「削除しますか?」「はい」「いいえ」 フリーダムより

(2-1-04)

高校生の頃だっただろうか、夏の地域大会で当時で言う「記録」部門の自発奉仕をし
た。あのころはまだ「喫茶」部門や「炊事」部門などがあって、会場ではお弁当も含
めていろいろな食べ物が売られていたんだ。ただし、いったん現金を「チケット」と
呼ばれているものと交換しなくてはいけないんだけど、自分はそのお金とチケットを
交換するという自発奉仕をそのときしたんだ。山梨で長老をしている一人の兄弟の下
で働く「補佐」的なもので、ひとつのチケット売り場をその兄弟と自分、それに数人
の姉妹たちでやっていくんだ。夏の地域大会だから「炎天下」のもと(競輪場)チケッ
ト売り場は白いテントの中のひとつのテーブルに数人の姉妹たちが座ってやり取りが
行われていたんだ。大会が始まって二日目ぐらいだっただろうか、長老兄弟にひとつ
の提案をした。それはテーブルの位置を少し左側に移動してみてはどうかというこ
と。なぜならあと少し(1m位)移動するだけでそこは「日差し」があたらない涼しい
場所になるからだ。それに姉妹たちは「日焼け」を気にしていてわざわざ大きなツバ
サのある帽子をかぶってきたりしていた、そんな訳で少し移動するほうが良いと考え
たからだ。長老兄弟はすぐにそれをいい提案だとして早速移動することに同意してく
れた、謙遜で温厚なタイプの長老だったんだ。ところがその「少しの移動」が大問題
になってしまって・・・。移動をして三十分経つか経たないか、記録部門の監督が自
分たちのチケット売り場の前を自転車で通り過ぎると、テーブルの移動に気づいて大
仰な態度で近づいてくるなり「誰がこのテーブルの移動を許可したんですか !」と大
きな声で言ったかと思ったら、すかさず自分の提案を受け入れてくれた長老兄弟に向
かって「取り決めをなぜ守れないのですか?」
「許可を得ずなぜ移動したのか」と言い寄ったんだ。なかば「恫喝」に近い雰囲気
だったのを覚えている。怒られている長老兄弟はそのとき何も言うこともできず、た
だただ謝ってばかりで、可哀そうだった。そのことを最初に提案してしまった自分は
その長老兄弟に申し訳ないことをしたと思った。でもその時強く思ったんだ。強く心
に決めたんだ。「もう自分勝手な考えや行動は謹んでいこう。」と、「ただ上から言
われたとおりにしていけば、それでいいんだ。」と。「せん越な者」にならないため
に。「独立の精神」を避けるためにも・・・・。

「なぜ取り決めを守れないのですか」「なぜ許可を得ずに移動したのですか」考えて
みるとこの組織にはたくさんの「取り決め」と呼ばれているものがある。そして組織
や長老の「許可」を得ずにしてはいけないものもたくさん存在する。小さな子供から
大人まであの組織は自分たちを取り決めと許可でがんじがらめにしているんだ。五つ
の集会の取り決め、野外奉仕のための取り決め、クリスチャンとしての生活の中での
たくさんの取り決め・・・、「そうだ、会衆の小さな子供たちを○×姉妹の家に集め
て「聖書物語」の本からの「読み聞かせ会」をやろう。」こんな五つの集会以外の取
り決めを取り決めようとすると、それはすぐに会衆の長老の耳に伝わりその取り決め
は「助言」の対象となる。あるとき、小さな子供がお母さんに「どうして私にはそれ
が(王国宣教)もらえないの?」と尋ねたのでお母さんは次の奉仕会で子供のために自
分の王国宣教を「コピー」して渡したんだ。すると別のお母さん姉妹が「それ、いい
わね。」と言ってそのお母さん姉妹も次の時から自分の子供にもコピーした王国宣教
を用意してあげた。それが次々とまねされてゆき会衆の中の何人かのお母さんが自分
の子供に奉仕会の時コピーした王国宣教を持たせるようになった。そこで早速それは
会衆の長
老たちに知られるようになり、主宰監督は奉仕会の中で「会衆の必要」の特別なプロ
グラムを組み、最近自分の子供たちに王国宣教をコピーして渡している人がいるとい
うこと、王国宣教は資格ある伝道者だけが受け取ることのできる大切なものであると
いうこと、そして何よりもその「組織の取り決め」を守る事の必要性が強調されたん
だ。これは暗に王国宣教をコピーしていた姉妹たちに対して「会衆の集会」という大
勢の兄弟姉妹たちの前で行われた「助言」であり、組織の取り決めを「守れない者」
としての「助言」「懲らしめ」が行われたことを意味していて、その対象となったお
母さん姉妹たちは早速次の集会から自分の子供に王国宣教をコピーして渡すことをや
めたんだ。

