「古い人格を捨て去り・・・」−フリーダムより

(11-1-03)

昔の古い写真を整理していると1枚の写真が目にとまった。新しい王国会館の献堂式の時
にとられた長老たちだけで撮った写真だ。私の父親が真ん中に座り、その周りに私の父親
が未信者のご主人(研究生)の時から導き長老にまでになった兄弟たちが写っている。皆が
「長老としての風格」を備えていて、それはその表情,姿勢で写真からも感じ取れる。私
はそれら私の父親が導いた兄弟たちの「未信者のご主人時代」の頃のことを知っている。
父が研究を取り決めるためそれら未信者のご主人の家を訪問していた時、いつも一緒に連
れて行かされていたからだ。なぜなの?とあるとき聞くと父は「未信者のご主人の家を訪
問する時は男一人が訪問するとその家のご主人は「警戒心」を持つけど小学生だった自分
を連れてゆくことでそうした警戒心が取れるからだよ。」と言った。それにそのご主人が
激しい反対者で暴力的なご主人の時、「おまえと一緒に行くと大丈夫なんだよ」と言った。
私はそれを聞いて「ぞっと」した。自分はいわば「盾」の役割として行かされているんだ
と知ったからだ。父は未信者のご主人と研究を取り決めようとする時,事前にその妻であ
る姉妹とよく話し合い,下調べをする。そのご主人の趣味、性格、勤めている世俗の仕事,
などなど。そしてそのご主人の趣味に関する本などを事前に読み,親しくなるための話し
合いの準備を周到にして臨むんだ。
 
まずはこの写真の父親のすぐ横に写っている長老T兄弟、この兄弟がはじめて「記念式」
にこられたときのことを今でもはっきり思い出すことができる。
 
このご主人は自分の奥さんである姉妹に、いわば「だまされて」来たんだ。記念式に。
「記念式ではお酒がまわされてきて,歌もみんなで楽しく歌うのよ」なんて誘ったもんだ
から・・・。そういえば記念式の時のこのご主人の手には「カラオケ」の歌詞本が握られ
ていた。大工の仕事をしていたこのご主人は仕事柄すごい「ガラッパチ」で、いかにも
「世の人」って感じだったな。記念式の時も仕事帰りだったらしく,服装はいわゆる大工
さんが着るダボダボしたズボン「ニッカポッカ」と頭には白いタオルのねじり鉢巻だった
っけ。お酒も出て、歌も歌えるとあったからこの人は自分の仕事仲間も(やはりガラッパ
チで同じ服装)二人誘って連れてきていた。王国会館に入ってくるなり大きな声で「おー
い!こっちだ、こっちだ!」と仕事仲間二人に座席を知らせるとかと思ったら、煙草を吸い
始めようとしてライターをポケットから出してタバコを口に一本くわえようとして慌てて
奥さんである姉妹に静止させられていた。このご主人がただならない場所に自分が居るこ
とに気付くのに、そう時間はかからなかった。ぶどう酒がご主人の前をサーッと通り過ぎ
た時、まるで「鳩が豆鉄砲食らった」ような顔をしてたんだろうな。でもこのご主人は最
後はニコニコしてたんだ。けっして機嫌悪そうな風じゃなかった,なんたって,おそらく
生まれてはじめて大勢の知らない兄弟姉妹たちから「大歓迎」の「ラブシャワー」を集会
が終わった後浴びせかけられたからだ。そして私の父親がその後会いに行く約束をその後
主人と取りつけることができたのはそう難しくなかった。まさか「聖書を勉強するため」
という「下心」を父親が抱いて近づき、会いに来るのだという事は思いもしなかっただろ
う。このご主人は「賭け事」が大好きだった。はじめて父親がこのご主人の家に会いにい
った時は話題がほとんど「賭け事」の話し。その辺の情報は父親もしっかり妻である姉妹
からすでに得ていて、賭け事の話題を切り出したのは父親のほうからだった。父親は「自
分は府中の競馬場や後楽園競輪場に「地域大会」の会場として行ったことがある」,と言
うと父親にすぐに気を許し「単勝・複式」だとか賭け事の専門用語がバンバン出てきて,
その言葉の意味を説明して見せたり,競馬新聞の予想の仕方,読み方、自分が大勝ちした
時の自慢話をはじめたり、とにかくこの時のご主人の父親に話す時の表情は、目が、生き
生きしてた。父はこのご主人の心をしっかり捕まえることに成功することが出来たんだ。
この「ガラッパチ」のご主人がまさか将来,自分が長老になって大工の経験を生かして王
国会館の「速成建設」の業に中心的な役割を果たすようになり,いつしか海老名の建設関
係の大物長老たちとの人脈を非常に意識していくような、そんな自分に変わっていってし
まうとは夢にも思わなかっただろうな・・・。
 
