「神の神経学―脳に宗教の起源を求めて」の読書の感想−レイダンラップ

(8-28-04)

「神の神経学 ― 脳に宗教の起源を求めて」の本がAMAZONでも扱われるようになったの
で早速購入して読ませていただきました。脳内の働きと「神」との関連の論議に加えて村
本先生の背景の一部を興味深く読ませていただきました。脳内の、特に「前頭葉」の部分
を損傷した方の極めて珍しい事例などの説明を通して今まで以上に”脳”の働きと”神”
との関係を意識するようになりました。そして、特に第3部に出てくる「内なる神」と
「外なる神」に関する部分が印象深く、自分自身の「内なる神」を検証する上で大変参考
になったと感じています。つまり、結果としてですが、極めて偽善的な組織の影響下で形
成してきた”自分自身の神”(この本の「内なる神」に相当するもの)がどういう”神”
なのか可能な限り客観的に分析し、余分の付着物を除去しておきたいと考えている者にと
って有用な分析用モデルになるということです。
 
思い起こせば、私の「内なる神」は私が物心がついた幼い頃、空を眺めているときに、自
分がなぜここにいるのだろう?と漠然とした疑問を抱いた頃から既に存在していたように
感じています。また、学生時代に、気の合う仲間たちとの会話の中で宇宙の神秘に関する
話し合いがあり、”俺は、ニュートンの運動法則を含む物質間の様々な働きを制御してい
る何かが”神”だと思ってるんだ!”と述べたことを今でも覚えています。それから10
年後にエホバの証人の熱心な奉仕者を通して、”真理の本”と聖書を教材として、私の
「内なる神」に新たな情報(「外なる神」に関するもの)が入り込んできました。私の
「内なる神」はたちまち、その「外なる神」を真の神として受け入れて、人生の大半を過
ごすことになったのです。
 
 
私たちの「内なる神」は生まれたばかりのときに全くの無ではなく、村本先生も言ってお
られる、コンピュータのOSのような基本ソフトが既に脳内に組み込まれているのだと自分
なりに納得しており、そこに私は創造者の意図を感じるのです。一般的な科学者の方々の
自然な思考によりますと、進化の過程でそうなったという論議になりますが、私自身の脳
内の推論回路によれば、それは私たち人間の仕組みを設計された方の創造によるものであ
り、その「内なる神」の、いわば”初期回路”は絶えず人間の設計者である真の神を模索
するように創られているのだと考えます。模索していますから、「外なる神」に関する情
報の影響を絶えず受けます。そして「内なる神」の形成過程が進行していきます。所詮、
模索の対象は目に見えませんから、”信仰”という新たな回路が形成されることになりま
す。
 
しかしながら、様々な要因により、個人によってその模索の程度、方法、知識、経験、願
望、特質が極めて多様であり、同じ外なる神について学んでいても、現実には、実に様々
な「内なる神」が存在することになるのだろうと思います。エホバの証人であってもその
例外ではないことを事実が物語っています。エホバの証人の「外なる神」は多様な「内な
る神」に対してかなり狭量なところがあり、また、組織が肥大化するに従い、組織そのも
のがいつの間にか外なる神と対等になってしまい、本来、創造者が意図された方法での信
仰回路形成を助けるどころか、むしろ組織が障害物と成り下がってしまっているように見
受けられます。つい最近までこんな考え方などしたこともありませんでした。それも当然
なのです。外なる神に関する特定の理解、考え方を、集会、奉仕、大会などを通して常に、
そうです何度も何度も(お経のように)吹き込まれてきましたから。ですから健全な批判
の精神、常に確かめるという精神の重要性を今更ながら思い知らされました。疑い深くな
るというのではなく、創造者によって組み込まれた神を模索する健全な心を失わなければ
良いのです。私の推論によれば、多様な「内なる神」が自然であり、神もそれを是認され
るであろうと思います。そして、内なる神は継続的に育っていくものでしょう!神は私た
ちの、まさにその健全な模索、つまり信仰を喜んで受け入れてくださるのです。
 
これが、「神の神経学―脳に宗教の起源を求めて」の本を読ませていただいた後の感想で
す。村本先生からこのような思考の刺激をいただきまして感謝いたします。

《編集者より》
読んで頂いて、何かの役にたてれば著者として大きな喜びです。もちろん、あなたが言われるように、「内なる神」が全ての人間に備わっている理由は「人間の設計者である真の神を模索するように創られているのだと考えます」、というのは私の観点と異なりますが、ここでは私の反論は致しません。この本の内容は、二面性を持っており、そこが理解の難しい所であり、それを多くの読者から指摘されました。つまり一つは宗教そのもののの理解ですが、これは神経科学者にとっては異質なもので理解できず、煙たい話に過ぎません。逆に宗教に興味を持って読まれるが神経科学には素人の読者にとっては、宗教の起源の脳内の仕組みを理解することができず、これはやはり「創造者におまかせしよう」という読み方になってしまうのです。全ての人に同じ様に理解してもらうように、この内容を論じることは非常に難しいことであるし、ほとんど不可能であると感じています。従って、あなたのように部分的にでも理解していただけるかたがいるなら、それだけで私は喜んでいます。ありがとうございました。