「“神の唯一の経路”症候群から開放されて・・・」

(5-30-04)

レイダンラップという匿名で書かせていただきます。(この名を選んだ理由は、レイモン
ドフランズやエドワードダンラップという人たちの考え、経験にかなり共鳴するものを感
じているからです。)

今回は、JWとして長年打ち込んだ者が、組織との活動を離れて2,3年経過して現在どの
ような心境で暮らしているかについて、あるがまま、感じたままを淡々と述べさせていた
だきます。いわゆる体験談です。細かな教理について述べるつもりもなく、自己主張でも
ないと、自分では思っております。

現在の心境を一言で言えば、それとは気づかずに囚われていた“何か”から解き放たれた
ような、ある種の”解放感”とでもいうようなものを抱いています。脳の中で絶えず回っ
ていた機械的な繰り返し(ループ)が停止して、それまでおろそかにしてしまっていた他
のことに関連して脳の働きが活動し始めています。今までの仲間たちが私をどう見るであ
ろうかについては100%分かっているので、”そうではないのだ!”と、自分を正当化
するために、むしろ私にとって彼らがどう見えるかについて、彼らに伝えたいという衝動
が時折あります。しかし、そうしても、ほぼ間違いなく伝わらないであろうという結論に
落ち着きます。

これから語る内容は、何かを説得するための論理的なものではありません。単に思いつい
たことを羅列したものです。

1.創造者、神、イエス、聖書、ノア、アブラハム、イスラエル民族の形成、歴史、イエ
スキリストの教え、使徒たちの活動記録、などの知識はしっかりと私の脳裏に刻まれてお
り、それは決して失われるようなものではありません。今でも、祈りのうちに偉大な神を
崇拝していますし、憐れみと導きを求めております。しかしながら、“組織”独自の教理、
ルールに関する“痕跡“は、時間の経過と共に、私の脳裏から薄らいできているというこ
とを実感しています。

2.声を荒げて主張するつもりはありません。JWの組織は“神の唯一の経路”などでない
ことはマインドコントロールから解かれたものにとってあまりにも明らかなことです。そ
のことは、1984、1914、1919,1925,1975年という数字を列挙する
だけで十分です。また、愛を体現しておられるエホバ神がなされるであろう“人の扱い方
”を考えるだけで十分明らかなのです。“神の唯一の経路”症候群という一種の病気がも
たらした“悲劇”はそれを経験している人が決して悲劇と感じないほどに治療の難しい病
気なのです。理性による信仰が強調されているのにそうなってしまうのです。どうやら脳
内の反応の仕方に関連がありそうです。経験でそう感じています。

3.現在の、愛のかけらも見られない世の中には何ら希望の根拠を見出せませんが、“神
“そのものが希望なのであって、組織などによりどころを見出そうとするのは”わな“と
なります。その神はわたしたちの弱さを知っておられるので、イエスを通して近づくこと
ができるような備えを設けてくださったということが今更ながら理解できるようになりま
した。繰り返しますが、知識としてではなく、経験を通した実感として、なるほどそうな
のだということが分かったということです。

4.残された人生には挑戦的な状況が待ち受けています。かなり難しい状況も予想されま
すが、愚痴などこぼさずに、他の人たちに対する優しい心を失わないようにしつつ、月並
みな表現ですが、頑張るしかありません。

5.時折、同じような気持ちの人たちとの交流を切望することがありますが、でも、今は
まだ、充電期間中だと思い直しています。私の脳内には、進化などでは説明しがたい、“
神”が存在しており、その方についての信仰は、組織がどうあれ、周りがどうあれ、自分
の考えがどうあれ、変わらない、そういうものをまずは再構築したいと思っています。た
とえば、村本先生の書かれた「神の神経学 ― 脳に宗教の起源を求めて」の本を読んで
みたいと思っています。率直に言いまして、進化論的な推論の仕方に影響されることはな
いと思っていますが、自分の思考力を刺激し、様々な推論の仕方から学び取りたいと思っ
ているからです。個人研究を薦めていながら、現実には反論を許さない、それでいて“タ
ッキング”などという言葉で自分たちのいい加減な推論の仕方を正当化するような、いわ
ば押し付けの推論からは、真の、生き生きとした信仰は生まれません。これは主張ではな
く、経験から事実を述べています。

今回はこの辺でペンを置きます。またお便りいたします。

《編集者より》
組織を離れて数年たった時点での、微妙な心境の変化を率直に書いていただきありがとうございました。組織への信仰(「神の唯一の経路症候群」)から、神への直接の信仰に変わっていく様子を興味深く読ませていただきました。「私の脳内には、進化などでは説明しがたい、“神”が存在しており」と書かれていますが、脳内の「内なる神」が実感できるとすれば、それは私の理論では宗教の根源であり、かつ究極の形であると思っておりますので、これも興味を持って読みました。私の著書を読んでいただければ、それに関連した議論は書かれていますが、ただ、今までに読んだ方々の感想を聞いてみると、やはり内容が難解である、また結局無神論である、という第一印象を受けるようで、その点は予めご承知下さい。余り大きな期待をかけて読まないほうがいいかもしれません。またその後のご感想を聞かせて頂ければ幸です。