「ヨハネの黙示録(啓示)」に関して

(5-7-04)

「エホバの証人」や「研究生」たちに「ヨハネの黙示録」(「啓示」)に関してよく
考えてもらいたいことがあります。なお、ここで引用している聖句はすべて「日本聖
書協会」の「新共同訳聖書」からです。

「統治体」が主張するように、仮に天で生きる階級と地で生きる階級という二つの階
級が存在するという説が正しいとしましょう。「統治体」は「聖書」を文字通りに解
釈することを謳っています。それならどうして「ヨハネの黙示録」7章1節から8節
までに書かれている天に行くことになっているという十四万四千人を文字通りに解釈
しないのでしょうか?選ばれたのは全員イスラエル人です。異邦人は一人も含まれて
いません。人の数字は実数だけれども人の内容は象徴というのは変だと思いません
か?数字が実数なら内容も実体であるはずです。神様が決めたことなのだから天に行
くのはイスラエル人だけでもいいのではありませんか?私はこの箇所を、その後に続
く「大群衆」も含めて、次のように解釈するべきだと思います。救われて天に住むこ
とになっているのはイスラエル人だけでその数は14万4千人に限られており、救わ
れて地に住むことになっているのはあらゆる人々でその数は限られていないと。でも
「統治体」がこの解釈を認めることは決してないでしょう。なぜなら、認めたらイス
ラエル人でない自分たちは天に行かれないことになり、地上の人々を統治する権限が
ないことになってしまいますから。ついでに指摘すれば、それらの選ばれたイスラエ
ル人の中にいわゆる「イスラエルの十二部族」の中の一つ「ダンの部族」が含まれて
いません。代わりに「マナセの部族」が含まれています。なぜだか分かりません。ど
なたでも結構ですから、お分かりになる方がいらっしゃいましたら教えていただけま
すか。そもそも天に行くかどうかを自分で決めることが変だと思いませんか?イエス
・キリストが決めることだと思いませんか?「自分は天に行く」と思っていてもイエ
ス・キリストから見ればふさわしくない人かもしれません。逆に「自分はとても天に
は行かれない」と思っていてもイエス・キリストから見ればふさわしい人かもしれま
せん。とにかくそんなことは自分で決めることではありません。

「統治体」による「ヨハネの黙示録」11章にある「二人の証人」の解釈もおかしな
ものでした。詳しい内容はもう忘れましたが、二人という数を文字通りには解釈して
いなかったことははっきりと覚えています。

「統治体」は「ものみの塔」で「ヨハネの黙示録」17章にある「七つの頭と十本の
角」をこれまでに存在した世界的覇権国家を意味していると解説し、様々な国家を当
てはめていましたが、その中に「太陽の沈まぬ国」と言われ、世界中に植民地を領有
し、中南米では現地の文明を破壊尽くし、現地人の言語まで変えてしまった野蛮な
「スペイン王国(帝国)」が含まれていなかったのは変だと思いました。適当に割り
振ったとしか考えられません。ところで、スペインは当時も今もキリスト教国家です
が、彼らがしたことはとてもキリスト教徒がすることとは思えません。

「ヨハネの黙示録」21章1節に「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。」と
書かれていますが、ある教会の聖職者から聞いた話によると、ここで使われている
「新しい」という言葉は原文のギリシャ語では「全く新しい」という意味だそうで
す。ということは「エホバの証人」が言っているような意味(現存する天地が「修正
されて新しくなる」)ではないことになります。私はギリシャ語が分かりませんの
で、ご関心のある方はさらにご自分で調べてみることをお勧めします。

「ヨハネの黙示録」22章13節に「わたしはアルファであり、オメガである。最初
の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」とありますが、文脈から判断
してこれは間違いなく「イエス・キリスト」を指しています。イエス・キリストがア
ルファであり、オメガであるということはイエス・キリストが神その者であることを
示しています。

象徴的な言い回しが多く使われている「ヨハネの黙示録」を解釈する時は、文脈を考
慮に入れ、よくよく注意するべきです。でないと、「統治体」がそうしているよう
に、いくらでも好きなようにあるいは自分たちに都合のいいように解釈できますか
ら。現在の「エホバの証人」の原形を創設したチャールズ・T・ラッセル(自称「神
の代弁者」)はヘプライ語もギリシャ語も知りませんでした。彼はその事を裁判で
はっきりと認めました。つまり彼は一度も「聖書」を原語で読んだことはないという
ことです。こんな人が「聖書」の奥義を本当に正しく理解できたと思いますか?いや
しくも「神の代弁者」と自称する者は「聖書」を原語で読むべきです。これは文学作
品に関して特に言えることだと思いますが、ある書物の真髄を本当に理解するには原
語で読まなければ不可能です。

《編集者より》
「ヨハネの黙示録」の解釈の問題は、内容が神秘的な象徴を扱っているだけに、解釈の仕方が何通りでもでき、それだけ妄想的な濫用が可能になるのであると思います。直ぐ次の投書で「忠実で思慮深い奴隷」のたとえ話についても述べましたが、ヨハネの黙示録の解釈も、聖書解釈がいかに妄想発展し、それが濫用され、それがマインド・コントロールによっていかに簡単に「真理」になってしまうかを示す良い例だと思います。