「研究生の一人として」−5

(3-16-04)

『神を崇拝する』 が終了し、次の集会から使用されるテキスト 『エホバに近づきなさ
い』 をいただきました。とても優しい表紙で内容も興味を引かれますが、集会参加は見
送ることにしました。
私がもっと強い人間で、集団生活になじみやすい性格の者だったら、引き続き参加させて
いただいたかもしれません。疲れやすいうえに、注解もせずにただ座っているような態度
ではいけないな、という思いがもたげてきて、さらに気になってしまうのです。
この分だと、家庭での「聖書研究」もいつ終了してしまうかわからない状況になってきま
した。
 
解釈の違いや理解の仕方が違っていても、学ぶのは好きです。
 
ところで中学のときの同級生がエホバの証人になっているのを知ったのは半年前のことで
した。彼女は私との研究交わりのなかで 「弱い人間の中に神がいてくださる」 という
思いが彼女を支えたことを話してくれました。 とはいっても、私たちの少女時代から彼
女が弱い人間というふうに映ったことは一度もなかったんですけど。
本人にとっての実感とはまたちがうのでしょう。
たしかに神は弱いもの、虐げられる者のそばにおられると思います。
 
聖書の「箴言」が好きだとおっしゃる方がいて、ちょっと読んでみました。そして具体的
な指針というのは逆のケースがあった場合にひじょうにつまずきとなるものだと思いまし
た。
「箴言」に記されている具体的指針が自分自身や知り合いに対して、批判的な厳しい視座
となった場合には、傷に傷を重ねることもあるのではないでしょうか。
ですから、この書の中にある "王レムエルの言葉" が肝要になってくるのだと思います。
31章8〜9節です。
 
「口のきけない者のため、すべて去って行く者たちのためにあなたの口を開け。あなたの
口を開き、正しく裁き、苦しんでいる者や貧しい者の言い分を弁護せよ。」
 
新共同訳のほうが好きなのでこちらも併記します。
「あなたの口を開いて弁護せよ
 ものを言えない人を
 犠牲になっている人の訴えを。
 あなたの口を開いて正しく裁け
 貧しく乏しい人の訴えを。」
 
 
私の司会者は、有難いことにこの言葉を実践としてよく身につけられている方です。それ
どころか彼女たちを見ていると、お互いに謙そんになって歩み寄ろうとする姿は美しい、
と感じさせられます。
仲間うちに限られていなければ "世" の主流でも美談で通るでしょう。
 
エホバの証人のほかに、創価学会の方とも親しくさせていただいている私は、知ってゆく
ほどに似通った部分を感じています。
一つには、この二つの団体はともに「聖書中心」や「御書根本」とされており、勉強熱心
で信者が全員専門家のようになっていることです。また、どちらもそれぞれの書が未来を
語って成就してきたことを信頼の理由づけとし、草の根的に布教活動しています。そして
信者はそれぞれの宗教価値の相続人です。
敵といいますか、悪の存在をはっきり分けるところも似ています。
 
エホバの証人は、聖書の古さを誇りとしています。私は古いのがいいとはいちがいに思い
ませんし、新しいからいいとも思いません。「新しい」はすぐに古くなるし、古いものは
新しくされるからです。
 
もうすぐイエス・キリストの死を祝う記念式があります。
去年は、イエスの悲劇的な死がなぜ祝されるのかを理解できませんでした。私には感情的
な悲しみや寂しさがつのるばかりで、彼らがそれを喜びとする意味はわかりませんでした。
私は聖霊もいらないし、当時の人々の罪をゆるしてほしくもなかったし、私のためであっ
ても犠牲者はいらないし、イエスの死は、ただ、ただ悲しいばかりでした。
 
今年は別の感慨がわいてくるのかどうか、ということも興味あることの一つですが、もっ
と気になっていることがあります。それは会場で挨拶にいそしまれる方々のようには社交
的でいられない私の性格です。そのことが一番の重荷となっています。
知り合いも増えていますから、知らん顔するわけにもいきません。受け身でいいのなら、
いくらでもお返しできます。
先に登場した私の同級生は、神の存在を感じて他の人のことは気にならなくなったといい
ます。私も、意識過剰気味なときは誰もがカボチャか大根に見えればいいのにと願い 
(イエスに見えるほうがよろしいんでしょうけど) 、反対に鈍感すぎるときはなぜもっと
他者に目を向けていないのかを突きつけられます。
 
イエスが聖霊を送って、数知れない者たちの涙をぬぐってくださるのなら、私もようやく
喜ぶことができます。
でも一番望んでいたのは、神とイエスを憎むほどのきつい時代がなければよかったのに、
ということでした。あの体験がうそだったらいいのにと 
今でも時々考えるくらいです。

《編集者より》
研究生を続けながら、様々な模索をしている様子がわかります。引き続き目を見開いて、耳をすまして、自分の心を広く持ちながら、自分の本心に正直になりながら、勉強を続けることをお勧めします。