研究をはじめるきっかけ

(2-12-04)

 はじめまして。
 研究をはじめようとして その前にインターネットで検索してみようと思い
 色々みてましたら HPに出会いました。^^
 最初は エホバの証人の公式サイトかと思いました。(笑)
 でも 読んでいるうちに 何か違うなぁ。と。。。
 
 私はエホバという名前を知ってから10年くらいになります。
 少しずつ学んでいましたが 本当に始めたのは1年くらい前です。
 難しい内容もあって HPの方全部は読んでないのですが(すみません。汗)
 エホバの証人の歴史とかは 読んでちょっとびっくりしました。^^;
 その他のことにおいても 学んでる場所によって指導してくれる人も違うので
 色々な違いがあるんだなぁ。という感じもしました。
 懲らしめといって 鞭で打たれるのは 私も可哀想だと思います。
 私にも子供がいますが うちではまだ懲らしめはありません。
 いけないことが続いたときには ”ゲーム&漫画&ビデオ 当分抜きだぁ〜”
 というと 子供達にとって とっても懲らしめになるからです。(笑)
 でも やはり 家庭によってまた子供によっても違うので 
 鞭が必要なときもあるのでしょう。(赤毛のアンでもそうでした。^^;)

 私はエホバの証人の組織については あまりまだわかっていません。
 でも 世の中にいて正しい事が通用しなかったり 辛い事が多くあった中で
 聖書に出会えた事は 本当に救いでした。
 また エホバの証人の兄弟姉妹たちも 近所や学校の人たちとは違う
 本当に善い心の人たちばかりだと 思いました。
 宗教自体が 人間の作ったものであるなら どこかに矛盾が生じても仕方ない。と

 私は思っています。
 しかし 聖書が神の力によって書かれた物だということであれば 
 私はそれで十分です。
 山上の垂訓が地球の律法であったなら それに違反した人を逮捕!?(笑)
 する人がイエスであったなら 世の中は平和なのになぁ〜 と思うからです。

 輸血に関しても 出来るならばしない方がいい。というのはお医者様も
 ご存知でしょうし 最近の日本のお医者様は すぐに輸血しちゃう。って
 あるHPで 病院で働いてる人の日記などを読みました。
 人間の道徳や良心が消えつつある今の世の中では ちょっと強く言っとくくらいが

 いいんじゃないかな。。。と思います。(笑)
 仮に 輸血してしまったとしても それが故意にではなくて または
 誰がどう考えてもどうしようもないとか 何か不測の事態でとか・・・のときなら

 エホバの証人として排斥されたとしても エホバはわかってくれてると。。。
 これじゃ私は バプテスマ受けられないでしょうか!?(苦笑)

 本当なら 一人でも強く立って エホバの道を歩ける人間ならいいのでしょうが
 私は弱くて すぐ挫けて 悪い道を歩いていってしまいそうなので
 見える組織の中で 物凄い不条理なことでもない限りは
 口論は避けて 他の人たちと仲良く 霊的パラダイスを エンジョイしたいです♪

 神とかエホバとかの名前を使うのが嫌だと思う人でも 最初に創造したのは誰か。

 という点においては興味があるはずです。
 私はそれがエホバであると認識した。ということが エホバの証人としての研究を

 続けていこうと思った きっかけです。^^

 何はともあれ 世の中が平和に そして子供達が辛い思いをしないですむ
 世の中になっていって欲しい。と願っています。
 私はこれからも 一生懸命聖書を学び実践し 矛盾点はバシバシ長老の方々に
 突っ込んで質問し エホバ神に歓ばれる人間になれるよう努力していきたいと
 思っています。(笑)

 始めてなのに 長くなってしまいまして すみません。(汗)
 しかも お医者さんの方に こんなしょうもない文章で。。。トホホ・・・(大汗)
 しかも こんなメールで・・・本当にすみません。

 それではまたHPなど寄らせて頂きます。
 失礼しました。

 匿名希望 33歳 主婦

《編集者より》
まだ始まったばかりで、聖書、信仰、組織が頭の中でこん然としているのではないでしょうか。研究が進むにつれて、研究のねらいがこれらの三つをますます一つにして、最後は全部が一緒になって、聖書の教えイコール組織の教え、となるように作られています。この点に注意して研究を進められることをお勧めします。その目で見て聞いていると、なるほどと分かることが多くあると思いますが、自分はただ「聖書を学んでいるんだ」という単純な姿勢でいると、いつのまにか魔法にかけられたように聖書=組織の教えという確信に凝り固まってしまうことになります。この点に注意しながら研究を進めてください。なお、輸血に関してですが、日本でも他の国でも、一般に輸血の使用は時代と共にますます慎重になっています。「最近」になって輸血をする医者が増えているとは言えないと思います。そして問題は輸血の濫用ではなく、輸血を絶対にしないことで、取り返しのつかない人命が失われていることです。「たとえ輸血をしなくて死んでもエホバに祝福されれば・・・」というのがエホバの証人が繰り返す正当化ですが、エホバがそれを祝福するのは、他の誰も認めないようなものみの塔の破格な聖書の解釈が、エホバのご意志と一致していない限りあり得ないことなのです。すなわち、「聖書=組織の教え=エホバのご意志」を信じ込んで初めて、血を流しながら喜んで死んでいけるのです。しかし、ただの人間の組織が作ったこんな作文のような解釈にあなたは自分の一つしかない命を捧げたいと思うでしょうか。この点も研究を続ける中で考えてみて下さい。しばらく研究を続けた所で、また感想を聞かせて頂ければ幸です。