「エホバの証人のある一家族の現状」

(10-23-03)

はじめまして、**と申します。
私は、3歳から16歳までの13年間をエホバの証人としてすごしてきた者です。教団か
ら離れて9年になります。
 
私は、いわゆる「熱心な信者」で学校でも同じ信者の生徒の先頭に立って証言していまし
た。また、そうする事が「楽園」への道なのだと子供ながらに思っておりました。
 
ところがある日を境に教団に疑問を持ち始めました。
 
「集会」で行なわれる話は、大人を対象とした話ばかりで子供の信者にとっては理解しに
くい話ばかりでした。でも、まさか「つまらない」と言える雰囲気でもなく、そのうちに
徐々に眠くなってきました。
そのとき、信者である母からボールペンで腕や足を出血するくらい刺されたり、アザがで
きるほどつねられたりしたのです。ひどいときには、帰宅してから革ベルトで尻を何度も
叩かれました。
「信仰が薄いから眠くなる!」
これが母の言い分でした。私は教団の教えを守っているのに何故寝てしまっただけでここ
までひどい仕打ちを受けるのかと泣くこともしばしばでした。
 
また、夏の暑い日の奉仕強要(断れば革ベルトで叩かれる)、遊ぶ友達の制限、果ては外
出してよい区域まで制限されていました。必然的に仲の良い友達も限られていき友達は減
っていきました。それでも母は「サタンの子と遊ぶよりずっといい」と安心していました。
 
ですが、12歳の時、我慢できなくなり母に「もう行きたくない!」と泣いて訴えました。
ですが、聞き入れられることはなく、ただ、革ベルトで叩かれるだけでした。
 
高校に入り、「エホバの証人の真実」(タイトルはうろ覚えですが)という本を図書室で
手にしました。自分は教団からの情報だけを受け取っていたけれど、他からも情報を得な
いといけない…まだ多少の信仰は残っていたらしく(笑)罪悪感を持ちながらその本を読
み始めました。
 
教団の教理変更、偽善、暴力、犯罪…とてもショックを受けました。自分が13年間所属
していた意味はあったのかと激しい後悔の念に駆られました。
幼稚園〜高校の間、自分は何をしていたのだろうと。
本当は友達といっぱい遊びたかったし、もっと色々な事をしたかった。抑圧されていた思
いが爆発し、13年間を返してほしい!!と泣き続けました。
 
そして、自分が抱いていたのはエホバへの信仰ではなく信者である母への恐怖であり、ひ
いては母を洗脳した教団への恐怖であることにも遅ればせながらようやっと気付き、教団
から離れる決意を固めました。
 
離れることを告げた時の母の反応は今でも忘れられません。
それから暫く、母は食事が喉を通らなくなり病院に通うようになりました。「私の教え方
が間違っていたの?」とうわごとのように父(未信者)に言っていたそうです。
また、私の元へも会衆の長老や兄弟などが連日来て教団への復帰を求めました。勿論、聞
く耳持たぬで全て追い返しましたが…それほどまでに怒ってました。
 
母は暫くして回復したのですが、今度は「私の教育が甘かった」と言い、残った2人の妹
への監視・規制をさらに強め革ベルトによる体罰や奉仕の強要を強めました。
 
勿論、妹達が教団から抜けるまで時間はかかりませんでした。幸い、父は未信者で私も既
に未信者。味方もいるので妹は安心して抜けられたようです。
 
ちなみに、母のショックは私が抜けた時よりも、もっと大きかったらしく半狂乱で会衆全
体に助けを求めていた姿が印象的でした。
会衆の長老や兄弟、果ては姉妹と言い含められた妹と同じ歳の娘信者までもが連日、家に
来ては教団への復帰を求めました。私の時以上に。
 
あれから9年。騒動は収まり、私も妹も社会に出ております。下の妹だけは、弱ってしま
った母が不憫で、「仮面信者」として戻りましたけど。
 
母の悪い部分だけ書いてしまいましたが、いつもは優しい母で、社会に出るまできちんと
育ててくれた事には感謝しています。
ですが、その母を変え、私の少年期を奪った教団は何年経とうと許す訳にはいきません。
 
誰かに、エホバの証人のある一家族の現状を聞いてもらいたくてこのメールを書きました。
長い愚痴と映ったかもしれませんが、最後まで読んでいただけたのならとても嬉しいです。
ありがとうございました。乱文失礼致しました。

《編集者より》
あなたの体験談は、決して単なる愚痴ではなく、むしろ貴重な資料になると思います。ここでもまた、エホバの証人二世とその家庭の破壊状況がつぶさにわかり、ものみの塔協会が無数の家庭を悲劇に追い込んできた実態が浮き彫りにされています。このような体験談を更に蓄積し、公開することにより、ものみの塔協会の犯罪性を社会に広く訴えて行きたいと思っています。貴重な体験談をありがとうございました。