「お便りください」−「元熱心な一世です」

(10-2-04)

以前二度ほど、投稿させていただいた事のある元熱心な一世です。
ある機会があってから、JWを冷めた目で見るようになりました。
そして、このサイトにめぐり合い、読み進めるにつれJWの教理の誤りを確信するに至りました。
今はすっかり足を洗い、普通の人として毎日平凡な日々を暮らしています。

このサイトの及ぼす力はすごいと思います。
恐らく自分一人の力では、強迫観念と共に否定しきれずにいた様々な慣行を捨てる事は出来なかったと
思います。
私がこの組織の中で費やしてきた十数年間という長い歳月は一体なんだったんだろうと回顧しています。
単に無駄な時間の浪費だと言うにはあまりに長すぎますし、払った犠牲は多すぎます。
しばらく前までは、この組織から出来るだけ遠くに離れ去るために、怒ったり、恨んだり、様々な感情を思
いきり味わってきました。
ここに寄せられた様々な経験や意見や論文を読むたびに、共感を覚え、「いいぞ、いいぞ、その通り」と
心の中で応援してきました。
けれど、最近は「もう彼らの事はどうでもいいや」と思うようになってきました。
攻撃という意味でも、感情を騒がせるという意味でも彼らに触れたくないというのが今の心境です。
それで、今回こうしてメールを送らせていただくのは、このサイトの主旨からそれているのかもしれないの
ですが、先にも書きました「この組織で費やしてきた長い年月は一体なんだったのだろう」という自分自身
の問いに答えを出したいという目的からです。

そもそも、私が研究を始めた動機は自分自身の人格を陶冶したいというものでした。
でも、いざ研究を始めると、人格陶冶というよりも、聖書の信憑性だとか、教理がどうのこうのとか、首を
かしげるものばかりでした。
けれど、強迫的な司会者の前で、きっぱりとお断りすることもできず、ぐずぐず研究を続けいつの間にか
マインドコントロールにはまっていました。
バプテスマを受けてからは、業(わざ)と呼ばれる事柄を熱心に行えば人格は自動的についてくるものだ
と思い違いをしていました。
実際は砂地の上に建てた家のようなものでした。外で良く思われるようにいい顔をしていただけだったの
です。
宗教につまずいて初めて、自分の弱点や本当の姿が見えたような気がしました。
今度こそ自分自身の真の土台作りをしたいと思いました。
今、見渡せば仏教でも、偉人の書いた物の中でも、小説でも映画でも、教えられる事がたくさんあります。
私が今見習いたいと思っているのは、五体不満足を書いた乙武洋匡さんの精神的健康さ。あいだみつを
さんの自分自身や人生を見据えた態度などなど。あと重松清さんの小説も大好きです。
先日、お昼休みに会社から外に出て、めったに見る事のない空の青さと濃い緑の木々の美しさに目を奪
われました。
いじいじとしていた自分から開放されて、空気を胸いっぱいに吸い込むことができました。
私は、自分自身を省み、生き方を模索することそのものが本来の宗教だと思います。
それは、どこかの組織に入ることでも、誰かに帰依することでもないと思います。
私は、組織に入って、何かに依存するという間違いをおかしてしまいましたが、自分自身の人格を陶冶し
たいという本来の動機は今でも健在です。
ただ、方法を間違えてしまったのです。間違いは誰にでもあります。きっと無駄ではなかったのだと思いま
す。私の本来の欲求を叶えるために必要な間違いだったのかもしれません。

今でも、真の土台作りは困難で、四苦八苦しています。励まし合う仲間が欲しいと思っています。
こんな私ですが、良かったらメールください。どなたでも結構です。
私は47歳の主婦です。   jtdsp533@ybb.ne.jp

《編集者より》
このように、エホバの証人の組織を離れてからの心の動きと立ち直りの過程を詳細に書いていただくことは、後に続く人々、今現在悩みつづけている人々にとって、大きな励ましになると思います。きっとメールを通じて更に励ましあうことができるのではないでしょうか。あなたの到達された結論、「自分自身を省み、生き方を模索することそのものが本来の宗教だと思います」、「それは、どこかの組織に入ることでも、誰かに帰依することでもないと思います」という考え方は、偶然にも私が最近出した本、「神の神経学」で得られた結論とよく似ています。そして、それが美しい自然や、芸術を通してでも感じ取ることができることも、私が考えていることです。あなたがエホバの証人として過ごした日々は、決して無駄ではありません。苦いものを食べたことにより、本当に美味しいものの味がわかるように、あなたの過去は、現在の自分の大事な土台になっていることを考え、将来に向かって積極的に生きていって下さい。