生活のすべての中で組織はいつも何をしていたなら良いのか、何を考えていたなら良
いのか教える。そう、組織はいつもエホバへの愛の名の下に組織の拡大と出版物の配
布に全神経を振り向けるように教えるんだ。そのために用意されるたくさんの「取り
決め」その取り決めを守らせるためにいつも成員の心の中に「指示を仰ぐ傾向」を植
えつけておく。何をやるにも何を考えるのにもいつも「組織はどう教えているんだろ
う?」とか「このことに関する取り決めはどうだったろう?」とか指示を仰いでしま
うようになっていくんだ。今ここに一台のパソコンがある。もうこれでパソコンは自
分にとって四台目になるのだけれど最初に買ったパソコンでもそして今もっている最
新機種のパソコンでも共通して変わらないことがある。それはこのパソコン、自分か
らは何ひとつ出来ないんだ。何も自分で決定することも出来ないんだ。いつも自分に
聞いてくる、「保存しますか?」「はい」「いいえ」「表示しますか?」「はい」
「いいえ」「削除しますか?」「はい」「いいえ」・・・なんて。当然パソコン自身
が人間のようにそれぞれ「考える」なんていう能力を持ってしまったとしたらそれは
自分にとって困り者そのものだ。そう、自分勝手に行動してしまうパソコンのことを
「誤動作」「エラー」なんて呼ぶ。パソコンは自分が「インストール」したプログラ
ムソフトの指示に、そして何よりもこの自分に忠実に従ってくれてさえいればそれで
いいんだ。そう、それは組織にとっても同じこと、組織は成員各一人一人が「誤動
作」してもらっては困るんだ。自分で考えて自分で勝手に行動してもらっては困るん
だ。だからいろいろな「プログラムソフト」を成員の頭と心の中に仕込む。組織が仕
込むたくさんのプログラムソフト、その代表的ないくつかを考えてみると・・・。

