「被害を最小限にとどめることができた」元研究生

(6-22-04)


始めまして。
貴HPを閲覧させていただき、私の体験を投稿しようと考え、
メールをさせていただきました。

私はJWでの体験は約1年です。
脱却後は、全く後遺症もなく、平穏に生活しています。
私の体験談は、脱却してからすぐに、「いつか人に話したい」
と思っていたことですので、この場をお貸し頂ければと思います。

<中略>

小学生の頃にJWに足を踏み入れたことがあり、
被害を最小限にとどめることができた31歳男です。

私はいわゆる「2世」ではないです。
また、登場する母・私ともバプテスマは受けておりません。

私が小学4年のころ、母がJWの勉強を始めました。
私も流れで勉強するようになりました。

父は反対していました。
ただ、母の性格(熱しやすく冷めやすい)を熟知していたせいか、うるさくはありませんでした。

ところが、私が小学5年の頃、ふとしたきっかけで母は勉強を止め、書籍を全て処分してしまいました。
それは、父が体調を悪化させてしまったことから始まります。
原因はわかりませんが、JWも原因の1つであろうかと思います。

母は、当然父の体調不良を改善すべく、JWの勉強を差し置いて父に尽くしました。
夫婦として当たり前のことだったように思います。

しかし、母の講師役だったオバサン(姉妹でした)が、
「JWと夫の健康、どちらが大事なの?」と強い口調で非難したそうです。
もちろん、「JWが最優先に決まっているでしょ!」というニュアンスで非難されたそうです。

母は切れました。
「夫のほうが大事だ!」と。
そして、母は勉強を止め、集会等も全く行かなくなりました。

なぜか、私はその後数ヶ月、細々と勉強を続けていました。
そんな私も、ついに止めることになりました。

それは、ある日の王国会館。
集会が終わり、帰宅しようとしている時でした。
「長老」と、他の信者が会話しているところを通りかかったところ、
あきらかに私を軽蔑のまなざしで見ていました。
子供ながらはっきりとわかりました。

帰宅してから、暗そうな私を見て母が一言
「やめる?」

「うん。」
私は即決でした。

以降は、意識的に自分を変えにかかりました。
自分から友達を作りに行く。
転校生が来たら、即声をかけ友達になる。
そういった努力のおかげか、ごく普通の人間として生きてゆくことができています。

大学はカトリック系の大学でした。
(2年までは、週に1度キリスト教に関する講義がありました。)
何の抵抗もありませんでした。
逆に自宅にきたJW信者を追い返すのに役立ちました。

私にとって何が幸運だったかといえば、
母に人間としての理性があるうちに父が体調不良になったことと、
母の良心がJWに毒される前であったこと。
私が王国会館で白い目で見られたこと。
でしょうか。

私の経験はここまでしかございません。
悪文になってしまい申し訳ございません。

追伸
先日、小学校時代の通知表が見つかりました。
担任の所見欄で、
「ちょっと暗い。もっと友達を作ったほうが良い。」
という内容の記述がありました。
くしくも、JWで勉強していた時期と一致していました。
やめた後の所見では、
「明るくなった。友達もたくさんできたようで安心した。」
という内容で記述されていました。
子供にはもろに影響するのだと感じましたね。

本文中に出てくるオバサン(姉妹)の家を知っているのですが、
この前通りかかったら、豪邸になってました。
なんだかなぁ〜。

《編集者より》
あなたの場合、研究生であった期間は非常に短く、お母様はそれ以上に短い期間のエホバの証人生活をしたと思いますが、それでもあなたの子供時代の人格に大きな影響を与えたことは間違いないようです。もちろん、それなりに回復も早かったようですが。あなたも書かれているように、お父様の体調不良が何よりも幸したようで、残念ながら多くの事例で見られる、病気や不幸がエホバの証人をやめられるきっかけになる一つの例となっていると思います。


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