「『エホバとつながっていないからです』を投稿された方にに一言!」

(6-3-04)

レイダンラップという匿名で投稿させていただいているものです。 「エホバとつながっ
ていないからです」の記事を書かれた方に、私が読んで感じたことを率直にお伝えしたい
と思いました。もし、あなたが、自分は真に”エホバの証人”だと思われるのでしたらき
っと参考にしていただけると思って書いています。

まず、極めて小さなものではありますが、あなたの示された、”勇気”をほめたいと思い
ます。というのは、このサイトを訪れるのは、いわゆる”模範的な”エホバの証人のする
ことではないからです。組織の平均的長老は、そのようなことをする仲間に対して、”背
教者と交流することをエホバはどう思われるでしょうか?(推論させるスタイルで言いま
すよね!)そんなことは、無益であるばかりか有害なことと思われませんか?”と表面上
優しく、時に厳しく戒めるであろうことを考えるからです。
しかし、もしかしたらあなたご自身、その平均的長老の一人かもしれませんね!いや、巡
回監督なのかもしれません。実に悲しいことに、この程度の認識、理解でいわゆる牧羊が
なされているのが実態だからです。(組織にとどまっておられ、有能で経験のある長老が
いないなどといっているのではありません。若干ですがそのような人もいます。)
 
あなたの言っておられたことには、大きな認識の欠如、無理解があります。それは、”こ
れからも、組織の人は少しの失敗やミスを犯すでしょう。”という点です。靖国神社を参
拝する人たちの中にも、”人の命の価値は地球よりも重い!”と語った人がおられます。
それはある行為を正当化するために言ったことですが、それ自体は真理ですよね!”少し
の失敗やミス”が、霊的な分野で発揮されますと、それはまさに”人の命”にかかわる重
大な影響を及ぼします。残念ながら、そういう感覚が、あなたの文章の中には見受けられ
ません。失礼ですが、あなたはまだ、人生すべてをなげうって今の生き方をされてきた方
ではないと推察します。深い洞察、思慮深さ、親切、同情、理解、そして何よりも”愛”
が感じられないのです。
”エホバとつながっている”という感触がないのです。(痛烈な表現ですみません!必ず
しもあなた個人に向けただけではなく、平均的組織人間を念頭においています。)
 
そもそも、あなたはこのサイトが提供している情報全体を調べられましたか?繰り返しま
す!全体、特により本質的な部分にどれほどの時間をかけて調べられましたか?
最初の印象が”背教者のサイト”という印象をもたれたとしてもそれは、むしろ当然かも
しれません。しかし、我慢して、時間をかけて全ての情報を、裁判官が調べるように、ひ
とつひとつ裏づけを取るような仕方で、深い洞察力、思慮深さ、親切、同情心、理解力、
もう一つ、公正さをもって調べてみてください。(そのための多くの時間が必要です。形
式的になされているかもしれない奉仕時間を当てることができます。)
特に、組織の中枢部である統治体の実態に注意を払うことが肝要です。(中枢部がこうい
う人たちであるならば平均的組織人間がこうなのは当然のことなのだという理解が得られ
ます。)また、元エホバの証人たちの”悲痛な訴え”にも耳を傾けてみてください。あな
たの言われる”その本質を理解できないエホバの証人”という表現が、むしろ誰に当ては
まることなのか、難しいかもしれませんが、どうかどうか先入観を取り除いて、心と思い
を十分開いて考えてみてください。
私の正直な印象として、元エホバの証人たちの中にむしろ尊敬できる純粋な人たちがたく
さん見受けられます。
 
パウロは偽使徒呼ばわりされた時、非常に大胆に自己弁護をしたことがあります。私など
パウロの足元にも及ばない、全くとるに足らないものではありますが(謙遜ではなく事実
として)、本気になって組織に長年仕えてきたものなので多少の強調表現はお許しくださ
い!
 
失礼な表現がありましたらどうかお許しください!あなたが、「エホバとつながっていな
いからです」という表現で、本質的なことについて触れられたので、しかも私が、ある意
味で人生全体をかけて調べたことと深いかかわりがありましたので、私の意見を極めて大
胆、率直に述べさせていただきました。
 
ことの事実全体に通じさえすれば、”あなたがいろいろな疑問を投げかける事は、ある意
味勉強になるのかもしれませんね。”というような軽薄な表現を用いられたことをきっと
恥じられると思います。この機会に、“神の唯一の経路症候群”という言葉の意味すると
ころに留意されるよう強くお勧めいたします。手始めに、「良心の危機」の本を購入し、
徹底的に調査されることで、真に勇気を示されるよう励ましたいと思います。

《編集者より》
これは「“神の唯一の経路”症候群から開放されて・・・」の投書者(レイダンラップ氏)から、「エホバとつながっていないからです」の投書に対して頂いたものです。反論の対象となっている前回の投書は、多分組織に忠実なエホバの証人の方が書かれたものであると思われ、私は自分の考えを詳細に書きましたのでお読みください。「エホバとつながっている」という言葉は、組織の腐敗に目をつぶり、現状維持の安堵感を支える、組織に忠実なエホバの証人たちの一種の自己暗示になっていることを書いたと思います。

もう一つこれと関係した議論でよく聞かれるのは、「他に代わるものがないから」というものです。つまり、「A.私はエホバについている、B.だからエホバの地上の組織についていなければならない、C.たとえものみの塔が腐敗していても、それに代わる組織はない、D.だからものみの塔が間違っていても、そこから出るべきではない」、という議論です。しかし、このよく聞かれる議論には多くの問題があります。まず、A→Bは決して絶対的な論理の帰結ではありません。つまり、エホバについていても、エホバの地上の組織でなく、天の組織についてもいいかもしれませんし、組織でなくても人についてもいいかもしれませんし、物についてもいいかもしれませんし、何もつかなくてもいいかもしれません。それなのに、これだけ多くある選択肢の中からB、つまり地上の組織につくという結論を出すには、論理の飛躍がなければなりません。その飛躍を正当化するのが聖書ですが、ここで決定的な問題があります。それは、Bがものみの塔組織自身の聖書解釈であり、独立に得られた命題ではないということです。あることを主張するのに、それを正しいとする理由として、同じ結論から出てくる理由を使えば、それは循環論理となり欺瞞に過ぎなくなります。循環論理を使った簡単な欺瞞である、次の例を見れば直ぐにこの問題はわかるでしょう。「X氏は日本の最も偉大な政治家である、なぜなら彼の著書を読めば彼の偉大な業績が書いてあるから」。この論理が欺瞞であるのは、命題の根拠(彼の著書の内容)と命題(彼が偉大な政治家である)とが本質的には同じことを言っていることによる循環論だからです。同じ事をものみの塔の議論にあてはめてみましょう。「ものみの塔協会はエホバの唯一の地上の組織である、なぜなら聖書には(ものみの塔協会の解釈によって読む限り)そのような地上の組織があると書いてあるから」。これは、ものみの塔協会が一貫して使ってきた欺瞞であり、今でもほとんどの組織に忠実なエホバの証人はこの循環論から抜け出ることが出来ず、理由になっていない欺瞞的論理で自己暗示にかけて、自らを殻の中に閉じ込めているのです。