「エホバの証人は『破壊的カルト?』」−T

(11-24-04)

こんにちは。村本さんの、「エホバの証人は破壊的カルト」という記事に
疑問を覚えました。

マインド・コントロール?

聖書を参考にしつつ、書籍に沿ってものみの塔の教理を教えていくこと。
反対されるかもしれないが、それにくじけないでくださいということ。
布教する上では普通のことだと思うのですが、ものみの塔の場合はすべて「マインド
コントロール」になるようですね。

ところで「マインドコントロール」って何でしょう?直訳すれば「精神を操作するこ
と」で、人が自由意志を奪われて他人の言いなりになる、という風に使われています
が、本当に人が自由意志を奪われ、誰かのリモコンのようになることなど特殊な薬物
などを使わない限り、現実にはそうないと思います。

地下鉄サリン事件の実行犯は「麻原にマインドコントロールされていた」として無罪
を主張しましたが、当然そんな都合のいい無責任な主張が通用するはずもなく、死刑
判決が下りました。人は誰しも自分の行動を選択しており、その結果に責任を持つの
です。

あなたは、エホバの証人が信者の獲得や維持に「恐怖と自由意志の束縛」を使ってい
るからそれは信仰ではなくマインドコントロールであり、研究生は「エホバから引き
離されたら永遠の死しかない」と脅されてコントロールされていくとしています。

しかし、それを信じるか信じないかもその人の自由です。研究生は最初から、ハルマ
ゲドンや楽園、永遠の命などエホバの証人の基本的な信仰を持っているわけではあり
ません。

「裁きの教え」=「恐怖でコントロールする破壊的カルト」であるかのように言って
いますが、宗教というものは多かれ少なかれ「賞と罰」を使って人を律する面があり
ます。村本さんが信じるキリスト教だって「地獄の火」を教えてるでしょうし、「死
後さばきにあう」という黒看板も街でよく見かけます。日本にも「嘘をつくと地獄の
えんま様に舌を抜かれる」という話があります。これらもマインドコントロールで
しょうか?そもそもえんま様の存在を信じない私には、何の影響もありません。

また「自由意志の束縛」と言いますが、エホバの証人は一部の牧師が「ディプログラ
ミング」と称して「異端者」を拉致監禁するように、本当に物理的に自由を奪われて
情報規制されたりすることはありません。

家庭破壊?

またあなたは「エホバの証人は家庭破壊を引き起こしているから破壊的カルトであ
る」と主張しますが、それは妥当な考えでしょうか。村本さんの奥さんと子供さんは
エホバの証人であるとのことですが、村本さんのご家庭は崩壊していますか?崩壊し
ていないとしたら、それはなぜですか?

「エホバに家庭を壊された」と言う場合、実際には「エホバの証人」を過度に恐れる
未信者の家族の過剰反応が原因であることが少なくありません。私は、最初は反対し
たものの、エホバの証人が無害な人たちだということを知り、今では車で家族を集会
へ送り迎えしている未信者のご主人をたくさん知っています。証人たちで開くレクリ
エーションに参加するご主人もいます。

もちろん、離婚など深刻な結果に至った家庭もあります。しかしそれらの例を挙げて
エホバの証人を「家庭を崩壊させる破壊的カルト」と言うことは果たして妥当でしょ
うか。

ある仏教のお寺に生まれた青年がプロテスタントの教会に改宗して、大反対のすえ家
からかんどうされたとします。ではこのプロテスタント教会は「家庭を崩壊させる破
壊的カルト」なのでしょうか?

むしろ、「エホバは破壊的カルト」といった悪意に満ちた宣伝を繰り広げて、一般の
人々のエホバの証人への誤解や偏見を煽り、未信者の家族を過剰反応させている人の
方が、よっぽど家庭破壊に寄与していると思います。

命の軽視?

