「現役僕の開拓者です」

(12-26-03)

  はじめまして、私の立場で投書してもよいものかずいぶんと悩みましたが、意を決し
て投書してみました。私はこれまで2世として育てられ、現在も開拓奉仕を行い僕にもな
りました。このサイトを見て思ったことは、私たちの知らされていないことがどれほど多
いかといことです。こんな情報が載っているのですから協会がインターネットを制限しよ
うとするのも無理もないと思います。協会にとっては不利なことばかりですからね。
 
  私は巡回監督という人たちについて思うことがあります。初めにお断りしておきます
が、すべての巡回監督がこのような人だと言いたいのではありません、大変誠実に勤めを
果たしておられるかたが大半であると信じております。しかし私が実際に見てきた人々の
中には、本当にこの人は巡回監督なのかと思わざるを得ないような人もいたのです。私は
もう少し若いころ、いわゆる必要の大きな会衆へ移動しました。その会衆での活動はハー
ドを極めました。当初からこの会衆に何しにきたのかという会衆の人の冷たい視線の中で
勤めを果たさなければならず。プログラムの質や行動の仕方全般には長老並に働くことが
求められ、仮にそれを果たすことができても、まだ足りないかのように次から次へと要求
が降り注いできます。自分が行っていることが評価されていると感じることがほとんどで
きないような状況でした。それでも何とか会衆のためにと思いがんばらねばと必死になっ
て勤めを果たし、長老たちの援助もあったおかげで3年が経過する頃には会衆の雰囲気も、
自分に対する会衆の人の見方も多少ましになってきました。しかしその頃から体が思うよ
うに動かなくなり、何もする気のおきない時が増えてきました。夜も眠れない日が続き何
をしていても頭がボーとすることが多くなってきたのです。いつの頃からかこのまま死ね
たらどれだけ楽だろうとよく考えることもあったものです。自分がこの会衆にいる意味は
果たしてあるのか、そんなことも考えました。疲れを感じることがあることを長老に相談
したところ、「あなただけがしんどいわけではないのだから、そんな事を言うべきではな
い」というような意味のことを言われてしまい、そのときは自分の見方が悪かったんだと
思い直すことにしました。
しかしどうしても無気力感と自分に価値がないという感情が消えないため、思い切って巡
回監督に相談することにしました。あまり巡回監督の前では言うべきことではないかなと
も思いましたが、この人なら何とか助けてくれるに違いない、きっと自分の気持ちをわか
ってくれるという思いを胸に、「自分はこの会衆に必要な存在ではないように思うことが
ある」と、言いました。その後なぜそう思うのかという質問のやり取りがあった後の巡回
監督の言葉は、「私は、おまえのような軟弱な考え方をするやつは嫌いだ」でした。え?
と耳を疑いましたが、その後「おまえは、この会衆に何の必要があって入ってきたのかわ
かっているのか?」と、問い正され「わかりません、なぜなんですか?」と聞くと「そん
なこと君に教える必要はない」と言われたのです。まったく話になりません。その後何を
話したのかぜんぜん覚えていませんが、この人なら助けてくれるであろうと期待した人か
ら受けたこの言葉は深い傷になりました。その後ある出来事をきっかけに自分がうつ病で
あることがわかり病気の治療を行うことになりました。巡回監督とはいえ人間ですから間
違うこともあると思います。しかし霊的にも円熟しているからこそその立場につくことが
許されたのではないでしょうか。また今までに様々なタイプの人を見ているわけですから、
この人は今どんな状態にあるのかはすべてではないにしろ見分けることができるのではな
いでしょうか。精神的に病んでいる人に対してこんな言葉しかかけられないようであれば
そこらのおっちゃんと何ら変わりません。巡回監督なんて言う肩書きがついている分余計
にたちが悪いと思います。私と同じような悩みを持つ人が彼に問題を打ち明けると同じよ
うに打ちのめされるのかと思うと心が痛みます。
 
   ほかにも、何度か宿舎を提供し何度となく顔を合わせて相談事や様々な話をしてき
たのに、別の機会に大会で会い、目をあわせても挨拶もしない人や、自分たちの生活パタ
ーンを守ることにしか関心のない人、何かの話題を提供しなければと思い何事かを尋ねる
と馬鹿にしたような返事しか返ってこない人、一緒に奉仕しているのにその人の事を知ろ
うともせずひたすら王国宣教の提案ばかりを見て奉仕する人、協会の仕事と言ってはちょ
くちょく奉仕を休む人、いったいこの人たちは何のために巡回監督としての仕事をしてい
るのでしょうか、こんな状態ではイエスのようなさわやかさを与える存在にはなっていな
いんではないでしょうか。「多くを与えられた者には、多くのことが要求されます」巡回
監督にまでなった人に人格的にもすばらしいものがあることを期待しても当然ではないで
しょうか。私は巡回訪問が近づくと嫌な気持ちになります。いったいどうしてこんな取り
決めがあるのだろうと考えずにはおれません。
   長くなって申し訳ありません。わたしが観察して気づいたことをそのうちまたメー
ルしたいと思います

《編集者より》
あなたの投書で私が注目したのは、あなたが巡回監督に言った症状は確かに典型的なうつ病の症状ですが、それを宗教的な問題で片付けて、適切な医療を勧めない所に重大な組織としての問題があることです。これは「エホバの証人と精神疾患」のページにも書いたことですが、監督の立場にある人は、信者の精神的な問題を相談される機会が多いにも係らず、ものみの塔協会はこれらの指導的立場にある人々に初歩的な心理学や精神医学の基礎知識を学ばせることを禁じて来ました。これは、他のキリスト教の指導的地位にある人々が、その仕事の一環として心理学や精神医学の初歩的な知識を学んで心の病んだ信者に対する適切な処置が取れるように訓練している(少なくともアメリカでは)のと対照的と言えるでしょう。一般に宗教関係者は、精神的な問題に関する相談を受ける機会が多く、それに対する適切な対処が出来ることは彼らの義務と言えます。あなたの場合、長老や巡回監督が行なうべきことは、あなたから相談を受けたら直に精神科の専門家に相談させるアドバイスを与えることであったはずです。これをしなかった指導者たち、それを放置して精神科への受診を否定的に教えるものみの塔協会の責任は重大です。なぜなら、うつ病は自殺に至る可能性があり、適切な処置を行なわないことは命取りになるからです。この点で、私はものみの塔協会の方針は、彼らの言う「血の罪」、すなわち人を死に追いやる罪に当たると思っています。