(8-9-04)
1. 週3日の集会の取り決め これについては、何度も言及しているので省略します。 イエスがおっしゃった 「荷」としての集会は、当時行われていた安息日ごとの集まり、つまり週1日の集会 でした。 2.開拓奉仕の取り決め 開拓奉仕の聖書的根拠として、統治体は、パウロが天幕づくりの仕事で夜昼働きな がら奉仕をしたことを挙げてきました。 しかし、使徒18:2から5節を読んでみ ると、3節で天幕づくりを職としていたことに言及した後、4節では、「しかしなが ら、彼は安息日ごとに会堂で話をしてユダヤ人とギリシャ人を説得するのであっ た。」とあり、5節では、「シラスとテモテが来ると、パウロはひたすらみ言葉のこ とに携わるようになった。」とあります。つまり、働いていたときには安息日ごとに 週1回宣教し、ひたすら携わるようになったときは仕事をやめていることが示唆され ています。そのことは、コリント第一9:4,6に、「私たちには飲食をする権限が あるのではありませんか。・・・世俗の仕事をやめる権限がないのは、バルナバとわ たしだけなのですか。」と抗議していることからもわかります。 どこを読んでも開拓奉仕の取り決めを示唆する聖句はありません。1世紀には、宣教 に専念する人は世俗の仕事をせず、世俗の仕事をしている人は、週1回の宣教をしな がら、専念している人たちを経済的に支えたことが読み取れます。宣教に専念する人 にとっても、世俗の仕事をする人にとっても、キリストの「荷」は負いやすいもので した。 開拓奉仕を「楽しんでいる」人たちは、まだそれなりに身体的力のある人たちで す。老いや病気になったとき、非聖書的取り決めがもたらす苛酷さを思い知るので す。一家の頭が働けなくなったり、亡くなった神権家族は非常に大変です。子供は、 病気の親や残された親を養うために結婚できないこともしばしばあります。もちろ ん、開拓奉仕は自己責任で選択することですから別にやってもいいのですが、家族や 仲間に一方的に世話になりながら日々をしのいでいく生活は心から満足のいく生活で しょうか。霊的なことに専念してしてきた人たちすべてが、皆、終生べテル奉仕者の ような生活ができると保証するのなら、非聖書的取り決めを推し進めても許される可 能性はあり得るかもしれません。しかし、非聖書的取り決めをつくって、さんざん 人々に勧め、苛酷な状況になったら、「あんたが自由意志で選択したことでしょう」 と無責任を決め込むのは、エホバに嫌悪される精神態度です。特に今は、昔と違っ て、開拓者が結果的にどういう状況になり得るかということが既に沢山例証されてい ます。それを知りながら、若者に同じ轍を踏ませようとする組織の態度はいかがなも のでしょうか。今の若者が老いる前に終わりが来るというかもしれませんが、老いな くても体をこわしたり、取り返しのつかない行き詰まりに陥る例は沢山あるのです。 でも、組織にとって都合の悪いそういうマイナス面は一切公開されず、数少ない「い い話」だけが公開されます。それは一種の詐欺であり、エホバの前に罪は重いでしょ う。 3.奉仕報告の取り決め 聖書的根拠は皆無です。 統治体は、ルカ10:17の、70人の弟子たちがイエスに奉仕に関する報告をし たことを根拠として挙げますが、続く20節では、「しかしながら、霊があなた方に 服していることを歓ぶのではなく、あなた方の名が天に記されたことを歓びなさ い。」とイエスはたしなめておられます。つまり、成果の報告を要求されることはあ りませんでした。世界的伝道状況を把握したいなら、無記名で十分でしょう。 この奉仕報告という非聖書的取り決めのために、奉仕ができなくなったり、数が少 なくなったとき、神経症的に落胆する人が多いのです。特に長年開拓をしている姉妹 に多い神経症です。(本人は神経症と自覚していないようですが)。奉仕をしていな いと不安、自分はクリスチャンとしてだめになるという感覚は、イエスやエホバから もたらされるものではありません。長年の奉仕報告という非聖書的取り決めがもたら した開拓依存症や不安神経症なのです。 これらの非聖書的取り決めは、初期のエホバの証人(名前は違いますが)が作った取 り決めであり、それこそ霊的光が今ほどなかった時代に作られたものです。当時は非 聖書的なことが多く行われていましたが、これらの取り決めもその一つです。いつま でも人間の考えで頑迷に執着するのでなく、聖書的路線に調整することが求められて いると思います。事態が煮詰まってきていることをさまざまな状況は教えていると思 います。
《編集者より》
皮肉なことに、これらの非聖書的取り決めは、過去において、また現在でもある地域では、組織の増大につながっていることは否めません。開拓奉仕者を増やし、奉仕時間を報告させて、無償で競い合って組織拡大のために奔走する貴重な労働力を確保することは、ものみの塔組織の拡大の根幹であり、それは今でも続いていると思います。それが今後、組織の衰退を招くことになるのかどうか、見守る必要がありますが、確かにあなたの指摘されるように、弊害が山積してくると、組織衰退の大きな理由となるかも知れません。