「組織はそのうち崩壊させられる」

(11-1-03)


近所に、前から気になっているエホ証家族がいる。
子供2人はそれている。
それはいいのだが、そのうちの1人の高校生の女の子がうわさになっている。
派手なギャルで今どき珍しくないが、親が集会へ出かけると、糸の切れたたこのよう
に夜遊びに出かける。
親がいるときは家にいるようだ。
うちは集会に行くのが少し遅いので、暗いバス停にしゃがんでいるその子を何回か見
かけたが、何より近所の人たちがよく見ている。
我が家もエホ証なので親の考えは想像がつく。
集会信仰、組織信仰、組織の提示する「霊的なこと」をおろそかにしたら絶対によい
結果はないという、典型的な「神権思考」証人なのだ。
子供の気持ちが通じてないのは親だけだと皮肉られている。本人の親は頑迷なエホ証
として近所で有名だからか、その子に関することをうちの親に持ってくる人が多い。
親は困っている。
「エホバの証人は、最終的には本人の良心で物事を決定するので、親子関係もその
家、その家で様々ですし、みんな最善を尽くしてはいるのですけれどもね」と答えて
いるらしいが、そうすると、「あなたも同じやり方をするの」と聞かれるので、それ
が非常に困ると言っていた。うちの親は違うやり方をする親なのだけれども、でもそ
れを言うと、その家のやり方を批判しているように受け取られそうだし、結局、話が
あいまいなことになってしまい、それが果たしていいのか、悪いのか、誤解を与える
ことになり兼ねないか、本当に困っていた。
その親は子供を置いて集会に行く。集会絶対主義、集会信仰。かつての開拓者信仰、
ムチ信仰の改訂版だ。
暗いバス停でしゃがんでいる女の子の姿は、家族の何かを待っているように見える。
反抗しながら、親を確かめているように見える。親の信仰を確かめているのではな
く、親の人間性か何か。親が組織を通して自分と接するのではなく、もっと親自身を
求めているようだ。
組織というフィルターのかかったものを直感的に察知する鋭さを持つ子供たちもい
る。
そのフィルターが、エホバが与えてくださった親本来の親らしさをボヤケさせてしま
う。そういうボヤた「忠実」なエホ証が多い。
でも、そうならない人たちもいる。フィルターをフィルターを識別して、個人的事情
に合わせて調節して使う人たちだ。うちの親はそうできたので今の自分がいると思
う。親は、自分がその女子高生のような心理状況を見せたとき、2年ほど集会を休ん
で徹底的に子供に付き合った。そうやって親の愛情を子供にわかる形で示しながら、
会話の中で聖書の話はいろいろしていた。
表面しかわからない会衆内の人からは、もちろんブーイングが様々な形で飛びまくっ
たそうだが、親は、「その人たちはブーイングを飛ばすだけで、決して、絶対、責任
を持ってくれるわけではない。子供を理解し、最善を考えているのは私だけだ。何が
飛んで来ようと、長老が飛んで来ようと、決して動じない。私はエホバに対し間違っ
たやり方をしているとは思わない。この時期だけ、一時的に集会を休むことに、エホ
バは決してブーイングを飛ばさない。」と確信していたそうだ。
子供を本当に本当に愛しているのは親しかいない。長老でもなく、成員でもない。も
ちろん組織でもない。
エホバは愛してくださるが、組織ではない。組織は、最善を尽くすエホバの連絡係で
はあるかもしれないが、エホバの愛を持ってはいない。
もし持っていたら、どんなに精神的弱点を持っている人でも、くすぶる亜麻の灯心を
消さないよう癒してくださるはずだ。癒すどころか、病気へと進行させる力を組織は
兼ね備えており、その力となったのが、かつてはムチ信仰であり、開拓信仰というも
のだった。今も形を変えて様々存在している。
組織はそれに気づいて直さないと、心を大切にし、癒してくださるエホバ神とイエス
・キリストから捨てられるのは時間の問題だ。
国際大会の成功をエホバの祝福と言っていたが、あんな形だけのお祭り騒ぎ、表面的
エールの交換だけを、

エホバが望んでいるものだと考えているとしたら、愚の骨頂だ。あんなことは創価学
会でも、幸福の科学でも、カトリックでもできる。もちろん、お祭り騒ぎがいけない
わけではない。いいのだけれども、もっとずっと重要なこと、エホバが私たちに訴え
ておられるものから目をそらせるものとなってはならないということだ。
エホバは、すべての僕たちが本当に幸福になることしか望んでおられない。健康な
人、組織のいうところの特権を得られる人、結婚できる人等々、どんな形にせよ限ら
れた強者しか心の幸福を得られないとしたら、この組織がエホバの愛を持っていない
ことの何よりの証拠だ。
元気な姉妹を持つ長老が、娘の適齢期になると何げなくあちこち飛び回って相手探し
に走るのも、そのいい例である。人にはエホバに頼ることを言いながら、口では独身
をほめながら、行動では、まるで別の実態がこの組織に存在していることを明示して
いる。
組織は自分たちの心を正面からしっかり見直し、エホバとイエスの愛を本当に反映さ
せていかなければ、エホバによってそのうち崩壊させられることは絶対に間違いな
い。エホバは弱者を助ける方、弱者が苦しむのを断
腸の思いで見られる方、弱者の返報をご自分でされる方なのだ。
形だけ世から離れても、心の持ち方が世のもののままでは意味がない。その集積が人
を苦しめる力になっているのだ。
何だかまとまりのない話になったが、要点は通じただろうか。
村本さん、長くなってすみません。
いつも感謝をしながらHPを拝見しています。ありがとうございます。

《編集者より》
要点は通じたと思います。難しいのは、このようなメッセージをどのようにものみの塔の上層部に伝えるかということでしょう。組織はこのような批判は知っていると思いますが、実際には世界的に伝道者の数が増え続けているので、自分たちの正しさが証明されていると感じて、柔軟化路線をとりながらも基本的には現状維持を決め込んでいます。あなたは「エホバによってそのうち崩壊させられることは絶対に間違いない」と書かれていますが、実際にはエホバの証人は今後も長いこと一定の勢力を続けていくと私は思います。従ってエホバによって崩壊させられるかどうかは、エホバの是認を受けているかどうかの指標にはならないのではないでしょうか。もっともエホバの証人が信じているように、ハルマゲドンが直ぐに来て崩壊が目に見える形で来ると信じているのなら別ですが。他の投書にも書きましたが、現実にはものみの塔のように、手取り足取り自分の人生の全てを支配してくれる組織を望み、必要としている人がいます。そのような人がなくならない限り、組織は決して崩壊しないでしょう。組織の崩壊を望むのも結構ですが、それより一人一人の心に訴えて新しい見方を人々の心に広げて行くことの方が現実的ではないかと私は思っています。


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