「奉仕時間を入れる」(6-15-04)の投稿を読んで−レイダンラップ

(7-24-04)

「奉仕時間を入れる」を読ませていただき、全く同感だと思いました。私自身そういう
思いを、もう10数年前からもっており、そのようなことをどのように考えたらよいのか
苦慮していました。と申しましても組織批判ではなく、尊敬し、敬愛する統治体の兄弟た
ち、ものみの塔誌、目ざめよ誌を通していつも啓発してくださっている立派な方々の方針
をどのように弁護できるかという観点からの”苦慮”でした。イエスの兄弟たちが、こん
な実態を意図しているはずはないだろうから、おそらく意思伝達の過程で、規則一辺倒の
”アホ”な組織人間が捻じ曲げているのだろうと考えていました。(事実はそうではなか
ったのですが。)
 
その”アホ”な組織人間の一例ですが、ある奉仕監督(正規開拓者)の留守宅伝道の組織
の仕方は、できるだけ離れた家を組み合わせて訪問するというものでした。もちろん、そ
のように自分自身が行い、そして他の奉仕者に指導していました。(時間をたくさん入れ
られるようにという”温かい?配慮”から)
同監督は開拓者の集まりで、「奉仕中、自動販売機からジュースを買って飲んだらその時
点で奉仕時間のカウントは止まります。次の家に入るまで時間は入りませんから気をつけ
るように!」と、毅然とした権威ある態度で説明しました。(補足1:同監督は奉仕中に
たびたびしている噂話好きの開拓者たちとの長い立ち話の時間は”入れて”いたのです。)
(補足2:この影響を受けたある若い奉仕者は、自分の研究生から、家庭聖書研究の後に
出されたお茶を飲まずに次の奉仕に向かいました。そこで奉仕時間のカウントが止まるの
を避けるためだったのです。くつろいで語り合うそのお茶を飲みながらの会話が効果的な
宣教にとって非常に貴重ななのに!数年後、その奉仕者はアホ監督の隊伍に加わりました。
)
そのアホの隣に座っていた私の心中をどうぞ察してください。開拓者たちの前では長老た
ちが分裂もできないので我慢しましたが、内心、「こんなアホ監督と一致して仕えなけれ
ばならないのか!」とこみ上げてくる憤りを抑えるのが大変でした。組織内にはこのよう
なアホが結構いて、地方の方に行くともっとたくさんのアホがいると聞いたこともありま
す。アホといって馬鹿にしていると大変なことになります。隣人愛という動機付けの極め
て弱い、そういう人間に限って、なぜか組織の”規則”に精通していているのです。そし
て、疑うことを知らない人たちがそういう人たちの規則論によって、思わぬところで足元
を掬われることが生じます。本質的なことではないのですが、組織はそういうことが生じ
るのを許します。
 
そういうアホと組織の中枢部は何の関係もないはずだと信じきっていましたが、分厚い目
のうろこを取り除くきっかけをこのウェブサイトが提供してくれました。レイモンドフラ
ンズ事件の全容を把握したときに長年不可解に思ってきたことのすべてが解明されたとい
う大きな衝撃を経験しました。組織の中枢部からの経路の中にアホがいるに違いないと思
っていたら、なんとトップそのものがアホだったのです。JW(元JWも含め)の方が 
「奉仕時間を入れる」の記事を読んでその信憑性を疑う人はまずいないと思います。なぜ
なら全く同様の経験を共有しているからです。(もっとも組織信奉者は違う意見を述べる
かもしれませんが。)同様に、レイモンドフランズの書いた”良心の危機”の本にはその
種の信憑性が満ち溢れてます。長老として同様の関心事を持っていたものにとってはなお
さらのことです。”In Search of Christian Freedom”は難解な英語表現が多いのでとて
も全部は読めませんでしたが、”JWの牧羊の仕方”に関してたくさんの具体例があげら
れていて、多くのアホ監督たちによって愛すべき羊さんたちが非常に苦しめられ、ある方
は自殺にまで追いやられてきた部分は注意深く重大な関心をもって読みました。そのすべ
ては、たとえで言うなら、”時間を入れる”類の考え方で扱われた結果です。つまりアホ
監督たちによってもたらされた結果です。聖書を開いてなにやら大層立派な話しをします
が、その行いはアホそのものなのです。
 
数年前の王国宣教学校で、”キリストの愛が律法なんだ!”と強調され、とトも励まされ
たのを覚えています。というのは、従来は、どちらかというと裁き方に関する細かな指針、
指示のようなものが目立っていましたから。今から思えば、これは単なる推測ではありま
すが、組織がレイモンドフランズの著書の影響力を無視できず、ひそかに勉強して、”
In Search of Christian Freedom”の中で強調されていた要点を参考にして王国宣教学校
のプログラムを構成したのではないだろうかと私は感じております。皮肉でなく、極めて
誠実に申しますが、真の牧者でありたいと願うなら、組織が力ずくで排斥したレイモンド
フランズによる”In Search of Christian Freedom”の本に勝る教科書はないと思ってい
ます。そこには、”アホ”というような表現は全くなく(物足らないくらい)実に客観的
に、多くの事例と聖書からの論議が展開されています。
 
再び、 「奉仕時間を入れる」に戻りましょう!今現在でも、アホ監督たちの指導のもと
に、愛すべき、疑うことを知らない人たちが”時間”を入れる奉仕を行っています。夜中
にパートの仕事をして失業中のご主人を助け、昼間は睡眠と、”時間を入れる”奉仕を行
い、集会では、コックリコックリ居眠りをし、突然、”それはエホバです!”と新しい方
(もしいれば)と競って注解をし、楽園に向かって必死になって歩んでいる正規開拓者の
ことを思いにとめてください!。一方において、ブルックリンベテルには老齢年金のこと
など考える必要もない快適な生活が保証された組織の中枢部の人たちがいます。1975
年にイエスキリストによる1000年統治が始まると予言した方はすでに亡くなっていま
す。その仲間たちもどんどん老衰でお亡くなりになっています。
 
いつものことですが、人生の大半をアホ監督たちの指導のもとに過ごしてきた過去を思い
出し、今でも個人的に愛する人たちがそこにとどまっている現実を考え、深ーーーいため
息がでます。そして、ほんの一瞬、自分のほうがもしかしたらアホなのだろうか?と弱気
になることもあります。しかし、どう考えても、前途有望な大勢の若者たちの人生を、意
味のある奉仕ではなく、 「時間を入れる」奉仕活動へと追いやってきたアホたち、いや
偽善者たちを容認することなど私にはできません。
(”アホ”という表現がふさわしくないとお感じになられましたらお詫びいたします。そ
れは私自身の語彙の不足ゆえとご理解ください。それ以外の適切な表現が見当たりません
でした。)

《編集者より》
レイモンド・フランズの二冊目の本である、In Search of Christian Freedom(クリスチャンの自由を求めて)は、あなたのおっしゃるように、エホバの証人の教義を最も深い所から聖書に忠実に解析してあるもので、エホバの証人の教義を最も深く学びたいと思うなら、是非この一冊を読むことをお勧めします。結局の所、現在でもエホバの証人が拠り所としている「洞察」の本は、同じ著者であるレイモンド・フランズがかなりの部分を執筆したものであり、「洞察」と「クリスチャンの自由を求めて」を一緒に読むことにより、エホバの証人の教義の最も深いものが理解できると思います。集会で長老や監督の話をきくよりも、ものみの塔誌を毎週研究するよりも、もっと元にある教義の理解ができると思います。