「編集者様への質問」−「私が一連の質問を投書した理由」

(10-25-04)

私が一連の質問を投書した理由は、宗教とは基本的に「信じる
行為」でその対象は個人の自由ですから、宗教の土俵の上で論
じたり批判したりするべきものであり、さもなければ「宗教の
迫害」になりかねないと危惧したからです。このサイトの冒頭
で引用されているものみの塔でも、下線は外してありますが「
しかし偽りの宗教の間違いを説くためには、権威ある判断の手
段、絶対の基準を持つことが必要である」という下りがありま
す。つまり人は絶対と信じる宗教的真理がありかつそれを提示
することによってのみ、その人が他の宗教的信条との違いを論
じ、またそのあり方を批判するにしてもその批判は「宗教の迫
害」ではない、ということではないでしょうか。少なくともあ
なたがサイトの看板に掲げるこの一文はそう主張しています。
しかしあなたは都合のいい部分だけ下線で強調して、宗教の批
判はものみの塔もしており自分も同じことをしているだけ、と
主張していますがこの理由においてそのやり方は根本的に異な
っています。さらにものみの塔から地図の例えも引用されてい
ますが、権威ある地図と、その地図を使って正しい道をはっき
り提示することで、その人が進んでいる道が間違っていること
を正当に主張することができるのではないでしょうか。地図も
提示せずに、どの道を進むかは自由で、自分の道もあなたにと
って正しい訳ではないが、とにかくこの道だけはやめた方がい
いぞ、と言ったらその人は信用されますか。ではあなたが提示
する「偽りの宗教の間違いを説くための権威ある判断の手段、
絶対の基準」とは一体何なのでしょうか。こう尋ねればあなた
は「それぞれが判断すればいいこと」とお答えになるでしょう
が、それはあなたが看板に掲げるその一文と完全に矛盾してい
ませんか。自分には他人の宗教を批判する権利などないことを
自ら認めていることになりませんか。このように矛盾を指摘す
ればもはや反論もできずに「矛盾と考える人もいればそうでな
い人もいる」と単純にオウムのように繰り返すだけのあなたの
回答は残念であると同時に失笑せざるをえませんでした。

このサイトに投書される方々へ;
「私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです
。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁する
ことのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。それ
で、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするので
すか。そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの
敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。
なぜ、むしろだまされるままにしておかないのですか。」(コ
リント人への第一の手紙 6:5-7)

これはあなたにも言えることですが「素晴らしい聖書の教えを
信じて従っている」と言うあなたが、真偽の程も分からない恣
意的でスキャンダラスな投書に逐一コメントをして不特定多数
の人に公表するのは矛盾してはいないのですか。とにかくあな
たの主義主張やこのサイトでしていることはあまりにも矛盾だ
らけで一貫していません。しかしその矛盾を指摘することで明
らかになるのは決して変わることのない一貫したあなたの真の
目的です。この一連の投書は最後になるかと思いますが、あな
たの偏ったサイト運営により、偏った「信者」からの投書が集
中する傾向が強まっているとお見受けするのでいつのまにか裸
の王様にならないようお気をつけ下さい。その幾人かでもこの
サイトの本質に「目覚める」ことができるよう願っています。

《編集者より》
ここに来て、あなたがどうしても明らかにしなかった、あなたの「宗教的アイデンティティー」が分かったように思います。もちろんこれが最後だとおっしゃりますから、これ以上はっきりは言えないのでしょうが、あなたは組織に忠実な証人であるか、組織から離れてもその教えからは抜けられない方であると推察しました(これはあくまで私の推察ですので、間違っていてもそれは仕方がありませんが)。これまでのやりとりで、あなたと私とは、神や宗教の見方に根本的な違いがあることは分かりましたし、あなたはその点だけは合意するのではないでしょうか。ただ、あなたと私とではまずあなたが主張する「土俵」があるかどうか、批判の仕方も制限されるべきなのか、などの基本的なことでさえも合意できないことはここで明らかになりましたので、これ以上の議論は無駄になると思いますので、ここで私もやめにしたいと思います。このサイトを読者がどう受け止めるかは、今までも全く読者の自由に任せてきましたので、「偏った」とすれば、それは読者がそうしたことで、私が操作したわけではありません。ちなみに、あなたのこのような批判(あなたの言葉をそのまま借りれば「真偽の程も分からない恣意的でスキャンダラスな投書」)をも無修正で掲載するこのサイトと、批判を一切封じるものみの塔協会の講演や出版物と、どちらを読者が「偏った」と見るかどうか、これは読者の皆様の判断に任せたいと思います。