大学教育について−現役証人より

(12-7-03)


はじめまして。
私は現役のエホバの証人ですが、このサイトにはよく来ています。
 
私は、1984年に地元の大学に入りましたが、入学直前にある兄弟から「今からでも大学に行くのをやめる気はありませんか?」といわれ、
「ありません。」とはっきり言いました。このことでは何もお咎めはありませんでしたが、その夏の地域大会で大学教育に関する批判のプログ
ラムと劇で、大学の害が強調されました。
その中で、「もちろん教育に関する決定は個人で行うものです。しかしこれらのことを注意深く考慮した結果、大学教育はふさわしいものと
言えるでしょうか?(もちろん、「言えない」という反語的表現)」というものが強く印象に残っています。
劇でも、大学に行くと不道徳に陥るというのがやたら強調され、当時大学に入った喜びを抱いていた私の気持ちは見事に踏みにじられる
こととなりました。当日の夕方、宿舎に一人で帰るとき、泣きながら帰ったことを覚えています。
 
この大会のあと、うちの会衆のある兄弟は、親族の反対を押し切って大学をやめて開拓奉仕をはじめました。その経験は「美談」となりました。
私は、教師になりたくて大学に入ったのですが、その兄弟に「教師になりたいという気持ちがどうしても理解できない」と言われ、まるで信仰が弱い
ような感じにとられたのを覚えています。
 
思えば、あのときの協会はかなり狂っていたような気がします。当時社会人の吹奏楽団に入っていたのですが、それさえもやめるよう何度も「助言」
されました。今思えば、よくうつ病にならなかったものだと思います。

《編集者より》
大学教育については、エホバの証人は「組織は決して大学教育を禁止してはいなかった」とよく反論します。あなたの例の通り、実際エホバの証人でありながら、大学教育を受けた人は少なからずいます。しかし、その実態を見ると、あなたの例でよく分かるように、差別と偏見の目で軽蔑されて過ごしてきたのが現状です。はっきり禁止しなくとも、偏見と差別で締め付けて実質的に禁止に持ち込む、これがものみの塔とエホバの証人のパリサイ人的律法の陰湿なやり方であると思います。所で、あなたはその後教師になったのでしょうか。もし教師になられたのであれば、エホバの証人として、どのように教壇に立っていられるのか教えて下さい。


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