「『統治体』が選挙に行くことを禁じている本当の理由」

(11-12-04)


アメリカの次期大統領を決める選挙が終わりましたが、もちろん、アメリカの「エホ
バの証人」は投票に行かなかったことでしょう。
「統治体」がどうして信者たちに選挙に行くことを禁じているのか?
「エホバの王国」以外の政治体制を認めないからというのは表向きの理由だと思いま
す。
私には隠された本当の理由があるように思えてなりません。

1世紀当時の人々は、民衆が政治家を投票で選ぶ民主主義の時代が来るなどとは考え
もしなかったでしょう。特にローマ帝国の属領であったユダヤでは。
ですから当然、キリスト教徒が選挙に行くことはキリスト教の原則から見て正しいか
間違っているかなどということを使徒たちは考える必要もなかったでしょう。
新約聖書によると、イエス・キリストが「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返し
なさい。」(マタイによる福音書22章21節)(マルコによる福音書12章17
節)(ルカによる福音書20章25節)と言い、支払う義務がある税金を納めるよう
に教えたそうですが、これと同じ事が選挙での投票にも当てはまらないでしょうか?

「統治体」は現政治体制に従うことへの根拠として、よく「人は皆、上に立つ権威に
従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられ
たものだからです。」(ローマの信徒への手紙13章1節)を引き合いに出します。
どうしてこれが選挙で投票することにも当てはまらないのでしょうか?

民主主義社会において選挙に行くことはその社会の成員に課せられた義務です。
そのためだと思われますが、投票しないと罰金を課す国もあります。不思議なこと
に、「統治体」はそういう国では投票してもいいと教えているみたいです。
教えの不一致も甚だしいです。
選挙権といいますが、私はこれを選挙資格と言い換えたほうがいいと思います。行使
してもしなくてもいい権利とは違いますから。
考えてみてください。民主義社会において、もし「エホバの証人」のようにだれも投
票しなかったら、政治が成り立ちません。大混乱になるでしょう。
ある本で読みましたが、民主主義国家の中で、選挙の投票率が低い国ほど、その国の
社会は住みにくい悪い社会になっているそうです。
当然だと思います。選挙の投票率が低いということは国民の政治に対する関心が低い
ということですから、政治家は国民のことなどそっちのけで、好き勝手に自分たちの
ためになることばかりするでしょう。その結果、民衆にとってはとても住みにくい悪
い社会になるはずです。
ここからが私が言いたいことです。
実は、「統治体」はこうなることを知っていて、選挙に行くことを禁じているのでは
ないでしょうか?
経済情勢が悪くなり、社会不安が増し、住みにくい社会になればなるほど、「楽園」
の音信は浸透しやすいでしょうから。
そうなれば、雑誌や書籍や彼ら独特の「聖書」も売れ、金銭的にも潤いますから。

その本には、「ローマ帝国がキリスト教を国教化したのは、皇帝がキリスト教の教え
に感化されたからではなく、民衆の関心を地上から天国にそらすためだったのではな
いかと。」とも書かれていました。
確かにこの説には一理あると思います。
民衆が、たとえ今はどれほどひどい目に遭っていても死後は天国へ行けるという教え
を信じていてくれれば、為政者にとってこれほど都合のいいことはないでしょう。
新約聖書の数々の手紙を読むと分かりますが、死後、無事に天国で永遠の命にあずか
ることに力点が置かれています。(もっともこれは大多数の「エホバの証人」には当
てはまりませんが。)
いずれにしろ、「エホバの証人」に限らず(この際、彼らの教えが本当のキリスト教
かどうかはさておき)、キリスト教はその信者たちをこの世で起きている事に無関心
にさせる危険性を内包している宗教だと思います。

《編集者より》
一世紀当時と現在では多くのことが根本的に異なっていますが、政治体制もその一つです。確かに現在でも、昔ながらの独裁政権もありますが、エホバの証人が盛んになっている多くの先進国では、国民全員が参加する民主主義体制が広く普及しています。一世紀当時存在しなかったこの体制では、投票拒否もまた一つの消極的な意志の表示になります。それは投票結果の母数となり、エホバの証人が投票を拒否すればするほど、その体制の多数派を支持する結果になります。投票率が低い場合にはたいていの場合保守現職が当選するのはそのためです。このように見れば、エホバの証人が投票を拒否してそれが「この世」から離れている、と思うのは全くの自己満足の理論でしかないことがわかると思います。つまり自分が感覚的に「世から離れている」と感じさえすればよくて、結果的にどうなろうと知らないよ、という態度です。私はキリスト教全体が、為政者の言うなりになっているとは思いませんが、少なくとも統治体のやり方は、結果的に為政者に迎合していると思います。しかし、それが世の中を悪くさせて楽園の音信を受け入れやすくするというのは、少し考えすぎだと私は思います。


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