次は父親の反対側の隣に座って写っている長老S兄弟。
 
この兄弟が未信者のご主人だった頃の事もよく覚えている。このご主人は自分の妻がエホ
バの証人になることを反対していたんだ。暴力は振るわなかったものの,暗黙のうちに
「自分は反対だ」と態度でいつも表していたんだ。奥さんのこともすごく大切にしている
ご主人だったし、子供たちもすごく愛していた。だから,集会で妻と子供たちがいなくな
り,休みの日に独りぽつんとなることがいやでたまらなかったんだ。それまでは家族でい
つもご主人は自分の趣味である「釣り」に家族を一緒に連れてゆき,それなりに家族はし
あわせだったんだ。それでも妻である姉妹は一生懸命ご主人が聖書研究をはじめることを
希望しあきらめなかった。私の父親になんとか会ってもらいたくて、聖書研究の取り決め
を取り決めてもらいたくて一生懸命だったんだ。そしてやっとの思いで姉妹がご主人にお
願いして、うちの父親を夕食招待することを承諾してもらった時の「喜び様」はなかった
な。父は「釣り」に関しては全くの無知だったからそれまでの間、一生懸命「釣り」の本
を読んでその「食事招待」に臨んだんだ。でも結果は失敗・・・。父親が何を話しかけて
も,釣りの話題で「釣ろう」としても反応無し。気まずい雰囲気をなんとか変えようとし
て姉妹が必死に二人の間を取り持とうとしてあせっても、やせてほっそりとしたその顔立
ち、その寡黙な表情は最後まで緩むことは無かった。でも,ある時家族に生じた「悲しい
出来事」がきっかけでこのご主人は自分のほうから電話で「聖書研究の取り決め」をお願
いしたいと言ってきたんだ。その悲しい出来事とは自分の生まれた子供の早過ぎる死、わ
ずか生まれて数ヶ月で亡くなってしまったんだ。葬式はエホバの証人の王国会館で行われ
ることにご主人も同意し、その日王国会館の最前列に座り私の父親が話す「復活の希望」
を静かに聞いていた。そしてその晩遅く,自分のほうから父親に聖書研究をしたいと申し
出て来られたんだ。このご主人はその後進歩的な研究生となり,バプテスマを受けるとす
ぐに将来性のある大きな会社を辞め、時間を自由に取れる仕事に変えていったんだ。
 