まずあげられるのが「背教者対策ソフト」このソフトは各成員に組織の真の姿を知ら
れないようにするために用意された強力なソフトだ。それはちょうどパソコンの中の
インターネットやメールなどからウイルスの侵入を防ぐための「セキュリティーウイ
ルス対策ソフト」と同じような働きをする。とにかく組織を非難しているような
ニュースや印刷物、組織を辞めていった人たち、そういうものが自分に近づいてきた
と感じ取るとすぐに頭の中でこの「背教者対策ソフト」がすぐに働くようプログラム
されてしまっているんだ。このソフトは非常に強力で「背教者=ウイルス」だと検知
するとすぐに「削除」しなさいという判断を半ば強制的に下すようになっているん
だ。だから、「削除しますか?」「はい」「いいえ」なんて指示待ちさえ許されてい
ないんだね。
組織は成員にさまざまな年代の人たちと「聖書研究」の取り決めを取り付けるように
と励ましている。でも組織にとって一番の必要とされる、またはかき集めておかなけ
ればならない年代の人たちがいる。それは「若者」だ。現在の組織も大勢の若者に
よって運営されているしこれからの組織がさらに拡大と繁栄をしていくためにも大勢
の健康で有能な若者をかき集めなければならないし、そしていったんかき集めてきた
若者が組織から出て行くのを防いでゆくことに躍起にならなければならないんだ。そ
こで若者のために用意されたソフトが「若い人は尋ねるシリーズソフト」このソフト
によって多くの若者が組織の奴隷として生活のさまざまな点を拘束されていくんだ。
たとえば若い人なら青春時代に誰でも恋愛をする。ところが組織にとっては若者が恋
愛に夢中になってもらっては困るんだ。聖書の中にある「ソロモンの歌」これはシュ
ラミの娘に恋をしたソロモンの歌なんだけど、これは誰が読んでもわかるように人が
恋をすることのすばらしさ、恋愛することの切ない気持ち、そうしたことを表現した
すばらしい聖書の中の一つの書のはずだ。ところが組織はこのソロモンの歌を出版物
の中でほとんど取り上げていない。取り上げたとしてもシュラミの娘が貞潔さを保っ
た、などという点だけが強調されるばかり。ソロモンの歌がその中で訴えかけている
のはそんなことではないはずだ。人を愛すること(恋愛)のすばらしさを組織がこのソ
ロモンの歌を取り上げて強調することはほとんどないんだ。それどころではない、若
い人は尋ねるシリーズソフトの中には若者から青春時代に得ることの出来る経験や思
い出をも奪うようなとんでもない取り決め(教義)が展開する。「恋愛小説は無害な読
み物だろうか?」(目ざめよ82年2月8日号)結局この記事を読むと結論は「恋愛小
説は読んではいけない」ということになる。理由は「以上のことを考えると,不健全
な感情を起こさせたり,現実離れのした期待を起こさせる小説は避けるのが最善とい
う賢明な結論(本文)」ということになる。ソロモンの歌は聖書の中に登場する実在し
た「恋愛物語」とも言えるのではないだろうか。若い人は尋ねるシリーズに従うとす
るならば、若者は聖書の中の「ソロモンの歌」の部分を読んではいけないことにな
る。おかしな教義、または組織の「取り決め」だ。この「若い人は尋ねるシリーズソ
フト」のおかげでどれだけ若い人たちの得ることの出来たたくさんの青春時代の思い
出や経験が台無しにされてきているだろうか。

以前の投稿でも書いたようにやっぱり組織は各成員一人一人を「エホバの証人型ロ
ボット」に組み立てあげようとしている。集会で話される話の中で、またたくさんの
出版物を通して各成員の頭の中に組織に都合の良いように動いてくれる「プログラム
ソフト」をインストールさせているんだ。「マインドコントロール」という卑怯な手
法でいったんインストールしたファイルは余程の事がない限り「削除」出来ないよう
にしているんだ。自分で考えて、自分で行動する、この当たり前で自然な人の傾向を
麻痺させ、組織のいうことに何の抵抗もなくすべての教義を受け入れさせ、疑いを持
たせることのないようにプログラムが仕込まれてしまっている。この迷惑プログラム
こそ私たちの頭の中に決して入れてはならない「コンピューターウイルス」だ。パソ
コンに感染してしまったウイルスは市販の「駆除ソフト」を使えば簡単に削除でき
る。しかし自分の中にいったん入ってしまった「組織のウイルス」はなかなか削除で
きないんだ。「削除しますか?」「はい」なんてわけにはいかないんだ。自分のよう
にエホバの証人の中で育てられた「二世」の場合は特にそうだ。そのウイルスが頭と
心の中に「染み付いて」しまっている。

