「最近見られる組織による情報統制の傾向」−ラハムより

(1-20-04)


最近見られる組織による情報統制の傾向-ラハムより

カルトに見られる顕著な傾向に情報の統制があると言われています。
エホバの証人も一致の大義名分の元に、組織の都合のいい情報だけを
信者に与えて、集会でそれを反復させ、心と思いに刷りこんでいます。
わたしも30年近く、組織とかかわってきましたが、
近年の集会のプログラムの扱い方の変更からこの傾向を
考察してみたいと思います。

組織には巡回監督による巡回訪問という取り決めがあります。
この巡回訪問のときに会衆に対してなされる話がありますが、
いく年か前までは、巡回監督自身によって作成されていました。
巡回監督はおよそ半年ごとに巡回区を一巡して20ほどの会衆を
訪問することになっています。
この半年ごとの訪問の間に二週間の休暇があって、
この時期に巡回区の必要を考慮して話を作成しました。
それで、この取り決めの時期は巡回区ごとに話の内容が違っていたわけです。

こののち取り決めが変更されて話の筋書きが組織によって
準備されましたので、全会衆で統一されたものとなり、
たぶん、世界中の会衆で同一の話を聞くことになりました。
これは巡回訪問のとき監督から直接に聞いたことです。

最近統制の傾向が強められてきたのが、神権宣教学校と
奉仕会の扱われ方に顕著に表れていると言えるでしょう。

神権宣教学校については聖書通読の目立った点と第二の話に
表れていると思います。最初に聖書通読の目立った点ですが、
長老や奉仕の僕によって6分間の説明がおこなわれ、その後の
4分を用いて聴衆に30秒以内の短い注解を述べてもらいます。
このときの質問項目は2002年10月の王国宣教以来折込で指示されており、
厳密に二つ記されていますので、話し手が任意におこなう
付加的な質問以外に質問はなされないようになっています。

以前の第二の話は組織によって指定された聖書の範囲の朗読をおこない、
話し手がいくらかの説明をおこなうことができました。
そのときはこれを5分でおこなっていたのですが、4分に短縮され、
朗読のみで、説明はなされなくなりました。
また、この話では聖書ではなく指定された範囲のものみの塔の記事を
朗読することもありますが、これも聖書と同じように
ただ声を出して読み上げるだけとなりました。

また、奉仕会についてですが、王国宣教の折込や最終ページにある
プログラムはメインと思われます。これらを質問と答えで扱うとき、
以前でしたら扱う長老や僕の兄弟が自分自身で質問を考慮し、
作成することになっていました。しかしこれらのプログラムは最近では
ものみの塔研究や書籍研究と同様に組織によって準備された質問が
脚注のように記載されており、司会者は質問を考慮して準備する
必要がなくなりました。

こうして話の一字一句まで組織によって準備され、印刷物の形で提供し、
司会者も聴衆もただそれに書かれている事柄にしたがって
プログラムを進めていくだけとなりつつあると思います。
たしかに、家で予習し、答えの箇所に線を引くことは
それほど難しいことではありません。
要するに司会者も聴衆も自分で思考力を働かせて自分の頭で考える必要が
以前にもまして減ったということです。

特に司会する兄弟たちは、組織が意図した答えを引き出すための
ファックスかスピーカーのような役割にならされてしまっていると
わたしは思います。こうした思考力を働かせなくてもよいような
物事の扱い方は、人間と動物に大きな違い-思考力と推論する能力を
お与えになった神を侮ることになるのではないでしょうか。

出版物から質問を読んで答えを見つけることが難しいこともありますが、
それ以外のことを考える必要はないのです。
聖書の個人研究が推奨されていますが、多くの場合、新世界訳聖書と、
協会の出版物を使用してのことですし、
付加的に調査するということでも、結局は協会の出版物を
調べるということで、はやい話が組織の情報だけ与えられて
いることになっています。組織の出版物漬けということです。

聖書の箴言の書は思考力を働かせることを大いに奨励しています。
他の翻訳で比較したことはありませんが、組織が使用している
新世界訳聖書には皮肉にもこの「思考力」という言葉が
頻繁に用いられています。