父親のすぐ後ろに立って写っているのは長老K兄弟だ。この兄弟の家の研究に着いていく
のだけは楽しみだったっけ、最初の頃は・・・。
 
この長老K兄弟ほど未信者の頃からあの真面目で厳格な雰囲気のある長老に変わっていっ
た兄弟はいないかもしれない。あのころ頭は確かパンチパーマだったな、外車のたしか
BMWに乗ってお酒が大好きだった。でも趣味は盆栽、家の庭には何鉢ものもの大事に育て
られた鉢植えが並べられていた。このご主人も最初は自分の妻とその子供たちがエホバの
証人になることに大反対していたんだ。暴力も振るっていて,木曜日の夜の集会に行くと
いつも奥さんである姉妹と子供たちは家から締め出され,中に入れさせてもらえず何度も
同じ会衆の姉妹たちの家に泊まらせもらっていたりしてた。父親がはじめてこのご主人に
会いに行く頃は,もう姉妹の頑固さに「根負け」してしまったからなのかな,その辺はわ
からないけど,とにかくこのご主人は夕食にうちの父親と会う約束をしたんだ。いうまで
もなく,父は「盆栽」の本をよく調べ上げ、奥さんである姉妹はちょうど父親が尋ねる時
間を頃合いを見計らって「お酒」を飲ませていたんだ。このご主人は普段は無口なんだけ
どお酒が入ると気分が良くなり,沢山話し出すようになることを姉妹は知っていたから。
最初は無口で警戒心が強く,父がお得意の「盆栽」で話しを盛り上げようとしても,「そ
の手に乗るか」と、もうすっかりお見通しだったな。でも父とそうしてお酒を飲むことは
そんなに抵抗がなかったのかもしれない。父はそれからほぼ毎週そのご主人とお酒を飲み
交わしつづけたんだ。その都度私も付き合わされて。でも,小学生だった私はその家に行
くたび「ドキドキ」してたことがある,それは父がそのご主人とお酒をいつも飲む部屋に
飾チてあった月代わりの「カレンダー」,なんと若い女の人の裸のカレンダーだったんだ。
父親とご主人が酒を交わしている間,私の視線はそのポスターに何度向けられたのだろう。
チラッ、チラッと見つからないように何度も・・・。考えてみるともうこの小学生の頃か
らとても「不道徳」な少年だったんだなぁ・・・。研究が取り決まったのはそれから数ヶ
月後。研究が進むにつれてこのご主人の頭髪はパンチパーマから真面目な七三分けのまじ
めな頭髪に変わってゆき、趣味の盆栽も他の人に売り手放してゆき鉢数も減っていった、
そして「あの」カレンダーも研究の時だけは壁に裏返されていて、いつか完全になくなっ
ていた。父親とこの家に行く楽しみはなくなってゆき・・・。
 
「古い人格をその習わしと共に脱ぎ捨て・・・」(コロサイ3章9節)この写真に写ってい
る「大工」の「賭博好き」だった長老T兄弟、そして「釣り」が趣味だった長老S兄弟,
そして「お酒」が大好きでちょっとだけ「不道徳」だった長老K兄弟。みんなあれから
「それぞれの古い人格」を脱ぎ捨てていったんだ。今考えるとこれらの兄弟たちが「脱ぎ
捨ててきたもの」,それは何だったのだろうか。それは古い人格などというものではなく、
それぞれの「個性」そのものなのではないだろうか。その兄弟たちがあきらめ捨てていっ
たもの、それは本当に「脱ぎ捨てる」だけの価値があったのだろうか。
 
大工のT兄弟があの記念式に一緒に「飲める」「歌える」と思って誘い連れてきた仕事仲
間との友情関係は果たして捨ててきて良かったものだったのだろうか。記念式で大きな声
で「おーい,こっちだ,こっちだ」と言っていたあの頃、おそらくその二人の友人とは何
でも気がねなくいろんな話題で盛り上がり,楽しかったこと,頭にきたこと、悔しかった
こと,何でもその「感情を吐露」し合うことのできた仲間だったのではないだろうか。そ
して,エホバの証人になって長老になった今、この二人の友人に代わる「友情関係」「感
情を吐露し合える」友人を組織の中で、はたして見つけることができたのだろうか。それ
に私が先月投稿した「あの」巡回監督によって行なわれた兄に対する「審理委員会」の時
このT兄弟は一緒にいたんだ,あの場所に。別に今になってなぜあの時兄の弁護にまわっ
てくれなかったのかと責めるつもりは全然無いし、そうできなかった状況も理解している。
でも「未信者」だったあの記念式に来られた頃のT兄弟はいわゆる仕事柄「大工人気質」
でぶっきらぼうだった、けどけっして曲がったことの許せないタイプだった。筋の通らな
いことが大嫌いだったはずだ。そんなすばらしい「個性」「価値観」があのころ見て取れ
た。長老になったT兄弟はもうこの頃持っていた「古い人格」を脱ぎ捨ててしまっている。
長老として,海老名の建設関係の有力な長老兄弟たちとの太いパイプを大切にしているこ
の兄弟が組織の中で「目を生き生きさせ,夢中になって」しゃべる,あの頃父親に自分が
賭け事で「大勝ち」したことを話した時のような表情豊かな「人間らしさ」が見られるこ
とはもうなかった。
 
