「私の人生ではないか。もうここにはいない方がいい」

(8-3-03)

思い悩んだり、沈んでいたりしていたのが、何かの契機で気持ちが切り替わる。吹っ切れ
て心が晴れ晴れする。そこへ遠くの友人から快い音沙汰があったり、奉仕で成果が上がっ
たりする。JWはその時こう思う。「エホバの祝福だ。み使いが支えてくれている」こうい
う思考をする人だからカルト宗教にはまるのか、それともそういう思考に改造されるのか。
神を求めて祈っていたらJWが訪問してきたという出来事はJW特有ではない。スティーブ・
ハッサンによると同様の事はムーニーたちも経験している。他宗教でも同じだろう。偶然
を神がかりに解釈する知力の未熟さよ 。
批判を気にせず自分が本当にしたい事をするのが健全な人生、と諭してくれた本に出会え
た。そんな事なら悪事がはびこると言うのは、他人の心を組織が管理し束縛するJWの暴論
だ。人の個性や意欲に標準はない。それらに標準を定めるのはファシスト の発想だ。開
拓者を模範とし、組織への無批判な服従を模範として押しつける、これは個人という存在
を否定する事だ。自由な意欲を否定されて育てられると子は欝やひきこもりなどの《人格
障害》を引き起こし易いという。本音本心を見失うそうだ。それが地位など外面の価値に
熱中させる。しかし外面の価値は心を満たさない。会衆では称賛されても、家に帰るとあ
りのままの自分と向き合う。本意は価値が無いと教え込まれ、本意ではない押しつけられ
た意欲を行なう時だけ誉められて来た。本意ではない生き方は自分の人生を他人の意思で
生きるもの。だから本心では満たされないが、頭では神に喜ばれる生き方だと考え、納得
させる。私にとってその本のインパクトは、人間は感情が納得していなければならないと
いう考えでした。不本意を本意として自分を騙して生きている人はひねくれるか破綻する
と言う内容でした。正にJW2世です。JW指導は明らかに誤っている。私は学者ではないの
で、その本の主張を立証することはできない。ただ自分に思い切り当てはまるし、経験的
にも正しいと思う。同時に今自分が何をするのが自分の本意に最も自然なのかも分かった。
休日にゆっくり読書する事、知識を得て人より抜きん出る為じゃなく、人に影響を与えて
考えを変えさせる為でもない、まして情報操作により宗教信条を植え付ける為でもない。
自分が楽しく感じて生きる為だ。自分の人生を楽しんでいる人は他の人の幸せを切望でき
るとその本はいう。満たされない人生を生きている人は他人の不幸に同情はできても、他
人の幸せを素直に喜べないという。これが人生をありのままに生きているかどうかを見分
けるリトマス試験紙だという。JWは自己犠牲を歪曲解釈して、犯罪である訳ではない本意
を断念させ、実行すればアメで報いる。そして満たされない感情を独自の教理、千年王国
の祝福を待つ、でなだめて欲求不満を合理化する。だから平気で仕事を調整しない人、若
くして結婚する人を評価しない。人生を楽しむ人を喜べない。けれは人間として惨めだと
思う。もうここにはいない方がいい。私の人生ではないか。私が楽しめるように生きるべ
きだ。

《編集者より》
毎月携帯電話から短いメールを何通も送って下さる方のものです。今回は短いメールがパズルのようにうまく繋がって、一貫した文書になったようです。(今後もできれば連番をつけて下さい。)

あなたの指摘される視点は、私が直ぐ下の投書(「気持の整理がつきました」)に書いたコメントに通じることです。一言で言えば、ものみの塔組織の悲劇は、人間性疎外の最悪を行なっていることにあるのだと私は思います。本意でないことを本意として生きる生き方、建前と本音、二重人格、自然な感性の抑圧、個性と独立思考の否定、などは全てあなたの言う「ファシストの発想」、つまりジョージ・オーウェルの「1984年」の世界、ヒットラー、スターリン、アフガニスタンのタリバン政権、などに共通する人間性疎外の究極の形であり、ものみの塔協会がこれらと共通していることは、注目に値すると思います。

あなたは今回の結論では「もうここにはいない方がいい」とおっしゃています。前回の投書(「これが私のJWへの復讐です」)では、復讐するために組織に残るとも言っていましたが、それよりは外に出て、自分が本当に楽しめる人生の一歩を踏み出した方が遥かにあなたのためになるだろうと、私も思います。