「間違ってなかった」

(9-12-03)

離れて8年になる元二世です

子どもの頃から 創世記1:1の神に始めはない という論理が違う気がする...
進化論...放射性元素で科学的に証明されてるのになあ
とか いろいろ思いつつも そんなことを口走ったら 悪魔の影響だと大変なことに
なるのは目に見えていたので黙っていました

母親は酒を飲んでは暴れる父と知らない土地へ嫁いできた孤独感から
優しくしてくれるJWにひかれ 猪突猛進的に道を進んできていました

母の性格自体 情緒的に不安定なところがあり
びしびしたたかれる 70年後半から80年代に子どもだった私は
ほんとに虐待の日々でした

公園の葉っぱをとったといえばたたかれ
自転車の手放し運転をしたといえばたたかれ
ちょっとでも気に入らないことがあれば ヒステリーを起こされ
無視され ご飯を食べさせてもらえず
殴られては鼻血をだし

なんで子どもってこんなに苦しいんだろうと思ってました

それでも対面的に模範的にあるために徹底的にしごかれ
小1で神権学校,小3で伝道者, そしてせっつかれてせっつかれて 中1でバプテ
スマを受け
表向きには模範生を演じさせられました

ちょっと集会の態度がふてぶてしかった
口の利き方がなってなかった
注解をしなかった
ありとあらゆる理由で 布団たたきで体中をみみず腫れにされたものでした
どこに相談して良いかもわからず
必死に嵐がすぎるのをまち,
反抗するのが精一杯でした

お前がするのはいい 子どもだけは連れて行くなと
酒乱ながらもまともなことをいっていた父は
母親に 悪魔の手先だと教え込まれ

平穏な時期は少しもありませんでした

ほんとに苦しかったです

そんな私がバランスを取るためにやっていたのは
学校ではなるだけ 自分がJWだということをいわないことでした
というよりどうしても言えませんでした

それでも学校に何人かはいるJWの子どもたちにちくられ
またたたかれましたけど

当時はそれこそみんながおっしゃっているように
高校を出たらアルバイトをして 正規開拓者になるのが一番良い進路でした
そのために 高校も商業科に行くのが良いみたいな雰囲気がありました
私はそれをあえてはずして 進学校に行きましたが
それはそれは 冷たい対応でした
県庁の隣にあるので,学校はわりかし 街中にあり
帰りにその商店街を通るのが悪い誘惑だとか
高等教育の誘惑に負けるとか色々いわれたものでした
(今は資格とれとか,大学にいくのもよいとかいってるらしいですね)

そんなおり 父親が自殺しました
父が精神的に弱かったのも認めますが
その最後 そんな荒れた家庭で 私たちが歯止めにならなかったのは事実です
それはそれは 父は悪魔の手先だと教えられ 私たちは毛嫌いしてましたから
ですが 父は父なりに私たちをかわいがってましたし
それは死んで私が離れてからわかりました
母が死ねば良かったと何度思ったかしれません

それから私の所属していた会衆は よくサイトでも取り上げられているとおり
人間関係のどろどろしたところでした
私はほんと 世の人のほうが優しいし情もあるよなあと感じていました
でも当時一つ年上の大好きな兄弟がいて
ほんとに尊敬しあえる 親友だと感じていた人でした
出た後もつい何年か前まで その人への思いは消えませんでした
その人と語り合うことが すごく宝物で
大人になったら 結婚したいなと思っていました
それがネックで やめるなんてできないと思っていました
高校生の時には大会で経験も話すような模範生でしたが

進路を考え始めた時
集会でじっと話を聞きながら
この人たち もうすぐ終わりが来るとかいって
貯金もしない 年金も払わない
しかも アルバイト

こんな生活で もし終わりがこないまんま 60とかになったら
生活どうするつもりなんだろうと考えていました
パートをするにしても 高齢になれば仕事も見つからない
年金ももらえなかったら 生活もできない

それはやばいと思いました
まともに仕事して蓄えはもっとかなきゃって 
高校3年の時でした
大学に行って資格をとって働かなきゃ と思いました

でもそれからが大変
なんせ 親はJWのエリートコースを行くと思っていましたから
とりあえず親に内緒で 奨学金を貯めていたお金で 塾の夏期講習に行きました
まあ帰ってきたら 親が玄関で座り込んでました
それからは戦いです

それまでの 虐待生活の抑圧もたたり
精神的に不安定になり ストレスから起きあがることができなくなり
1ヶ月入院になりました

JWをでるのに精神的に負荷がかかり 勉強もできるわけでもなく
進学はできず アルバイトをしながら先の見えない日々が続きました

それから2年 とてつもない貧乏生活をしてお金を貯め
進学し (そのころには親も冷静になり認めてくれました)
大学院まで来ることができました

学部を卒業すると同時に一般の人と 幸せな結婚もでき
今は安定と穏やかな日々を送っています
主人は仕事の立場上,最初は結婚はできないといい
二人で相当苦しみましたが
私しかいないと 仕事を失うことになっても一緒になると覚悟を決めてくれ
無事結婚することができました

精神的にはまだもろいですが 
普通に生活できていますし 就職も決まりました
ただ ときどきそのたたかれていた頃がフラッシュバックすると
恐怖感で身体が硬直し震え,涙が止まらなくなります

恐怖感だけは相当学習しているようで
対人的なトラブルや主人と大げんかして荒っぽくなると
おびえたりします

でも主人はもう大丈夫だと 泣けばいいと
抱きしめてくれています
明らかにPTSDのようですが 今困ることといえばそのたまに怒るフラッシュバックく
らいです

それでも人生諦めずここまでこれて 
良かったと心から思います

ほんとに出る時はどうなるかと 先の見えない苦しみにどうにかなりそうでしたが
親のこと 家の事を理由に やりたいことができないのをうらんで終わるのは嫌だ
人より少々苦労することが多くても 自分でやれるものならつかんでやる
という思いでやってきました
思いは通じるものだと今は嬉しいです

子ども時代のやりたかったこと
辛かった時間を思うと もう取り返せない時間をくやしくも思いますが
これからは 自分と主人とこれから生まれて来るであろう家族のために
生きていこうと思います

間違ってなかった これだけは私の確信です

《編集者より》
あなたのこれまでの一生を見てみると、エホバの証人二世の人生は、「心の病」を作るためにまさにあるように思えます。組織は子供の精神的な健康に悪いことを、ことさらに強調して教え、訓練するからです。これでは多くのエホバの証人二世がPTSD(心的外傷後ストレス障害)になるのは当たり前でしょう。あなたが投書してくれたような、克明な児童虐待の実態は、ものみの塔協会が容認し、ある時は奨励してきた児童虐待の犯罪性を告発する重要な資料になるものです。今後も多くのエホバの証人二世の同じ様な体験談を是非とも集めていきたいと思っています。あなたご自身の人生はと言えば、もちろんあなたの選択は間違っていなかったわけで、これは確信できる大きな心の拠り所になるでしょう。間違っていたのは、ものみの塔の教えと訓練で、その犠牲になったあなたの親も実は被害者なのかもしれません。今後も読者の皆様が、ものみの塔協会の児童虐待の実態を明らかにしていく運動に力を貸して頂くことをお願い申し上げます。