(11-7-04)
今年の春日本支部のトップである織田正太郎兄弟が、ベテルの屋上から桜の写真を写そう として転落し死亡したとの報告がありました。ものみの塔に載せる写真を撮ろうとしてい たのだとか、自殺ではないか等様々な噂が流れていますが、もし前者が真実ならいかにベ テルが危機意識がなく平和ボケしているかがよく分かります。数年前のことですが、某日 系2世の地域監督が休暇中(英語ではバケーションと呼ぶ)ハワイの海でダイビング中に 死亡する事故がありました。私はハワイの海でダイビングできるような身分ではありませ んし、そのようなことをする暇もお金もありません。しかし、地域監督、巡回監督、及び 特別開拓者やベテル奉仕者には、有給休暇制度があり、人によって10日から長い人は1ヵ 月近くも休暇を取ることができるのです。その間彼らの中にはバリ島などの高級リゾート 地に行ってバケーション楽しむ者もいます。休暇を取るのはその人の自由ですし、どんな 娯楽を楽しむのもその人の自由です。しかし私は、高級リゾート地でバケーションを楽し むイエス・キリストの姿などとても思いに描くことはできません。長年ベテルに居座って いる兄弟達は(I兄弟やS兄弟など1960年台から40年近くもベテルに居る)、日々何の心 配もなく美味しいものを食べ、快適な住居に住み何不自由ない生活を送っており、また行 く先々で感謝されることしかないためその感覚は当然に麻痺し、一般に生活している兄弟 達の大変さなど到底わかるはずがありません。だからこそ先のような事故が起きてしまう のです。日々世俗の仕事をしながら家族を養っている地元の兄弟達は、有休など取れず眠 る時間を擦り減らし会衆のため家族のため働いており毎日が緊張の連続なのです。ベテル に長年居座っている兄弟達こそ緊急感いや緊張感を失ってしまっており、口では立派のこ とを言うものの、行いの伴わないことをしているのです。彼らはちょうど裸の王様のよう で、自分では悪くないと思っているかもしれませんが、周りから見れば明らかにおかしな ことをしているのです。私はイエスがこの地上に来て謙遜を学ばれたように、彼らも一度 野に下り、パウロが模範として示したように自ら働き、現実に生活していくことがどれほ ど大変なものか体感する必要があると思うのです。
《編集者より》
アメリカのこちらのエホバの証人の間では、「旅行する監督」という一種の皮肉めいたあだながよく使われます。実際、エホバの証人の組織の中にはtraveling overseerという職があるのですが、一部の指導的な地位にある長老や監督は、職種に関係なくよく長期のバケーションを取って、別荘やリゾートでの生活を満喫しています。残された会衆の一般の証人は、「最近brother ** を見かけないけど」と言うと、「ああ、彼は例によって旅行する監督でいないのよ」、と皮肉を交えて話します。また、元ベテルで地域監督や巡回監督をした人々に聞くと、自分たちの行きたい観光地やリゾート地に長く留まるような旅行計画を立てて、その旅行が一種の「職業上の特権」となっているようです。もちろん、行く先々で大歓迎を受け、至れり尽くせりのもてなしを受けるわけですから、一度味わったらやめられない魅力のようです。