またあなたは、エホバの証人の輸血拒否を「自殺」や「殺人行為」とし、それによっ
て死んだ証人の数は集団自殺したカルト教団の信者数よりも多いことから、破壊的カ
ルトと呼ばれるのに十分と言います。

輸血拒否の教理の是非については、膨大な議論なのでここでは割愛しますが、輸血拒
否自体は医療の選択の問題であって、命を奪うことを目的にした「集団自殺」や「殺
人」とは全く違うものです。

「生きてこそ」という映画がありました。1972年、アンデスの雪山に飛行機が墜落
し、奇跡的に助かった生存者が、犠牲者の人肉を食べるかどうかで葛藤するノンフィ
クションです。食べた人は生き残りますが、良心の問題から「絶対イヤだ」といって
人肉を食べなかった女性は死にます。この女性は、命を軽視するカルト的な自殺者で
しょうか?それとも、良心の殉教者でしょうか。

あなたの理論によれば、あなたが価値を見出さないような事柄を命がけで守るような
人や集団はすべて、
「破壊的カルト」ということになりそうです。

《編集者より》
「マインドコントロール」、「破壊的カルト」という言葉と概念は確かに議論の分かれる所です。これはあなたの指摘した記事に触れてあります。宗教学者の中にはこれらの用語は定義が難しいことから、使わないことにしている人もいます。あの記事は、読まれればわかりますが、カルトのマインドコントロールの研究で有名な心理学者のスティーブンハッサンの定義に基づいています。彼が「マインドコントロール」、「破壊的カルト」という概念を提唱した時、その雛型となったのは統一原理教です。従って、ある宗教が「マインドコントロール」を行い、「破壊的カルト」と言えるかどうかは、統一原理教との近似性によっている面があります。あの記事で取り上げたものみの塔宗教の多くの特徴は、医学医療の教義を例外として、ほとんど全て統一原理教と共通するものです。しかし、もちろんエホバの証人と統一原理教以外にも、これらの特徴を持った宗教はいくらでもありますし、いわゆる「カルト」に分類されないキリスト教のある宗派、イスラム教、ユダヤ教などの宗派にも、同じ特徴を持った団体は沢山あり、そのことを否定はしていません。また、あなたが取り上げた個々の信者や家族の例でも、確かにいくらでも例外があることは否定しません。ただこれは、「インド人は牛肉を食べないと本に書いてありますが、私はステーキを食べるインド人を何人も知っています、だからこれはウソです」、というようなもので、あなたの他の投書にも同じ思考法が現れていますが、個々の例を取り上げて全体を否定することは、論理の飛躍でしかありません。

エホバの証人の行動の実態を確実に知る一番重要な資料は、他でもないものみの塔協会が過去半世紀以上にわたって出版してきた、信者に対する指導の文書でしょう。個人や家庭や会衆による差があることは間違いありませんが、本部が世界数百万の信者に一斉に指示してきたその内容は、エホバの証人が何に基づいてどのような行動をするかの一番重要な指標になります。あの記事に書かれた内容はほとんど全て、組織の出版物に書かれた教えで裏づけされることなのです。

宗教の教義による信者の死は、殉教と言って宗教の歴史の中で時々見られるものです。それを素晴らしいことと見るか、犬死と見るかは、全てその宗教の価値観によるでしょう。あなたのようなエホバの証人は、もちろん輸血拒否による信者の死は「良心の殉教者」でしょうが、エホバの証人以外の価値感を持っている人にとっては妄想的な死の選択でしかありえないでしょう。これも、全て夫々の人の価値観の違いです。ただ、あなたの価値観から言うと、ピープルズテンプルの集団自殺も宗教を信じることにより死を選んだことになりますから、これは「良心の殉教者」ということになるでしょう。現在の所、これは社会通念としては受け入れられていないと思います。もちろん、あなたにとって社会通念は「世の知恵」として軽蔑されるべきものでしょうから、何とも感じないでしょうが。