エホバの証人を辞めて、すぐに「普通の世俗の仕事」に就いた。でも仕事で上司にい
つも同じ事を注意されていた。「お前は真面目でいいやつだ。でもなんでいつも自分
から仕事を探そうとしないんだ。」「ぼーっとしてちゃ、だめじゃないか !」「何で
も人に聞くな ! 自分で考えて行動しなきゃだめだろう。」そんな叱責が毎日続い
た。仕事にやる気がないんじゃないんだ。自分なりに一生懸命なのにいつも同じこと
で注意される・・・、エホバの証人、特に「二世の後遺症」だ。そうあのころの自分
は仕事と「自発奉仕」が一緒になってしまっていたんだ。たえず指示待ち、行動する
前に必ず誰かに何でも聞く(許可を得る)、自分から仕事を考えて探そうとしない(段
取りを組めない)など。あの組織の中で染み付いてしまった思考パターン、行動パ
ター
ンがぜんぜん抜けてないんだ。「二世の後遺症」はそれだけではない。普通一般の人
が人生の中で当然身につけているべきものが自分の中に「インストール」されてない
んだ。自分はエホバの証人の家族の中で、エホバの証人の友人関係の中で育ってきた
から、普通の人が持っているはずの「一般常識」というものを知らない。世間のいろ
いろな「しきたり」も知らない。だからエホバの証人を辞めてからまずしなければな
らなかったのは、こうした「一般常識」や「しきたり」などを急いで「インストー
ル」する必要があったんだ。初めて参加した会社の忘年会、上司の一人が一年の締め
くくりのあいさつを話し終えた後いきなり「それでは一本締めでお願いいたしま
す。」と言ったかと思ったら周りの人が一斉に立ち上がって「ヨーッ、バン!」と手
をたたいた。「一本締め?何だそれ!」頭の中でその言葉を聴いた瞬間パニックに
なった。もう周囲の人の真似をして付いてゆくことだけで精一杯だった。その時だん
だんビールのアルコールも効いてきたせいもあって、自分が「一本締め」を知らな
かったことが情けなくて悔しくて、「自分はこんなことも知らなかったのか」とおも
わず目に涙がこみ上げてきたのを覚えている。初めてのエホバの証人ではない女の子
とのデート、車でドライブして食事して、いきなり「カラオケ行こう!」の一言でカ
ラオケ店へ。ところがマイクを持って歌っているのは彼女ばかり、「歌わないの?」
と言われても「音痴だからいいよ。」と言って断り続けた。本当は音痴なんかじゃな
いんだ、自分にはカラオケで歌える「歌」がその時無かったんだ。歌える曲が見つ
かったとしてもどれもエホバの証人時代に聞いていた「ダサい」曲ばかり。恥ずかし
くてバカにされそうでいやだった。生まれて初めて行ったカラオケ店だったからカラ
オケのリモコンの操作の仕方も知らず、彼女に1から教わる始末で絶えずリードさ
れっぱなし、情けなかったな。次の日早速レンタルCDでカラオケで歌えそうな最近の
流行っているCDをたくさん借りてきて夢中になって覚えた、ついでに会社の忘年会で
もカラオケで歌えるように「細川たかし」の演歌も借りてきて。

組織を離れて自分はたくさんの情報を得るために必死だったんだ。本屋でたくさんの
人たちの生き方を綴った「エッセイ」を読んでみたり、いわゆる世の中の常識本であ
る「雑学本」を読んでみては「へーっ、そうだったのか」と感心してみたり。でも不
思議と夢中に読んでしまっていた本にある時気付いたんだ。そう、それは「マニュア
ル本」といわれているやつ、「人生で成功するための○×の方法」とか「三十代で人
生を変えるための二十の法則」とか。なんかそんな本がたくさん家の中で増えていっ
たんだ。でも、あるとき「ハッ」と気が付いた。自分はあの「組織が教えてくれてい
たマニュアル(組織がインストールした取り決め)」に代わるマニュアル(取り決め)を
いつのまにか必死で探していたんだ。あの思考パターンを再び取り入れることで自分
の中で次々起こる混乱を避け、安心感を得る方法を探しているんだと気が付いたん
だ。もうそんなことは必要のない事、その新たなマニュアルの指示を求めようとする
気持ちはもうやめよう、ある時からそう決めそういうマニュアル本を読むことをやめ
たんだ。