組織は聖書を読んだり、質問と答えの予習をおこなうとき、
以前に学んだことと比べて推論することに思考力を働かせるように
提案していますが、それはすべて過去において組織から学んだことと
結び合わせて、組織に盲従するよう自分を訓練することであり、組織が
教えることの矛盾点や、誤りには注意を向けさせないようにするものです。

箴言の14章では「思考力のあるものは憎まれる」とあります。
エホバの証人はエホバ神が人間を創造し、他の動物とは異なって
知性を与えたことを固く信じています。であれば、思考力を働かせ、
健全な批判力を用いて矛盾点や誤りを判断できるようにされたのも
エホバであるということになります。

聖書の記録を読みすすむと、イエスはほんとうに思考力があり、
当時のパリサイ人・サドカイ人・書士たちの誤りを指摘しました。
そして真実に神の道を解き明かし、実行されたとわたしは思います。
それから現代に至ってはもと統治体の成員であった
レイモンド・フランズ兄弟や異邦人の時を調査された
カール・オロフ・ジョンソン兄弟など、多くの兄弟姉妹たちは
イエスと同様に健全な思考力を働かせたゆえに組織を排斥され、
また、去ってゆきました。

わたしは質問と答えで物事を学ぶことがいつでもよくないとは思いませんが、
親愛なる仲間である兄弟姉妹と呼んでいる人々を組織拡大のために
盲従させ、何も考えさせないような手段にはしてほしくないのです。
これまで多くの人々と交わってきて、相談事を受けることがありましたが、
そのたびに感じた疑問は「なぜこの人は自分で聖書を読み、
そのようなことを自分で考えて判断しようとしないのだろうか?」
というものがありました。

こうして、現実を直視し、実態を悟ってしまうと、結局は
いわゆる聖書教育と組織がとなえることをおこなうことにより、
考える力や思考力、あるいは批判する力を停止させられてきたことが、
理由のひとつとしてあげられると思います。

パウロがヘブライ人の手紙やエフェソス人の手紙で、
クリスチャンとして霊的な人として円熟し、大人になるとは
どのようなことかを説明していますが、それをまとめてみるならば、
聖書にしたがって神との個人的な関係を築き上げ、
キリストの特質を反映し、自分で物事の善悪を判断できるようになり、
キリスト教の道を歩み続けることではないでしょうか。

自分自身で聖書を読んで生活上の問題について自分で考え、
判断できない、赤子のような状態に自分の仲間を
置き去りにし続けることを、神が喜ばれ、
信者の益になっているとは、わたしには到底考えられないことです。

それで、霊感を受けたと組織が主張している、上記のようなパウロの言葉を
達成するよう仲間を助けることなくして、聖書教育の意味があるとは
わたしには考えられないのです。

このようなわたしなりの考察ですが、最近のプログラムの扱い方を
考慮するとき、組織が一般信者の思考力を停止させ、
統制をますます強めつつあると思います。

ご感想やご意見はメールでいただければうれしく思います。
kenbouoh@ybb.ne.jp です。

《編集者より》
エホバの証人の情報統制は、常にこの組織が成り立つための重要な特質ですが、最近の傾向については知りませんでした。最近になって組織が、証人たちの自立した思考や意見が育つのをますます抑止して、操り人形のような信者を育てようとするのは、現在のものみの塔の指導部の危機感によるのかも知れません。高等教育を受け、インターネットやその他の情報源を自由に使うエホバの証人の増加は、指導部にとって最大の危機であるはずです。これに対し、何が何でも「一致」を計ろうとすれば、情報の統制と異なる意見や思考の弾圧しか道はなくなるでしょう。聖書の勧める「一致」が一般の信者の間から自然に出てくる「下からの一致」なのに対し、ものみの塔の「一致」は指導部によって人工的に作られた、「上からの押し着せの一致」なのです。これが、ものみの塔協会の無理と矛盾が何時まで経っても決して無くならない根源なのだと私は思っています。


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