「たかが選手」

(10-19-04)

  現在日本ではプロ野球の再編問題について毎日の様に報道されています。
少し前になりますがその中で、プロ野球選手会会長の古田選手が「オーナーたちと話をした
いという気持ちはある。その方が(議論が)開かれた感じがして良いのではないか」と話し
たところ、その発言について、報道陣から質問された巨人の渡辺オーナー(当時)は「分
をわきまえないといかん。たかが選手が。オーナーと対等に話をする協約上の根拠はひと
つもない」と言ったそうです。
  それを聞いて私は、似たような事を聞いたことがあったなと思いました。

  それは以前現役の頃交わっていた会衆でのことです。
日曜日の集会は120人位で、3人の長老、6人の奉仕の僕に加えてその他にも結構大勢
の兄弟達がいる大きめの会衆でした。しかもほとんどの兄弟達が活発でやる気のある人た
ちでした。
  ある時、数人の兄弟達が集まって話をしている時に、末端で働いている兄弟姉妹達や子
供達などについて知ってもらったり、いろいろな要望なども伝えたいので、奉仕の僕やそ
の他の兄弟達が長老達と話をする機会を持ちたいということが、皆の口々から出てきまし
た。
当時、個々の成員は個人的に長老達に近づいて話すことが当然出来ましたが、長老を交え
て何人かが集まって話をするという機会はありませんでした。
確かに、日頃長老達に話しておきたい事や伝えておきたいような事などがあっても、なか
なかその機会が無くて折角の提案や質問などを逸してしまうことが多々ありました。
それで、たまには兄弟達が集まってざっくばらんな話し合いを持ちたいと、長老達にお願
いに行きました。

  しかしそこでの長老達からの回答が、冒頭の渡辺前オーナーの発言のようなものでした。
実際に何を言われたかというと、「協会の取り決めでは、年2回の巡回訪問の時に巡回監督
と共に《長老の集まり》と《長老と奉仕の僕の集まり》を行ない、それ意外にはそれぞれ
の巡回訪問の間に1回の《長老の集まり》をする様に、つまり《長老の集まり》は年4回、
《長老と奉仕の僕の集まり》は年2回というものなので、それ意外に何らかの集まりを持
つ必要はない」というものでした。
これは、ちょっと乱暴に言いかえると「たかが唯の兄弟の分際で、長老と対等に話をする
根拠(協会からの指示)はひとつもない」というのと同じ事ではないでしょうか。
  プロ野球選手会が、何とかこれから将来の野球界を良いものにしたいとの動機で話し合
いたいと言ったのと同じように、その時の私達も、会衆をなんとかより良いものにしたい
との純粋な動機で話し合いを申し込んだのに、非常に残念な回答しか得られませんでした。
確かにその時の長老団の決定は、組織の運営上では何の落ち度も無いことでしょうが、な
ぜ兄弟達がそのような申し出をして来たのかをもう少し考えて欲しかったと今でも思いま
す。
  協会の取り決め通りに全てを行なえば他には何の問題も無いというその膠着した態度に、
本当のキリスト者としての個々の成員に対する純粋な愛はあるのでしょうか。

《編集者より》
この例も、エホバの証人の組織が、いかに「組織第一、人間第二」、「形式第一、実質第二」、「うわべ第一、こころ第二」の硬直したお役所的な組織であるかを示すよい事例であると思います。