宗教を批判することについて

(2-15-04)


僕は19歳の男で、伯母は現在もJWをやっており、両親は過去にJWをやっていまし
た。JWや宗教に関して、以前から関心はあったのですが最近になってインターネッ
トのJW関連のサイトを見るようになってこの宗教について考えるようになりまし
た。
これは去年のことです。僕の家では今も誕生日を祝う習慣はないのですが、離婚した
父の恋人の女性が僕の誕生日にケーキを持ってきてくれたことがありました。ちょう
どそのとき伯母も一緒にいたのですが、嫌がる様子などなくみんなで和やかにケーキ
を食べていました。その後で「エホバの証人は誕生日にケーキを食べたりすることは
あまりないから」とは言っていましたが、けっして神経質になっていたわけではな
かったと思います。クリスマスについても「自分たちから祝うことはないけれど、付
き合いで楽しんでやるのなら悪いことではない」と言っていました。
「熱心」な人の多いJWだから極端に厳しくて排他的な人も多いのでしょうが、その
ほかの多くの人は理性も保たれていてもっと平和な、あるいは平凡な生活をおくって
いるのではないでしょうか。時が経つにつれてJWの態度が軟化しているというのも
あるのかもしれませんが。正直なところ、キリスト教会のHPのなかには、かえって
JWへの差別を助長して問題を悪化させているのではないかと不快になるものもあり
ます。
輸血や徴兵拒否の問題はともかくとしても、クリスマスや誕生日を祝わないこと、選
挙に参加しないことなどは度が過ぎなければ、それ自体を非難するのは馬鹿げたこと
なのではないかと、問題が少し違うかもしれないけれど宗教の違いでぶつかったりし
てしまう国の人のことを聞いて思いました。要は宗教というものは人によって毒にも
薬にもなるのではないでしょうか。
もちろんこんなことを書いたからといって変にJWを擁護するはありません。僕自身
JWの影響で生きづらいと感じたこともあります。ただ、ある宗教にいくつかの欠落
があったからといってその宗教すべてに反対するのが正しいことなのか、と考えてど
うすればよいかわからなくなってしまったのです。過去の経験からJWを激しく憎ん
でいる人もいるでしょうが、少なくとも僕はそれほどJWに酷いことをされたわけで
はないのだからいたずらに憎しみを奮い立たせるべきではないと思ったのです。JW
が消滅するにしろ存続するにしろとにかくこの世間との溝が埋まるように、憎んだり
悲しんだりすることがなくなるよう願っています。

《編集者より》
エホバの証人が徐々に非常識な見方や習慣をやめて、より常識的な態度をとってきた理由は幾つかあると思います。あなたも少し触れているように、ものみの塔協会がその非常識、荒唐無稽の教義を少しずつ変えて、社会(すなわち彼らの言う「世」)に受け入れられやすいようにしていることです。人間でも、幼児や青年時代にはかなり常識外れのことをしたり言ったりするものですが、立派な成人になると、やはり社会的な責任が出てきて、常識外れのことばかりもやっていられなくなります。同じ様に、宗教団体も確立した大組織になるについれて、どうしても社会体制に迎合せざるを得なくなるのです。もう一つの理由は、夫々のエホバの証人が「処世術」とでも言える態度を身につけていることです。意識的にも無意識的にも、自分たちが変わっていて「世の人」と軋轢を起こすことを知っている証人たちは、「世の人」と一緒にいる時は、出来るだけ宗教に触れないようにして、「普通の人」のような顔をしていることが多くあります。最近のエホバの証人は、特にこのような二重人格を巧みに使い分けているようです。私も、祝日を祝わないことは全く個人の自由であり、それ自体を非難することは馬鹿げていると思います。ただ、その理由が全く理由になっていない、自己矛盾なので、「あなたの信じているものは神ではなく、ブルックリンの鰯の頭ですよ」と言っているだけです。非難ではなく、ただ気がついていないことに目を向けているだけで、それを承知で信じて実行することは、その人の当然の権利で誰も非難すべきだとは思いません。

「ある宗教にいくつかの欠落があったからといってその宗教すべてに反対するのが正しいことなのか」というあなたの疑問には私はこのように考えます。宗教が正しいか正しくないかは、夫々の人の価値観によるもので、それは結局水掛論になります。しかし、宗教が一般人を騙してその宗教に引きずり込み、脱出を困難にしていることが外から見えるのなら、それを一般の人に警鐘することは、必要なことだと思っています。これは、このjwic.comのインデックスページの冒頭に引用した、1964年のものみの塔誌が言っているように、「偽りの宗教を公に暴露するのは、報道のあやまりを明らかにすることより有益なこと」なのです。ものみの塔協会自体がこのような活動を勧めているのであれば、これは「公共に対する奉仕」として有益なことなのではないでしょうか。


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