「『忠実で思慮深い奴隷』について〜最近の研究記事よりPart2」−苦悩するいち奉仕の僕

(5-7-04)


前回に引き続き2004年3月1日号のものみの塔誌に掲載された研究記事について考察してみたいと思います。
今回のテーマはマタイ24章45節で言及されている「奴隷」と「召使い」との関係についてです。
このマタイ24:45は第一研究記事の主題をなす聖句でした。このように述べられています。
「主人が、時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため、
彼らの上に任命した忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。」

記事の中ではこの「忠実で思慮深い奴隷」と「召使い」として表わされているものが、
それぞれ誰のことを指すのかということが説明されていました。
9節にはこのように述べられています。まず「忠実で思慮深い奴隷」について
『西暦33年から今までのどの時代であれ、地上で存在する一団としての油そそがれた霊的国民の全体を指します。』
続いて「召使い」について
『「召使いたち」とはだれでしょうか。 … 召使たちもやはり、油そそがれたクリスチャンでした。
ただしここでは、一団としてではなく、個々のメンバーとして見ています。』

さて、ここでわたしにはひとつの疑問が生じました。それは、
“一人のクリスチャンが「奴隷」と「召使い」という二つの立場に同時に就くことができるのでしょうか”
というものです。
なぜこのような疑問が生じたかというと、
この聖句で述べられている「奴隷」と「召使い」というのは全く別の立場であることが考えられるからです。

日本語で「奴隷」と「召使い」というと、その立場にあまり差がないように感じられます。
しかし、実際には「奴隷」と「召使い」という身分は大きく異なっています。
その点は英語で(あるいは他の西洋の言語で)この聖句を読んでみるだけでも明らかでしょう。
このように書かれています。
“Who really is the faithful and discreet SLAVE whom his master appointed over his DOMESTICS, 
to give them their food at the proper time?”
ジェームズ王欽定訳では
“Who then is a faithful and wise SERVANT, whom his load hath made ruler over his HOUSEHOLD, 
to give them meat in due season?”
さらに現代英語によるある翻訳では
“Who, then, is the faithful and prudent SERVANT, whom the master has put in charge of his HOUSEHOLD 
to distribute to them their food at the proper time?”
(注:大文字による強調は筆者による)

これらの聖句から分かるように、日本語で言う「奴隷」はslaveあるいはservantとなっていて、
そのとおり“奴隷”あるいは“下僕”であると理解できます。
奴隷という身分がどんなものであったのかは、学校で学んだとおりだと思いますので特に説明は不要だと思います。
対して、「召使い」と訳されている語は英語では“domestics”あるいは“household”となっています。
“domestic”は“召使い”“お手伝い”などと訳されます。
しかしそこには、最近よく耳にするドメスティック・ヴァイオレンスや(飛行機の)国内線という場合のように
“内輪の”という考えが含まれています。
また“household”は“家族”“世帯”“一族”などと訳され、英国での場合は“王室”と訳されることもあるようです。
つまり“血縁”を含む強いつながりのある立場を暗示するものといえるでしょう。
付け加えますと、並行記述であるルカ12:42では、この「召使い」の部分が「従者団」となっていて、
英語ではbody of attendantsとなっています。attendantは“付き添い”“随行員”“出席者”などと訳されます。

これらのことから分かりますように、
日本語で「召使い」と訳されている者の身分はかなり高いものであると考えることができます。
それは主人の“身内の者”であったり、あるいは、
少なくとも由緒ある家でいう“執事”のような立場であると理解することができるのではないでしょうか。

要するに、忠実で思慮深かろうとそうでなかろうと
「奴隷」という身分と「召使い」という身分の間には歴然とした差があるということです。
ではある一人のクリスチャンがいて、その人が属しているグループは「奴隷」という立場である、
しかし、その人を個人として見るなら「召使い」という立場である、というようなことがあり得るでしょうか。
これは例えて言うなら
“ある人が労働組合に属しています、しかしその人自身は会社の役員です”と言っているようなものです。
このようなことは普通あり得ないでしょう。
したがって今回の記事の中で述べられていたように“「忠実で思慮深い奴隷」は油そそがれた者の一団である、
そしてその個々のメンバーが「召使い」である”という説明は道理にそぐわないこじつけであると結論せざるを得ません。