お酒が大好きでちょっと「遊び人(あそびにん)」風だったK長老、この兄弟の家族はい
わゆる「神権家族」として会衆の中で模範的な存在だったんだ。でも,長男が高校生ぐら
いになると反抗的になってゆき、父親と対立するようになってきた、そしてついに「排斥」
そして親子の関係はついに「断絶状態」なってしまった。二世として育てられ,その長男
の兄弟とは小さな時からいつも一緒だったから,私はその長男の若い兄弟の気持ちが理解
できるような気がする。理由は解かっている・・・、父親が厳格になりすぎたんだ、組織
の提案する「聖書の原則」をあれもこれも当てはめることに一生懸命で厳格に自分にそし
て子供たちに適用し過ぎていたんだと思う。これは私の想像するところでしかないんだけ
れど、おそらく例えば「マスターベーション」のことで悩みを相談したとする。このK兄
弟なら父親として出す答えは決まっている。いや,その答えは父親としてではなく,「長
老である父親」としておそらくK兄弟は息子の前に聖書と「若い人は訪ねる」の本を持っ
てきて、聖書と協会の出版物から話し合うんだ。その習慣は「神に憎まれる」行為なんだ
と。その習慣と「戦わなければ」ならないんだと。「汚れた思い」なんだと・・・。この
息子さんが欲しがっているのはそんな「解かりきった」答えなんじゃないんだ。そんなこ
と,もう本人は解かっているんだ。おそらくもう何度も何度も協会の出版物に一人で目を
通してきたに違「ないんだ。それだからこそ「苦しいんだ」組織の要求する「高い道徳基
準」と自分の中の押さえきれない「若さゆえの強い欲求」の間で「自責の念」に苦しんで
いる。「その気持ちを理解して欲しい」ただそれだけでいいんだと思う。K兄弟が脱ぎ捨
ててきてしまった「古い人格」・・・なんで捨ててしまったのだろう。未信者のご主人の
時の「あの」カレンダーを壁にかけていたころの「古い人格」を思い出し、「お父さんも
おまえのような若いころ、女の子のことで頭がいっぱいだったなー。」そんな一言が出て
きていたなら,子供はどれだけ気持ちが楽になるのだろう。パンチパーマで外車を乗りま
わしていた時の,そのとき持っていた個性や価値観、経験を「くだらないもの」として脱
ぎ捨ててさえいなければ,きっといろんな「思春期特有」の問題(友達、髪型、バイク等)
を子供が抱えて自分のところに相談にきた時,きっと親子はその悩みを「共有し合い」
「共感し合い」「理解し合い」、排斥,断絶関係は生じなかったのかもと思う。
 
「古い人格をその習わしと共に脱ぎ捨て・・・」
 
組織は古い人格を捨て去りなさいとしきりに勧めます。それは自分がエホバの証人と関わ
る前の全てのもののことを指すのです。ある兄弟は将来性のある企業でその「仕事自体の
やりがい」と「家族を自信を持って養ってゆくことができる」という満足によって、そこ
に「自尊心」を見出していました。ある兄弟は自分の趣味をやりがいとしていました。そ
の「趣味」に夢中になることがやはり自分を満足させる「自尊心」につながっていたので
す。「会社」「趣味」「友人関係」「社会的立場」・・・、今まで自分を満足させるため
に必要だったもの,自分が自尊心を得るために必要だったすべてのもの,そしてそれによ
って培うことのできた自分の中の価値観,個性,能力,知識、そうしたもの全てを組織は
「くだらないもの」捨て去るべきものと教えるのです。組織の本当の目的はエホバの証人
になる前にその人が持っていた「満足」「自信」「自尊心」それらをいったん全て「破壊」
することなのです。脱ぎ捨てる・・・、一見それは自分「自らの決定だったんだ」と思わ
せ自分の意思で全てを捨ててきたように錯覚に陥らせますが、それは明らかに外から、つ
まりその人は「組織によって破壊」されたのです。古い人格を本人が捨てたのでなく、い
つのまにか組織がその古い人格を破壊したに過ぎないことに本人は気づくことは無いので
す。組織の非常に巧みな「マインドコントロール」によって。そして、何よりも組織の
「偽りの教え」によって。コロサイのその聖句の全体を見てみると・・・。
 
「(9節)互いに偽りを語ってはなりません。古い人格をその習わしと共に脱ぎ捨て、
(10節)新しい人格を身に付けなさい。それは,正確な知識により,またそれを創造した
方の像(かたち)にしたがって新たにされてゆくのです。」  コロサイ3章9〜10節
 
