「時間確保のための裁判の事例 再考」

(3-1-04)

 この間メールした件について、丁寧にコメントをいただきありがとうございました。
 時間確保のための裁判事例は見当たらないとのことでしたが、それでもこの件について
はどうも釈然としていません。
 教団にとって、裁判の性格や内容より、その裁判が教団に利するかどうかが問題になる
と思います。民事であろうが、刑事であろうが、夫婦間であろうが、労使間であろうが、
そんなことは重要なことではないと思います。
 それでは、信者自身が働いている企業・団体に対して、信者が訴訟をおこすことはどう
か考えると、教団にとって有意義なことと思われます。具体的に有意義な点を以下にあげ
ます。
 
 1、裁判に勝つことで、時間を確保し集会に参加する人員を増やせる
 
 2、裁判をおこすことで、信者間の結束を固めることができ、信者をより忠実な教団の
奴隷にすることができる
 
 1については、勝つ可能性はかなり大きいものと思われます。日本の労働環境はたたけ
ばホコリの出る環境です。労使間の協定・契約は欧米先進国と違い、労働者側に不利なも
のとされ、そのことが長時間労働を生み出してます。形式上双方の合意ですが、対等な立
場ではなく、しばしば使用者側の都合が優先されます。その不利な協定・契約でさえも使
用者側が破っているのが現状です。新聞でサービス残業と出ているのがその一例です。実
際、残業代を支払わせたり、待遇改善を勝ち取ったりした裁判事例が時たま載ります。信
者は帰宅時間、労働実態をよくメモしておけば、裁判で勝てますし、そのあかつきには堂
々と集会に参加できます。
 
 2については、裁判の当事者になることで、信者としての自覚が高まります。また教団
が物心とも支援していくことで、信者同士が結束をかため、信者たちはより教団に忠実に
なっていきます。
 
 特にこのような裁判だと、教団は表だって出ることはなく、動きやすいように見えます。
前回の投書で、宗教活動を妨害されていると書きましたが、よく考えてみると、宗教の問
題を出す必要がありません。信者は原告として使用者側の協定・契約違反や憲法・労働法
規違反を問題としてあげ、そのことをかくれみのとして教団の利益を拡充させるように闘
っていけばよいのです。
 もちろん、すべての職場で裁判をおこす必要はありませんが、ケースバイケースでこれ
はという事例に対処していけば、教団にとって利益になるはずです。
 
 このように考えてみますと、なぜ自分の働いている企業・団体に対して裁判をおこさな
いのか不思議でたまりません。家族に対して残酷なほど犠牲を強いるのに、勤めていると
ころには少しも抗議しないのでしょうか?家庭崩壊も辞さないほど命がけで集会参加を望
むなら、教団のために裁判をおこして職場での労働環境を良くしてもよさそうなはずです。
 
 私が外から見て考えたことですので、誤った見方があるかもしれません。誤った見方が
あれば教えてください。

《編集者より》
別に誤った見方ではないと思いますが、そのような裁判を起こさない理由はいくらでもあるのではないでしょうか。確かにあなたの指摘するような利点はあるでしょうが、どれだけ裁判で勝つ可能性があるか、どれだけ費用がかかるかなどが、重要な要素になるのではないでしょうか。私は法律関係や裁判には全くの素人ですが、ものみの塔協会の弁護士にとっては、様々な理由でそれ程魅力ある裁判闘争ではないのかも知れません。