「『読者の広場』に寄せられる数多くの投書を読んで思った事」

(10-29-03)

現役あるいは元「エホバの証人」の方々から「読者の広場」に寄せられる数多くの投書を
読んで一つ思った事があります。
私がまだ「エホバの証人」として活動していた時に集会や大会で誰かが組織や教義に関
して疑問や不満を言うのを聞いたことは一度もありませんでした。
ですから、疑問や不満を感じてやめたのは私ぐらいだろうと思っていました。
しかし、これほど多くの「エホバの証人」の方々が疑問や不満を持っているとは知りま
せんでした。
すべての「エホバの証人」がこのウェブサイトを訪問するわけではないこと、又、訪問
するすべての「エホバの証人」が投書するわけではないことを考慮すると、実際には
もっとたくさんの「エホバの証人」が何らかの疑問や不満を心に秘めていると思われま
す。何と多くの「エホバの証人」が組織や教義に関して疑問や不満を持っていることか
と驚かざるをえません。
かなりの「エホバの証人」が心の中では疑問や不満を抱いているにもかかわらず、集会
や大会ではその事をおくびにも出さず、表面上は従順を装い満足そうな顔をしている
と推察できます。
改めて不気味な宗教団体だと思いました。
二度と関わりたくありません。

《編集者より》
人間は本来好奇心を常に持ち、常に疑問を持ち続けるものです。小さい子供が「どうして」と聞きつづけるように、人間が素直に現実を見れば、必ずどんなことにも疑問が出てくるものです。それに対して、われわれは他に人との対話やその他の情報源を使ってその疑問に答えをだし、またその答えに対して疑問をもち、また答えを探すという過程を限りなく繰り返しています。これに対し、エホバの証人は疑問に対する答えは聖書と協会の出版物のみにあり、それ以外の答えは受け入れられません。もし聖書にも協会の出版物にも答えが見つからなければ、多くの場合それ以上質問をすることは許されません。指導部にいる証人たちは、統治体にまで質問を持っていくことはできますが、それで答えがなければ、組織の外に答えを見つけることは禁じられています。しかし、まともな知能を持つ人間なら、疑問を押し殺して生き続けることは困難です。それは人間の本性を人工的に抑圧するからです。そしてこっそりと組織の外に答えを求めると、答えは実に容易に得られることがわかります。それでも、そのような答えは見て見ぬ振りをして生きなければならない、それがエホバの証人の心の奥底に溜まっている疑問と不満なのではないかと思います。大部分のエホバの証人は、組織が与える答えにならない答えを自分に言い聞かせて、分かったような自己暗示にかかっていますが、一部の目ざめたエホバの証人は、組織の外に情報を求めるようになるのだと思います。