「皮肉な話」−「二年前迄研究生でした」

(3-2-04)

私は二年前迄研究生でした。研究をやめるきっかけになったのは、証人の方が紹介し
てくれた医師の言葉でした。「ギリシャ語の聖書の原本からして違う解釈或いは、改
ざんしている。」
しかし10年の月日は簡単に呪縛を解いてはくれません。今でも出版物は受け取ってい
ます。
このHPを知ったのは一昨日です。心の中の氷が溶けていくようです。私の疑問は当た
り前で正しいことだったということに気付かせてくれました。大ちゃん事件(輸血拒
否で亡くなった子どもの事件)は自分の場合、規律を守る自信がなかったし、集会で
じっとしていない我が子のお尻をゴムホースで叩くこと・・・そのための部屋が予め
用意されていること・・・。その他沢山の疑問がありました。処世術として利益に
なったことも勿論あります(精神的なことです)。
しかし瀕死の状態の我が子を前に一分一秒を争う時にとりあえず輸血が唯一命をつな
ぐ手段である時に、それを拒否することは私にはできない・・・。その疑問を捨てた
りあきらめたりしなくてよかったと、今しみじみ思います。このHPに感謝します。

《編集者より》
疑問を疑問として常に直視し、自分を欺いたり心の裏に押し隠したりしないことは非常に大切なことだと思います。多くの研究生は、同じ様な疑問を持っていても、いつの間にか、「サタンが入り込んでいる」などと言う口実でそれを押し殺し、自分を欺いて無意識の彼方に押しやり、エホバの証人になっています。「何か臭い」という人間の直感は、自分を守る上で非常に重要な感覚です。それを持ちつづけたことが、あなたを泥沼に入る直前で食い止めたのではないでしょうか。