脱ぎ捨てるべき「古い人格」を持っているのはどちらのほうですか?それは今まで成員に
「たくさんの偽り」(習わし,つまり何度も何度も)を語ってきた組織のほうではありませ
んか?組織の教えのによってある人は財産を売り,ある人は会社を辞め,ある人は夢中に
なっていた趣味を手放したのではありませんか。楽園が来たなら,自分の趣味の時間をた
くさん使えるようになる・・・、そう教えてきたのは誰ですか?楽園が来たなら人はその
自分の「手の技」(仕事)を存分に楽しむことができるんだと,そう教えてきたのは誰です
か?そして今,現在でもしきりに「終わりが近い!」「終わりが近い!」とオオカミ少年の
ように偽りの情報を流し続けているのは誰なのでしょうか?
 
エホバの証人になる前にその人が持っていた「満足」「自信」「自尊心」それをいったん
全て「破壊」すること、その目標が達成された後,組織が次に本人に働きかけることとは
何ですか?そう,それは「新しい人格」です。それはコロサイの聖句にあるような「正確
な知識」によつて、また「神の像」に似るためのような仕方の新しい人格の身に着け方な
のでしょうか。いいえ、それは正確な知識でもなく神の像とはとてもかけ離れた新しい人
格なのです。偽りの知識とマインドコントロールによって,それは組織の都合のように動
き回る,「謙遜」で「従順」な組織の拡大と成員の教育に熱心に携わる「働きバチ」のよ
うに夢中になって,もうそのことだけにしか「自尊心」や「満足感」「達成感」「価値」
が見出せなくなるような「新しい人格」を長老たちの心の中に作り上げ、「改造」してゆ
くのです。そして,そのような人格を作り上げてもらうために組織がその「長老たち」と
その予備軍の「奉仕の僕たち」の前に用意するものとは何ですか?それは各個人,個人の
前に用意される「甘い蜜の味」です。ちょうど働きバチが一生懸命女王バチのために働い
た代わりに蜜を吸わせてもらえるように、それは一種の「麻薬」のようにいったん味わっ
たならけっして忘れられない中毒ともなり得る「甘い蜜の味」なのです。この整理して出
てきた一枚の「写真」の中にいる長老たち「長老としての風格」を表情,姿勢からあらわ
して、いかにも「満足しているように見える」長老たちも「あの」甘い蜜の味によって,
いつのまにか「酔いしれて」しまっているのです。そしてあの頃の自分も・・・それだけ
が人生の全てだった,それだけは失いたくなかったんだ・・・。「特権」という密の味。
 
追伸 今考えてみると私ての父親が働きかけた結果たくさんの「神権家族」ができてしま
っている。父親にとって「孫の神権家族」も。私はそれら家族とその子供たちに「申し訳
ない」と感じています。けっして償えるものではありませんが、父の代わりに心からお詫
び申し上げます。本当にすみませんでした。
 
pfreedom@nifty.com

《編集者より》
今回の投書は、エホバの証人になる一世の、特に男性が一種の人格変化をとげる過程を取り上げたもので、興味深く読みました。ものみの塔協会も、エホバの証人も、社会で立派な地位についていた人がキャリア途中で劇的とも言える改宗をして、社会的な地位を放棄することを大きな「戦果」として語ります。そのような体験談はものみの塔誌や目ざめよ誌にしょっちゅう出てきますし、エホバの証人同士の好みの話題です。例えば、某大会社の重役がエホバの証人になって、その高給も高い地位も棄てて開拓者になったとか、某一流大学の教授がエホバの証人になって、その地位をすててベテルで働いているとか、そういう話はエホバの証人の間では一種の英雄神話のようになっています。またその反対に、元暴力団員やヤクザの組員が劇的に改心してエホバの証人になったなどという話も、また好まれる英雄談です。いずれも、あなたが指摘しているように、エホバの証人になるといかに社会関係と隔離した、「エホバの僕」としての人格になるかを示そうという教訓が含まれた「英雄談」なのでしょうが、そこにあるのは個性のない「組織の部品」としての物体のような人間が作られる過程です。そのような話は昔の神風特攻隊員の話と同様、決して美談ではなく悲劇でしかありません。