「三度の研究生、でも見つけられない真理」

(10-26-04)

半年前に、このHPを見つけて読ませてもらっています。
つくづく考えさせられてしまいました。
それで、自分の事も少し話してみたくなり、書いてみることにしました。
私は20代の始めの頃に、友人であったエホバの証人から組織の真理を学びました。
その時から聖書を愛し、ものみの塔に真理を求め続けていました。
とうとう54才になりましたが、今だに納得の行く答えを見つけていません。
それでも、まだ、聖書に真実の何かを求めています。
振り返ってみれば、私の人生はものみの塔に振り回されていたのかもしれません。
証人になることはありませんでしたが、若い時に学んだ真理なるものが頭に入り込んでい
るからです。それは洗脳と言えるかも知れません。
一度目の研究生は1974年の頃でした。当時、幼い五歳と二歳の子供に水筒を持たせて、
伝導に連れ歩いていました。夫の反対も気にせずです。それは、1975年の終りのハル
マゲドンが近くて、一人でも多くの人を救いたいと本心願っていたからです。
しかし、夫に大言を吐いたにもかかわらず、1975年は平和に過ぎて行きました。また、
私の師なる姉妹がウツ病になり、他の親しい姉妹も排斥されました。
家から集会所までが一時間もかかることもあって、私もしだいに遠ざかりました。
二度目の研究生は、中学生になった上の子供と二人で始めましたが、始めから六カ月しか
研究期間はとれないことを証人から告げられていましたので、集会に行かない限りは
研究は打ち切り、ということでした。まァ、それならやめておこう、と思ったものです。
三度目の研究生になったのは五十歳になった三年前です。
二年間研究生として学び、集会に行き、神権宣教学校に入りました。多くの疑問があるに
もかかわらず、姉妹の励ましに、いいかげんにパプテスマを受けなければいけないと思っ
ていました。
しかし、疑問や不信感があると、喜びが出てきません。
日曜日の、ものみの塔研究、手を上げての注解には、何の意味も感じられず、内心時間の
無駄だと思うのです。組織の本から注解しても、それは私には研究とは思えないのです。
ましてや、それが神を賛美している事になるとは、なお更思えないのです。
何が私の進歩を邪魔しているのかと、自分自身、困った人間だと悩んでいました。
姉妹達の励ましのトゲのある言葉が、それに追い討ちをかけ、軽いウツ状態になりました。
しばらく考えたい事があるからと、集会に行かなくなりました。
その後一年、自分なりに勉強をしてきました。と言っても、組織の本をひたすら読んでい
ただけですが。その間、姉妹達は定期的に訪問してくださいます。
四月に一つの事件が起こりました。主の記念式に出席した時の事です。私の隣の0姉妹
がパンを食べ、杯を飲んだのです。この会衆には、天に行く人はいないと聞いていたので
驚き、また嬉しくもありました。しかし、後日、S姉妹に話すと、言葉を濁してしまいま
す。
私は「でも、本人は天に行くのが分かっているから飲んだのですよ」と言いましたが、S
姉妹は「それは本人の事だから」と言います。腑に落ちない私は再度、聞きました。「し
かし、残りの者の数が発表されているでしょう。0姉妹はその数には入らないのですか?
監督が認めないのであれば、報告がなされないのではないですか?では、0姉妹は間違っ
て飲んだと言うことになりませんか?しかも、昨年も飲まれたと聞きましたし・・・」し
かし、答えは「その話しは、エホバと本人の関係だから・・・」と言われるばかりです。
姉妹にこれ以上の答えは望めません。もやのかかった疑問を自分で模索しnめました。そ
して、ついにパソコンでの検索にたどりつきました。恐いもの見たさ半分で。
ありました。コリント1の11:33.使徒2:41、42です。目を疑いました。新世
界訳では
見つかりませんでしたが、引照附聖書には、パンを裂き祈りをなすことを只ひたすらつと
む、とありました。弟子達は度々行っていたのでしょう。
後日、S姉妹に記念式の頻度を聖句を示して話しましたが、インターネットの一言で、慌
てた様子で後ずさりされ、早々に退散されました。背教者と思われたことでしょう。
昔、幼い子供達がトンボやセミを捕まえて得意気に可愛いい笑みを浮かべていたのを思い
出します。無知からくる笑顔には、本当に純粋な美しさがあります。
言葉は神に通じるのであれば、自分の言葉に責任を持たなくてはいけないと思う昨今です。
このHPは私の魂を救ってくれました。毎日、目が釘ずけです。本当に感謝しています。
村本様の深い知識と平衡のとれた感性には頭が下がる思いです。
今後も頑張って下さい。かげながら、応援しています。ありがとうございました。
だらだらと書きつづりましたが、お許しください。

《編集者より》
このサイトがお役に立ったとすれば、嬉しい限りでありがとうございました。記念式で「飲む」人(表象物にあずかる人)の話は、いつも苦笑させられます。確かに建前は「エホバと本人の関係」なのですが、そう言いながら、「あの人は感情的になって飲んだだけ」などと言い、ものみの塔協会自体も、ものみの塔誌などで、「間違った思い込み」(ものみの塔誌2003年2月15日20ページ)などと言って、本人が確信していても組織は認めないという態度をとっています。これもまた、建前と本音とが全く違う、この組織の実態を表しています。本来「エホバと本人の関係」である事柄を、外から見て組織が間違いであるかないかと判断するのです。個人の信仰を組織がいかにコントロールするかの良い例であると思います。