あの組織から離れてもう今年で九年目を迎える、「削除しますか?」「はい」「いい
え」組織が自分にインストールしたプログラムは完全に削除されたのだろうか。い
や、完全になんて削除されていない、削除できないということに気付いたんだ。もち
ろん辞めたばかりの頃は削除するのに必死だった、もうあの組織の中にいたときの記
憶をすべて自分の中から消し去りたい、そんな気持ちでいっぱいだった。でも、それ
は無理なんだ。理由は簡単、自分は「人間」だから。ロボットやパソコンのように簡
単に削除できない人間なんだということ。ただ人間だから今の自分は自分で自ら考え
て、自分で決定して、どんどん新しいものを自分で「インストール」受け入れていく
ことが出来るんだということ。あの組織の中にいるときはそれすら「罪」とされてい
たことだったんだ。もう「取り決め」に縛られるのはやめること、取り決めを守れな
い自分であったとしてもそれはそれでいいんだ、人間だから時々「誤動作」したり
「エラー」をしてしまったりするもあるんだ。そんな時自分を責めるのではなく、そ
んなありのままの自分を素直に受け入れてあげること、人生で成功するための方法が
百個あるとしたら、その中の一つでも二つでも自分が出来た時、それを素直に自分を
ほめてあげること、それでいいんじゃないかと思う。今現在、組織を離れてすぐに勤
めた会社は辞めてちょっとした「和菓子」の会社に勤めている。おそらく、組織を出
てすぐに今の会社に勤めることが決まったとしたなら、即刻クビになっているに違い
ないと思う。「酒まんじゅう」の担当を任されているんだけれど、これが意外に難し
い仕事なんだ。前日に米と麹(こうじ)で生地を作るんだけどその日の温度や湿度に
よって生地の発酵が微妙に変わってくる、毎日自分の判断で仕込む水の温度や混ぜ加
減、蒸かす蒸気の温度を調整する、良い饅頭がふかし上がった時はうれしいし、逆に
ぺちゃんこな饅頭が出来上がってしまうこともしばしば。自分の判断で出来具合が決
まるのがおもしろいし、仕事に自信がついてきている自分がいる。そしてさらに難し
い「和菓子作り」にも挑戦してゆきたい。カラオケだって今は仲間とどんどん歌う、
自分が最初にマイクを握って「十八番」を歌ってしまうこともめずらしくない。お酒
の酔いが回ってくると調子づいてモーニング娘なんか踊りながら歌ってしまうことも
あるんだ。エホバの証人時代だったらとても信じられない自分が今は出せることがう
れしい。

SMAPの「世界にひとつだけの花」の歌詞が大好きだ。No.1にならなくてもいい もと
もと特別なonly one、そうさ僕らも 世界にひとつだけの花
1人1人違う種を持つ その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい小さい花や
大きな花 1つとして同じものはないからNo.1にならなくてもいい もともと特別な
only one・・・。あの組織の中で自分は虚栄心のかたまりだった、ナンバーワンとは
違うけどいつも「霊性の高い」立派な兄弟として見られることに全神経を傾けていた
んだ。組織はいつも一人一人の「個」というものを否定するんだね、同じプログラム
が一人一人の中にインストールされ同じ表情、同じ話し方、同じ考え方、同じ価値
観、同じ行動を要求するんだ。もうそんなものとはおさらばさ、一人一人が違う種を
持っていることを今は知ってしまったんだからね。今までも、そしてこれからも自分
は自分らしい「ひとつの花」を咲かせていくことが出来れはそれでいいんだというこ
とを知ってしまったんだからね。そう、もうこんなすばらしい考え方をもう誰も自分
の頭の中から「削除」させることは出来ないんだからね。

pfreedom@nifty.com

《編集者より》
ものみの塔の洗脳からいかに復帰していくかの過程が、自分の経験から克明に描かれた、貴重なエッセイであると思います。いつも重要な資料となる投書を送っていただきありがとうございます。エホバの証人として長年訓練されて脳に染みつけられた考え方と行動パターンは、後で変えることはできても完全に削除することは無理であると思います。これはあなたが体験されている通りだと思います。ただ、あなたのように「別の心の世界」を知っている人間は、そのような経験の無い人々に比べて、遥かに人間の心の深みを知っていると思います。それは、元エホバの証人の強みでもあるでしょう。和菓子を作りながらでも、あなたの意図せずに得られた人の心への深い洞察を、これからの人生で活用されるとよいのではないでしょうか。