「エホバの証人記者クラブとJWICの討論を見ての感想」−匿名希望の元JW

(7-23-04)

元JWとしての意見ですが(主張とまではいえませんが)

「エホバの証人記者クラブ」はエホバの証人側の意見とみえました。
「JWIC」の記述はエホバの証人の実質についてよく捕らえていると感じました。

「エホバの証人記者クラブ」の記述は非常によくものみの塔出版物を研究している模
範的エホバの証人の回答といえます。
表現について非常に厳しい目で「エホバの証人記者クラブ」さんよく他人を検閲して
いると思います。
いわばJWの”裁き人”としての”人格”を感じます。

統治体の言葉を非常に熱心に一字一句検証している姿に感動いたしました。ある意味
統治体の奴隷であるといえるかもしれません。
しかしながら私は 言えるかもしれませんという表現にとどめたいと思います。私も
断言を避けたいと思います。

すこし字義から離れることにします。実態から述べてみたいと思いました。
例として 誕生日について言えば、認識のある長老夫婦の会話のなかにその研究生の
誕生日という話がでてきたことがあります。
さて 誕生日を祝うことは禁止されているのでしょうか という質問ですがこれは微
妙なニュアンスをのこしていました。
私が見た実態では 長老夫婦が誕生日プレゼントとは言いがたい誕生日プレゼントを
実際に研究生にしたのを”見た”ことがあります。
そのプレゼントとはなにかというと 言葉です。”姉妹誕生日xxxにちよね!お祝
いしなきゃね!” という”言葉”です。
冗談なのでしょうか?本気なのでしょうか? 少なくとも長老夫人の言葉であること
は事実でした。
さて実際にプレゼントとかお祝い会が開かれたかどうかまでは見ていません。
はてこれはどういうことでしょうか? どなたか意見ありますか?

私がJWだったときは 、「エホバの証人記者クラブ」のWebページができたばかりか
ひょっとしたらまだなかったときかもしれません。
私は当時、「エホバの証人記者クラブ」の存在をしりませんでしたので正確には、大
会でのプログラムのような認識をもつJWの兄弟がどれぐらいいたのかという疑問で
す。
この灰色の領域です、現在でいうと「エホバの証人記者クラブ」のエホバの証人の・
よ・う・に突き詰めて考えるエホバの証人はいったいどれぐらいの比率を占めている
のかが僕の疑問でした。

ちなみに私は元JWです。これは現役時代の話です。そのとき実際に行った質問です。
あるとき 選挙、誕生日、クリスマスケーキの扱いは すでに出版物のなかで見解が
述べられているので個人研究によって理解できるとの大会でのプログラムがありまし
た。
そこで 実験です。自分のことは棚の上において 理解できてますか?という質問を
私がいた120人規模の会衆で子供(乳飲み子は除く)含めほぼ全員にことあるごと
にたずねてみました。さてどれぐらいの人が、「エホバの証人記者クラブ」のように
答えることができたのでしょうか?
結果です。非常に不甲斐ないことにとある姉妹が2人 、「エホバの証人記者クラ
ブ」並みの回答をしてくれたに過ぎません。長老など全く話になりませんでした。主
宰、書記、奉仕監督も含め監督たちの答えは実に大雑把なものでした。主席者の人数
を120人とかかれている会衆での事件です。
私も大雑把な部類でしたのでこの120人の出席者という数字が赤子を含めているの
も覚えていませんが、わかっていることはほとんどの兄弟姉妹と呼ばれる人々ほぼ全
員に質問してわずか2人が 、「エホバの証人記者クラブ」さん級(実際には程遠い
です)の回答ができたということでした。
自分のことは棚にあげてということも面目ないですけど、
多かった答えは、 
誕生日
1 誕生日を祝わない理由はと切り出すひとが多かったです 祝わない理由として回
答がありました。「奴隷級の兄弟たちがだめだと言ってる」というものです。
2 誕生日を祝った聖書の記録ではいいものがない
3 ”姉妹誕生日xxxにちよね!お祝いしなきゃね!” と主宰監督長老夫人が
たった一人
そんなところです。
選挙
1 投票に行っちゃいけませんよ、世のものではないしサタンの世を指示することに
なります。
2 もし投票所にいくとしても無効投票するべきです。
3 選挙には一切かかわるべきではありません。
これらもその程度の答えばかりでした。
クリスマスケーキ
1 25日になれば買いにいってもいいんじゃないの?運がよければ安いし
2 ある兄弟(O兄弟)は クリスマスケーキを 売っていました。(これはたった
一人です)彼いわく自分が祝わなければいい
3 少数派としては 近づいてはならない。
主宰監督なんぞは 
 誕生日のことなど考えることはないそんなつまらない質問する暇があるならもっと
個人研究しなければならないものがたくさんあるだろう
 世の政治など 触れてはならない近づいてはならない サタンと我々になんの関係
があるのか?何を考察する必要があるのか?
 クリスマスケーキ!、なにを考えてるんだ くだらん。
という回答でした。会話にもなりませんでした。

