「Raymond Franz事件を知って感じたこと!」−30年近くの現役JW

(9-7-03)

私は現役のJWです。かなりの期間、熱心に組織に仕えてきたものです。極めて
純粋な動機でそうしてきました。
このウェブサイトを通してこれまで潜在的に抱いていた、なぜなんだろう?どう
して?に対する答えが見出せましたことにまず感謝します。
30年近くの間に、あらゆる分野の奉仕を経験させていただきました。1975
年の希望が盛んであったころに献身しましたが、それがそのとおりにならなくて
も特に気にしませんでした。聖書に内在している真理そのものに満足していたの
だと思います。最初は皆そうではないでしょうか?ところが時経つうちに、さま
ざまな問題点が見えてくるようになります。
いわゆる”人間の不完全さ”もその中のひとつです。しかし、”愛”が主要な関
心事となって行われている場合は、問題点を忘れることができますが、それが見
過ごされている中で、さまざまな問題が扱われますと”つまづき”が生じます。
なぜこんなことが生じるのだろう?どうしてこんな不公正がまかり通るのだろ
う?という疑念を振り払うことが難しくなります。
このウェブサイトを通して知った事実で最も私をつまづかせるものとなったの
は、Raymond Franz事件でした。これほど”愛”のかけらもない信
仰の仲間の扱い方はないのではないかと心から思いました。と同時に、なるほ
ど、組織の中枢部がこうであれば、あれもこれも仕方がないと思えるようになり
ました。
私は彼(Raymond)ほどの立派な人間(彼の書物2冊を通してそれが十分
理解できますので、私はそう確信しています。)ではありません。でも物事に対
する感覚、反応の仕方に共通したものを覚えます。それだけに彼が受けた”仕打
ち”を見過ごすわけにはいかないのです。他人事ではないのです。実に恐ろしい
組織です。大多数の証人たちには分からないだけに、それだけ許せないものを感
じます。同事件で排斥されたEdward Dunlapはその時70歳の老人
でしたからベテルを追い出された後、当然のように物理的な世話を彼の肉の兄弟
がしました。そして当然のようにして、JWであった彼の肉の家族、そして友人
も排斥となったようです。(言いようのない憤りを感じました。)ことの発端は
いくつかの聖書的見解の相違であったようです。
いままでタッキングを寛大に見過ごしてきましたが、いかに組織がいい加減で
あったか、これから徹底的に調べたいと感じています。

率直に言いましょう!こんな愛のない組織の一員でなどありたくありません。出
版物の内容と、組織の実体との差異が大きすぎます。事実、Raymond F
ranz事件の直後にぞろぞろとブルックリンベテルを出ていった長老たちが何
人かいましたが、理由は、仲間に対する冷酷な扱い方でした。後に彼らも、断絶
あるいは排斥となっています。私も即刻出て行きたいと感じました。

しかしながら、私には家族がいまして、生き方そのものが固まってしまっていま
す。また、愛すべき信仰の仲間もいて、彼らとの交友が断たれることは望みませ
ん。
ですから、結局は、一人一人が良く考えて行動するように!というのが皆さんの
主要な見方のようですね!

でも、組織の中枢部にいる”イエスの兄弟たち?”の実体を見過ごして本当にい
いのでしょうか?時の経過と共に忘れ去って良いものでしょうか?
冷酷な扱いを受けた聖書研究に熱心だった方々のことを自分に関係のない人たち
と考えたり、あるいはそれと同等の態度を示したままで、純粋な動機を抱きなが
らこの組織の指示に従って奉仕を続けることをどう考えるべきなのでしょうか?
ましてや、長老の立場で良心的に奉仕できるのでしょうか?

繰り返しますが、大部分の仲間たちは何も知りません。ただ聖書そのものの希望
の音信に喜びを見出しているだけです。その人たちは知らないまま、いわば、”
だまされたまま”の方が幸福なのでしょうか?

お願いです。教えてください!どうすべきかというよりもどう感じておられるか
にまず関心があります。

以上です。

《編集者より》
現役の証人でありながら勇気を持って発言してくださったことに、先ず感謝と賞賛の意を表したいと思います。あなたが30年間も、多分成人としての大部分の時間を現役のエホバの証人として生きてきた以上、あなたの人生も家族も周囲も全てがエホバの証人を中心にして動いてきたのでしょう。「率直に言いましょう!こんな愛のない組織の一員でなどありたくありません」というのがあなたの今の正直な気持ちであっても、直ぐにそれを行動に表すことは多くの危険が伴い、不可能でしょう。私があなたのような方にお勧めするのは、いつも「時間をかけて徐々に」ということです。レイモンド・フランズのような組織の「大物」にはそのような方法は難しかったと言えますが、大部分のエホバの証人にとってはそれは可能であると思います。「時間をかけて徐々に」というこということは、何もただ漫然と現在の活動を続けることではありません。身の回りから少しずつエホバの証人の活動を確実に減らし、エホバの証人以外の個人的、社会的活動(世の仕事、勉学、職業訓練、趣味など)を少しずつ増やしていくことです。奉仕の時間を減らしたり、病気を理由に集会を休んだりしながら、エホバの証人として不活発化すると同時に、それ以外の活動において活発化するのがいいと思います。それと同時に家族や愛ある関係にある人々との関係を壊さず、背教者としてのレッテルを貼られないように注意していくことも大事です。そして自分の生き方にある程度のめどがついたら、自分の愛する人々の目を覚ますような働きかけも少しずつ行なう必要があるでしょう。こう考えればこれからのあなたの人生は、これらか数年、非常に興味深いチャレンジに満ちたものになるでしょう。この事態を単にネガティブに考えるのでなく、新たな挑戦として、積極的に生きていかれることを希望します。他の方からの多くの発言でお分かりの通り、他の元エホバの証人の体験談から多くのことが学べると同時に、あなた自身が切り開く新しい人生が、後に続く元エホバの証人にとって大きな参考になるのです。