「『世』での可能性と進路」

(11-24-04)

以前大学教育の件で投稿した者です。私はその後、教員にはなりませんでしたが、学校職
員として仕事につくことが出来ました。
現在では、教員にはならなくて正解だったと思っています。自分自身が教員には向いてい
ないと思ってきたからです。
 
ところで、この組織の最大の罪の一つは、大学教育を始めとする、若い人たちの「世」で
の可能性と進路を奪ってきたことだと思います。
その見方は、今年になっても全く変わっていないことを思い知らされました。例えば、
2004年5月の「ものみの塔」では、次のような
記事が掲載されました。
 
「霊的な物の見方を持っていれば、就職について、他の人には理解できないような決定を
下すことになるでしょう。例えば、ある若い男性のクリスチャンは、音楽に秀でており、
学校のどの科目でも優等生でした。卒業した時、自分の選んだ全時間福音宣明者つまり開
拓者の業に専念できるよう、父親の窓ガラスの仕事を手伝うことにしました。学校の先生
方には、そのように決定した理由が理解できませんでしたが、あなたがエホバに近づいて
いるのであれば、あなたには理解できるでしょう」。 
 
もちろん、「世」での「成功」が人生の全てではありません。しかし、この記事では、世
で成功することは神から遠ざかることを意味するような書き方です。
恐らく組織が言わんとしているのは、「これほどの能力をもった人でも開拓奉仕のために
世での活躍を断念するわけだから、他の多くの若い人もこのように開拓奉仕をすべきです。
」ということではないでしょうか。これまで多くの人が開拓奉仕で挫折し、辛い状況を味
わっているのに、そのことには一切触れず、開拓奉仕が霊的なバロメーターであるかのよ
うに受け取れます。これをもとに、またぞろ多くの会衆で2世のJWに開拓奉仕の強要に
近い奨励がなされるのでしょう。そうやって自分の進路を潰されていく若い人のことを思
うと胸が痛みます。
 
いったいいつまでこの組織は、このようなことを続けるのでしょうか。

《編集者より》
これは直ぐ下の、「JWと子供の教育について」を投稿された方と同じ方のものです。この組織はこのようなことを続ける以外に、存続方法がないので、いつまでもいつまでもこのようにして、オウム返しのように伝道活動を推し進めると私は思います。自転車と同じ様に、この宗教は何でもいいから走りつづけない限り、成り立っていけないのです。走ることが大事で、その後で「終わりの時」とか、「奉仕時間」とか、「エホバに近づく」とか、理由がつけられるのだと思います。