結局のところ 
選挙には参加してはならない。(程度もなにもない)
誕生日は祝ってはならない
クリスマスケーキは 売ってもよい!(ただし一人)大半は25日過ぎたら買っても
よい。
という 実・際・的・な・知・恵・ で運営されていました。
理由など 「エホバの証人記者クラブ」さんレベルを理解している人と位置付けるな
ら だれも知らないに近い状態です。

輸血にいたっては かなりの時間を割いて会衆から学びましたが(通称血のブロシュ
アなどもありました) 細かいこと知ってる人は私がいた会衆では3人だけでした。
知ったかぶりは 一名 主宰監督夫人でした。
後の人はそうなったら 医療機関連絡委員会の兄弟にきてもらって説明してもらわな
いとわからない というものです。
3人の内訳は 長老たちです。そのうち一人は医療機関連絡委員でした。

では 私の私なりの結論ですが
ものみの塔側の意見というより主張ですが 「エホバの証人記者クラブ」さんのいう
ことは正しいです。模範的JWとだと思います。
でも 実態を年頭におくと
JWICさんが 正しいです。
言葉として 「エホバの証人記者クラブ」さんの言われることは ごもっともですが
 JWの現実とはかけ離れているというのが私の感想です。

ただし 「エホバの証人記者クラブ」さんの文章を読んでいると、”勝ち誇る態度”
を感じます。勝どきの声はエホバの勝利の日まで忍耐するべきだというのが JW時代
に学んだことです。
そこで質問です。 「エホバの証人記者クラブ」さんは 本当にエホバの証人なので
すか?

《編集者より》
申し訳ありませんが、この「討論」というのはどの記事を指しているのかわかりません。「エホバの証人記者クラブ」とこのウェブサイトが直接討論したことはありませんので、よく内容がわかりません。エホバの証人の誕生日に対する態度ですが、誕生日を表立って祝わないということは共通していますが、それ以外の対応の仕方は様々です。あるエホバの証人は、祝うことは行なわないが、祝われることは自分が参加しない限り構わないと言って、プレゼントだけはしっかりともらっています。また誕生日の前日に「おめでとう」と言わない限り他のほとんど全ての誕生日に関する祝福をする人もいます。たとえば、「明日は誕生日ね、(ここで『オメデトウ』と出そうなのをぐっとこらえて)お母様も元気で長生きしてくれて嬉しいわ、これからもずっと元気でいてね。そう、この前○○屋に行ったらいいカーディガンがあったらか買っといたの、(『お誕生日のプレゼントに』と言いたいのをぐっとこらえて)送っておいたから着てみてね」、といった調子です。これは実際に組織に忠実なエホバの証人が日常やっていることです。もちろん組織が禁じている誕生日の祝いは行なっていないのですが、スレスレのことをやっています。これは誕生日の祝いではなく、愛の表現なのだそうです。しかし、本来誕生日の祝いそのものが、ヨブ1:4に書いてあるように、その人を愛する人々がその人のために祝ってあげることではないでしょうか。もし誕生日のスピリットを「愛の表現」として許すのであれば、ものみの塔協会の誕生日の禁止は、全くの形式的なものでしょう。またもし、本当に誕生日が根本的に悪いことであるのなら、誕生や誕生の記念などは全て禁じられるべきであり、年に一回日を決めてその人の健康と長寿をたたえるような、ヨブの家族がやっていたような行為も全て含めるべきでしょう。しかし、実際には多くのエホバの証人が、この誕生日禁止の教えを薄々無意味なものと気付き、実質的には誕生日に似たようなことをやっています。他の投書にも書きましたが、日本にはない習慣ですが、アメリカでは出産を控えた妊婦に対して行なう生まれてくる子供のための祝いである、「ベエイビーシャワー」という習慣がありますが、これはエホバの証人が最も好んでやる「誕生前」の祝いなのです。これもエホバの証人の「輸血拒否」と全く同じで、形式的に避けて、実質は取るというやり方です。エホバの証人がいかにパリサイ人と同じように、形式と外見だけで掟を守っているか、を見事に示しています。