「物事をありのままに考える兄弟、真実を求めつづけたい兄弟へ」−バプテスマに関する質問

(9-4-03)

11年目の主婦の現役エホバの証人(この言い方はここで知った)です。
いつも読ませていただいています
特に物事兄弟と真実兄弟の投書は、組織を知る上で、協会出版物を読む上でもはや、
なくてはならないテキストとなっています。
今までこの組織のなかで、人知れず違和感を感じていたものに対して、その鋭い問題
分析により、それが何だったのかがはっきりし、心底納得しています。

会衆の長老と僕と言う立場から、お2人の兄弟のご意見を聞かせていただけますか。

夫のことです。
夫は私とほとんど同時に研究を始め、中断はあったものの通算20年近くも研究して
います。

もうずい分前から、バプテスマを受けエホバの証人になりたいと司会者をはじめ、他
の長老、巡回監督に気持を言い表してきましたが、全ての集会にに出席できないこと
が理由で伝道者になれません。伝道者になれないということはバポテスマを受ける資
格がないと言うことになります。 
  組織の教育プログラム、特に伝道者を養成する、神権宣教学校に出れないことに
は伝道者となれないと、はっきり言われ仕事を調整し集会に出席することを助言され
てきました。
しかし、私達夫婦は家族を養うのも聖書的な要求であること、仕事をやめ不安定な
パート生活で2人の子供を養うことは無理であること、そして何よりも、神権宣教学
校に入校することがバプテスマの条件であることなど聖書のどこにも書いていないこ
とと考えましたので、夫は仕事をやめることなく万年研究生でいたのでした。

そもそも週3日の集会全ての出席は、バプテスマの必要条件なのでしょうか。

また、集会の定期性とはなんでしょうか。
夫は行けるときには必ず行っています。
休んだとしたらそれは、行かないのではなく行けないないのです。
こうした状況を説明しても、集会の定期性がないと言うことで、バプテスマの資格を
満たしていないこととなってしまいます。

考えてみれば神権宣教学校がバプテスマの必須経路ならば、なぜ協会はその戸口を狭
いものにしているのでしょうか。
平日の7時ごろの集会に出席できるサラリーマンなどは、ほとんどいないのではない
でしょうか。
休日や色々な時間帯でおこなわれているなら、出席できるはずです。

組織は人の救いがバプテスマのあると教えていますが、本当に救いたいと考えている
のか心底疑問です。

こうしたことを誰にも言えず、言ったところで改善は期待できず時間だけが無駄に過
ぎてゆきました。
しかし、夫はけなげにもあきらめることなく、神権宣教学校に入校する道を探しつづ
け、ついに近隣で夫の休日に開かれている会衆を自分で探しだし神権宣教学校に出席
し始めたのです。(日曜日の集会もこのころ、午前が午後からとなったので、午前中
の他の会衆に出席することとなり、3つの会衆の集会にまたがることとなってしまい
ました)

このことで週2日の休日は全て集会になってしまいましたが、週3日の集会全ての出
席をクリアしました。
不満を言うこともなく一人で早めに夕食を食べ遠くの集会に通っていました。しか
し、伝道者になるためには入校しただけではだめです。割り当てと称し演壇からの話
を行うことが求められます。
普通に考えるなら当然、割り当ては今出席できている神権宣教学校でおこなうだろう
と考えますが、長老達は思いもよらないことを言い出すものです。
「割り当てはこちら(所属する会衆)で行ってください」と。

もうこうなったら、長老の気が済むようにと言う心境です。
夏期やお正月の休暇で木曜日が休みに当る日を提出し、割り当てを組んでもらうこと
にしました。(長老間で上手く伝わってなく、予定していた日に違う人が割り当てら
れていたため、監督に聞いてみたら、もう変更できないかもしれないので別の木曜日
に休みをとってください。とあっさり言われ唖然とした。さすがに別の長老がミスを
認め予定通りの日に行えるようになったが・・・夫にはこのことはいえない)

最近無事最初の割り当てを行い、何も知らない会衆の方々は喜んでいましたが、わた
したちは嬉しい気持よりここまでが本当に遠かったので、やれやれと言う感じでし
た。

これからどうなるのでしょうか。またバプテスマが遠のいてしまうどんな無理難題が
突きつけられるのでしょうか。
最近夫のバプテスマにそれほど力が入らなくなった自分に気づきます。
救いってなんだろうと、根本的なことを考えると夫のバプテスマまでのこうした組織
の手順にそうこだわらなくてもいのかなと、考えるようになりました。
それでも要求に従っているのは神とに関係を真剣に考えているからではなく、会衆と
の摩擦を起こしたくないからなんです。余計なストレスを負いたくないということで
す。

こうしたこと(会衆、組織の要求に合わせること)に労力の全てをつぎ込んでいるこ
とに、最近気づき、誰にも言えず自分の気持をどう処理したらよいのか悩んでいた時
に、このページで兄弟達の組織観を知り、問題の本質を知ることが出来ました。本当
に感謝しています。
私も今後この組織とどうつきあってゆくのかが大きな課題ですが、兄弟達が今後もこ
のページで発言してくださると、とても助けになります。
つたない文章ですが、ご意見聞かせてくださるとうれしいです。

《編集者より》
物事兄弟や他の現役の方々からは別にお返事が頂けるかも知れません。私の感想を述べさせていただけば、エホバの証人のバプテスマは、ものみの塔の組織への入会の儀式であって、聖書やエホバはその儀式のシンボルとして使われているに過ぎないということです。バプテスマの聖書に書いてある本来の意義は、罪の悔い改めとその赦しであり、その象徴として水による浄めの儀式があるわけです。それなのに、ものみの塔の組織は、いつのまにかこれを「入会の儀式」、「入所式」のようなものに変えてしまったのです。確かにあなたや、あなたのご主人が、この組織に「入会」することが最も大事なことであると考えているのであれば、それはそれでエホバの証人のバプテスマの意義もあるでしょうが、もし聖書本来の意味でのバプテスマを考えているのであれば、それはお門違いであり、このような組織のバプテスマなど無視しても構わないのではないでしょうか。