「創価学会二世非活動者です」−宗教の本質について

(10-10-03)

私はエホバの証人ではなく、創価学会員の二世です。
組織というものに大きな疑問を持ち、今は活動停止しています。

活動停止後、色々な掲示板を見ていて、このサイトにたどり着きました。

私は学会員二世ですが、プロテスタント系のミッションスクールに
中学から大学まで10年間通っていたので、聖書を読んだ経験が
あります。

私はその後、両親と同様に学会活動に専念するようになったのですが、多感な
時期に読んだ聖書が絶えず心の中にあり、即物的幸福を追い求める 学会の
活動の中にいても、「これは宗教ではない」と言う感覚が常に存在して
いました。

私が非活動になった理由は色々ありますが、それを精神的に支えたのは
ある時期聖書を自分が学んだという事、それによって宗教の本質を
どこかで知っていたという事であったような気がします。

しかし、エホバの証人問題に触れて、自分を支えた聖書が、
自分に「信仰」の意味を絶えず問いかけてくれた聖書が、
ある一塊りの人間たちによってねじ曲げられ、曲解されて
人々を苦しめているという事実に大きな衝撃を得ました。

エホバ問題のみならず、インターネットを見ていると、
寛容なはずのキリスト教やその他の宗教があらゆる派に分かれていて、
お互いがお互いを非難しあう姿に出会い、人間にとって組織宗教とは
結局すべてこのようなものに過ぎないのかと落胆しました。

私はクリスチャンではありませんし、現在どこの宗教にも属して
おりません。又、今の所、キリストの教えに大きな興味を持って
いますが、教会に属する気にはなりません。

私は神という存在を肯定するものですが、人間の作るあらゆる
組織は不完全と思います。そしてそれこそがイエスキリストが
教えたもうた事ではないかと思います。

神殿よりも戒律よりも尊いものがあるとイエスは言われ、
私もそう思う人間です。

そしてもう一つ、村本様も仰られているように、多くの信仰宗教が
「正しさ」に拘る事です。彼らの多くは自分たちの宗教が科学的に裏付けられて
いて、だからこそ自分たちの宗教は「正しい」と主張します。
まさにあなた様の仰るとおり、宗教のような形而上学的問題を
数学や物理と同程度にしか考えることが出来ないという事です。
私は科学を尊敬するものですが、科学的には証明し得ない事柄を
ただ「信じる」人々を同様に尊敬します。

1+1が2であることや、地球が丸いと言うことを人は信じるとは
言いません。それは「知る」というのです。
「信じる」とは目に見えず、どんな証明も受け付けない事柄を心に
受け入れることと思います。

私の属していた創価学会も「お題目をあげるとしおれていた花が
息を吹き返し、見事に咲いた。これはお題目に〜ヘルツの電波と
通じる物があり、その結果として花が咲いた。これからは今まで
解明出来なかった様々な現象が科学的に証明されていき、学会の正しさが
世間に必ず認められる日が来る」と本気で言う人たちがいて、
ビックリするやら、情けないやらでした。

彼らには永遠に「宗教」の何たるかが分からないのではないかと
思います。いや、そもそも彼らは宗教を求めてさえいないのかも
知れません。

長文になりましたが、あなた様のHPがエホバのみならず、様々な
宗教問題に大きな貢献をされている事を心より賞賛しつつ、
拙いメールを送らせて頂きます。

《編集者より》
組織宗教の内側からその矛盾を直接体験した方々が、同じ様な結論に到達するという点で、あなたの投書にとても興味を持ちました。私は、個人個人の宗教心と言うのは、人間の心の奥に刻み込まれた基本的な営みであり、それが各地の伝統と文化によって、様々な異なる形で表れてはいるが、本質的には共通するものであると思っています。それに対し、組織宗教というのは、それを利用した社会政治活動であり、他の政治活動と同様、例外なく派閥争い、権力闘争、権力者の腐敗、はいつもつき物です。そして、これもほぼ例外なく組織宗教は個人宗教を抑圧する力となるのです。その意味で、私はエホバの証人問題に取り組みつつも、より大きな宗教問題にも視点をすえています。いつか、あなたのように他宗教での宗教問題を取り上げている方と連帯できればとも思っております。