「組織を離れることができるかどうかは疑問です」

(8-4-04)

ピーターですが。
先日2通メールを送らせていただいた者です。
 
その後、サイト内のさまざまな記事を読み、疑問に感じていた点が良くわかりましたので
返答を「読者の広場」に掲載していただかなくても結構です。
 
ただ何がしかの意味があるのでしたら掲載していただいても結構ですが。
 
私も現役2世として、この組織の情けない実態や、教理の不備にたくさんの疑問を抱いていましたが、
このサイトを詳しく調べることにより多くの疑問が解けてきました。
と同時に一個人(一人間)としての人生に関してもより深くより平衡のとれた見方ができるようになりました。
 
ただ、自分がこの組織を離れることができるかどうかは疑問です。
多くの2世の方々と同様友達はこの組織の中にしかいません。
その関係を捨てることは到底難しいと思います。
 
今は親鸞のような心境です。
「たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄に落ちたりとも、
さらに後悔すべからずさふらう。そのゆへは、自余の行もはげみて仏になるべかりける身が、
念仏をまふして地獄にもおちてさふらはばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ。
いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」
親鸞は、師匠に騙されていたのだとしても、念仏を唱える行を行ったことを後悔しない。
自分には所詮それしかできなかったのだから。。。と言っています。
そう、僕には所詮この宗教をやっていくことしかできないと思います。
やめたところで自分の幸せを見つけることができるかどうか。
いまのまま波風立てずに暮らしていけばそれなりの幸せを経験できるでしょう。
であれば、このままこの組織の中にいて、結果地獄に落とされたとしても後悔はしません。
地獄なんてないのだから。
 
地獄の教えはどのようにして始まったのでしょうか?
思うに、世の中の不公正、不公平に対処するために考え出されたものでしょう。
どの時代にも搾取されている人がいます。
そのようなひどい目にあっている人は、あいつは死んだ後地獄に落ちるんだと思えば
せめてもの心の安らぎを経験できたでしょう。
 
そう、他の人の福祉を真剣に考えないで自分のことばかり考えている人間は地獄に落ちるのです。
 
今は少し休息が必要でキ。
村本さんの労力に感服いたします。

《編集者より》
立て続けに投書されて下さることから見て、あなたの心は大きく揺れているように思います。ここは結論をあせらずに、ゆっくりと休息して下さい。直ぐに下の投書に書きましたが、人がどの宗教団体に属するか属さないかは、一つの仮面をつけるか別の仮面をつけるかだけの違いです。宗教団体の側から見ればこれは決定的な問題ですが、人間の側から見れば、所詮は仮面に過ぎません。(詳しい考察に興味があれば、私の著書をお読み下さい。)組織を離れるか、離れないかは本質的な問題ではありません。このサイトを見ればわかると思いますが、多くの「目ざめた」エホバの証人が組織に残っています。とにかく結論や行動を焦らずに、ゆっくり休んで考えてみて下さい。