「研究生の一人として」−4

(1-31-04)

最近になって『エホバの証人の子どもたち』(秋本 弘毅 著・わらび書房)を読みまし
た。あまりどぎつい内容ではなかったため、特殊性がよく理解できませんでした。
しかし私の育った家庭環境と似通っている部分があり、他人事ではなく思え、閉塞感の解
消はぜひ果たされてほしいと思います。
親のイデオロギーの影響下で犠牲になった子どもたちは、宗教に限らず、偏狭な家庭環境
や国家の地域性によっても存在します。
 
今まで読んだなかでいちばん強烈だったのは「ヤマギシ会」の子どもたちを紹介した本で
した。彼らの子どもたちはとにかく早朝から夜遅くまで農作業や畜産に携わることが要求
されており、しかも空腹なのです。高等教育は必要ではなく、会員ではない祖父母の庇護
下に逃れても連れ戻されます。
答えがあらかじめ決められている中での「話し合い」が行われ、必要か必要でないか(も
ちろん必要ではない)によって、無所有・無批判へと導かれてゆきます。
 
子どもたちはいやがうえにも心に深い傷や片寄りを残すことになります。独立して忘れた
かに思えても、ふと記憶がよみがえることは考えられます。不幸にしていつまでも乗り越
えられず、周囲の理解も得られないようなら、悪影響は人格をむしばんでゆくかもしれま
せん。
 
そこで、ここに紹介したいのは、子どものいじめ問題を通して、権力者がいかにして権力
を保つのかを説明された秀逸なエッセーです。
著者の中井久夫氏は精神科医でした。自らの戦時中のいじめられ体験をもとにして書いて
おられると思います。
それから、少しでもどなたかの慰めになればと思い、ジブラーンの詩をご紹介させていた
だきます。
 
T 『アリアドネからの糸』(中井 久夫 著・みすず書房)より「いじめ
  の政治学」
 
著者はいじめの過程を政治的隷従、奴隷化の過程とみなしています。本文中では「孤立化」
「無力化」「透明化」の三段階としていますが、新刊案内の書評欄には「孤立化」の前段
階に「標的化」を入れて四つの段階があるとしています。
 
つまり、「標的化」→「孤立化」→「無力化」→「透明化」となります。
 
「標的化」「孤立化」「無力化」までは皆さん何となくおわかりになると思います。ささ
いな身体的特徴や癖から始まって、いじめられる者がいかにいじめられるに値するかとい
うPR作戦が功を奏し、本人でさえその内容を認めるまでになります。
「孤立化作戦」はすでに「無力化」を含んでいると氏は言います。「反撃は一切無効であ
る」ことを教え、被害者を観念させるのです。
 
「透明化」というのは、傍観者の共謀によっていじめが「見えなく」なり、いじめが行わ
れていても、自然の一部、風景の一部としか見えなくなり、あるいは全く見えなくなると
いうことだそうです。
被害者は次第に「その日さほどいじめられなければいいや」と思うようになってゆき、加
害者のささいな恩恵、たとえば「今日だけは勘弁してやる」という「恩恵」によって被害
者を飼い馴らしてゆくのです。
 
氏は子どもの時間感覚が大人とは違うことに注意を促しています。
(p16) 精神療法家ミルトン・エリクソンは弟子が子ども患者との面
     接を二週間延期したことを叱って「子どもにとって二週間は
     永遠に等しい」と断言している。この時間感覚の落差は「年
     齢の二乗に反比例する」(ポール・フレッス)ほど激しい。
 
U ジブラーンの詩は『ハリール・ジブラーンの詩』(神谷 美恵子 
  訳・角川文庫)にも収められています。私は個人的に『講談社大
  百科事典(グランドユニバース)』内の「育児」の項に掲載されてい
  た翻訳の方がなじみ深くて大好きなので、あえてこちらの方を選び
  ました。
 
なお、角川文庫版によると作者のジブラーン氏(1883〜1931)はレバノン生まれの詩人で
世界的に知られているとのことです。
講談社版では「ハヒール=ジブラーン(1961)」となっており、正誤はわかりません。
 
この詩は、私がまだ十代だった頃、両親との葛藤に悩んでいたときに目に留まり、とても
癒され、励まされたものです。
どなたかの慰めになれば幸いです。加えて、育児に疲れたり悩んだりされたときにも、悲
劇がもたらされる前後にでもどうかぜひ思い出していただきたいのです。
 
 
  あなたの子どもは、あなたの子どもではない
 
  彼らは、人生の希望そのものの息子であり娘である
 
  彼らは、あなたを通じてくるが、あなたからくるのではない
 
  彼らはあなたとともにいるが、あなたには屈しない
 
  あなたは、彼らに愛情を与えてもいいが
 
  あなたの考えを与えてはいけない。なんとなれば、
 
  彼らは彼ら自身の考えをもっているからだ
 
  あなたは、彼らの体を家に入れてもいいが、
 
  彼らの心をあなたの家に入れてはいけない。なぜなら、
 
  彼らの心は、あなたが訪ねてみることもできない、夢の中でさえ
 
  訪ねてみることもできないあしたの家に住んでいるからだ
 
  あなたは、彼らのようになろうとしてもいいが、
 
  彼らをあなたのようにしようとしてはいけない。なぜなら、
 
  人生はあともどりもしなければ、昨日とともにためらいもしないから
 
  だ

《編集者より》
興味ある本をいくつか紹介していただきありがとうございました。共通するテーマは児童虐待の問題だと思います。『エホバの証人の子どもたち』は私も読みました。米本和広氏の『カルトの子』も、エホバの証人に限らず、多くのカルト宗教に蔓延する児童虐待の問題をよく取り上げていると思います。ヤマギシ会の子供の問題も取り上げていますので読むことをお勧めします。私は中井久夫氏の本は読んだことはありませんが、いじめの過程を四段階に分ける見方はよく理解できます。これは日本のいじめだけでなく、世界的に見られる少数民族や人種や宗教に対する差別にも共通に当てはまると思います。興味あることはエホバの証人が内部で児童虐待だけでなく、大人の「背教者」に対して、偏見と差別とによる一種の「いじめ」を行なっているのに対し、もっと大きなスケールで見ると、エホバの証人自体がグループとして「いじめ」の対象になっていることです。これはアメリカや西ヨーロッパなどの、情報の開けた社会ではほとんどあり得ませんが、昔のアメリカや、今でもロシアやアフリカの一部などではエホバの証人への差別偏見がかなりあります。ここでもエホバの証人は「加害者」であると共に、同じ問題の「被害者」にもなっているのです。いじめ、差別、偏見などは、ほとんど常に情報と教育が不十分でしかも統制されている社会で起こります。エホバの証人の内部でこれが蔓延するのは、その組織の特殊性を考えれば当然と言えますが、同じ様に教育と情報の交換が不十分で統制された社会では、エホバの証人自身が差別と偏見の対象となるのです。