この記事においてもそうですが、統治体はしきりに
“イエスの検分の際に、人々に対し熱心に霊的な食物を供給していた(しようとしていた)のは自分たちであり、
ゆえにイエスに是認された”と主張します。
しかし、大切なのは人々に対してではなく
「召使い」つまり、主人の身内や側近に対して忠実に仕えていたかどうかということです。
それは出版物を配布したりして宣伝活動を行なうということとは直接関係ありません。

ところで、ではイエスはこの一連の聖句において一体何を言わんとしていたのでしょうか。
上記の点を踏まえてこの部分を素直に読むなら次のようにならないでしょうか。 つまり
“主人が出かけているあいだに自分の身内や側近たちに対する忠実さを保ち、
自分がなすべきことを確実に行ないなさい。
主人が到着したときにそうしていると認められた奴隷は、主人から信頼されより大きな祝福を得られるでしょう。”

前回の投稿でも書きましたが、
わたし自身は「忠実で思慮深い奴隷」や「召使い」がいったい誰であるのかということを
どうしても解き明かしたいと思っているわけではありません。
マタイの24章と25章では大まかに言って四つの例え話が記されています。
そして、それらの要点はマタイ25:13節や並行記述のマルコ13:35、ルカ12:46などから考慮して明らかです。 つまり
“主人であるイエスの検分の時は誰も知らないのですから、絶えず目覚めていて忠実さを保ちなさい”ということです。
たとえ話というものは要点を理解するため、あるいは要点を明記させるために用いるものであって、
たとえ話そのものに意味を付すということはあまりないでしょう。
ですから要点がはっきりしているのに、あえてたとえ話の中身をごちゃごちゃいじり回して
そこから様々な解釈を得ようという試み自体がナンセンスだと思います。

しかしわたしたちは、このようなナンセンスな試みに翻弄され続けているのです。

《編集者より》
あなたの結論に再び賛成いたします。根本的な問題はたとえ話のメッセージを読み取るのでなく、たとえ話の事実関係を解釈してしまっていることにあります。この間違いは、この忠実な思慮深い奴隷のたとえ話に続く、同じ様なたとえ話である10人の処女のたとえ話(マタイ25:1-13)、タラントのたとえ話(マタイ24-30)を同じ様に解釈するとどうなるかを考えてみれば直ぐにわかるでしょう。これらのたとえ話には、一貫したテーマ、すなわち「主の帰還にそなえて、常に準備をしていなさい」というものがあり、一緒に読めばそのメッセージは明快に誰にでも分かります。しかし、ものみの塔協会がこれらのたとえ話を、忠実で思慮深い奴隷のたとえ話(マタイ24:45-51)の解釈と同じ様に事実関係にあてはめて解釈すれば、まず10人の処女は誰のことをさしているか、ということになります。5人の処女は賢くて準備していたということは、5人の女性がイエスに喜ばれることになるはずだから、これは5人の女性が統治体を形成することになると解釈しても構わないでしょう。油を燃やすことも現代に引き継がれていると解釈され、5人の女性の統治体がブルックリンで油をもやすことが、このたとえ話の主旨であるという解釈も出来るでしょう。タラントの例え話では、預けられたお金を投資して増やすことが「忠実な奴隷」の大事な仕事ですから、この終わりの時には資金をどんどん投資に向けてお金を増やすことが必要になります。利子のつかない当座預金に預けることはイエスに喜ばれないわけですから、「忠実な奴隷」は賢明な投資家でなければなりません。このたとえ話をものみの塔流に解釈すれば、「忠実な奴隷」は投資に努力することがイエスを迎えるための最も大事な準備になるはずです。(実際これに基づいて、金儲けを推奨する宗派もあるようです。)

このような解釈は、常識のある人から見れば、妄想的でただ文字の上っ面をなでた滑稽な解釈でしかないとうつるでしょう。しかし、エホバの証人にとっては、なぜかマタイ24:45-51は、「奴隷」がものみの塔の指導者のことを指していて、「食物」はものみの塔の出版物であると解釈しても、それが真理となってしまうのです。聖書解釈がいかに妄想発展し、それが濫用され、それがマインド・コントロールによっていかに簡単に「真理」になってしまうか、よく分かる例だと思います。


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