けの本を
使用してもよいものでしょうか・・・
エホバという名を使って子どもたちに教えてよいものか。
今朝も、息子(5歳)に、「今日は王国会館に行かないの?」
と聞かれて、
「ごめんね。神様はいると思う・・・けど、
エホバという神はやっぱりいなかったんだよ。
信じてくれないかもしれないけど、ママは騙されたって思うんだよ。
ごめんね。ごめんね。」って言いました。
当惑する息子の顔を見て、心が痛みます。
最近、毎日このような会話をしていて、私も、つらいです。

息子は、集会を楽しみにしていましたし、
家族研究も楽しみにしていました。
特に、家族研究は楽しかったと思います。
レイモンドさんの現在している方法、
組織と交わらずに、聖書を研究する方法があるなら、
ぜひ知りたいと思うんです。

お忙しい中を突然このようなメールですみません。
もし、お時間がございましたら、
お返事をいただけるととてもうれしいです。

ここまでメールを読んでいただき、ありがとうございました。

《編集者より》
どの聖書の翻訳を使うかという質問ですが、私は複数の翻訳を使って比較してみるのが一番いいと思います。いくつかの日本語訳のほか、もし外国語が読めれば他の訳もあわせて使うことです。レイモンド・フランズも多くの聖書の訳を併用していると思います。エホバの証人の聖書を破り捨てる必要は全くありません。それだけに依存するのは問題ですが、参考として比較してみることはいいことだと思います。もちろんエホバの名前を広範に挿入しているのはものみの塔の聖書だけですが、全ての翻訳にはそれなりに翻訳者の姿勢が入ってきますので、その積りで読めば、抵抗は減るのではないでしょうか。組織に交わらずに聖書を研究する方法もいくらでもあります。最近は聖書の注解書の他、聖書研究用のコンピュータープログラム、ウェブサイトなどもあり、その気になればいくらでも可能性はあると思います。なお、私なら息子さんには神様はいなかったと言わずに、「神様はあの王国会館にはいなかったけど、他にどこにでも見つけられることがわかったのよ」、と言ってあげたらいかがでしょうか。