「2世と1世の温度差−ムチに関して」

(7-28-03)


 最近はインターネットの普及により、様々なエホバの証人2世の経験談を簡単に知るこ
とが出来るようになりました。以前は経験談と言えば出版物に取り上げられたり、大会で
話されたりする模範的なものしか見聞きすることはありませんでした。
 当然全ての2世はそれぞれが色々な経験をしてきているわけですが、良い結果を伴わな
い経験が人に知られることは余りありませんでした。実際エホバの証人を辞めた2世に関
しては、「○○ちゃん離れたんだって」の一言で終わってしまって、なぜそうなったかと言
うことが本人により話される事は殆ど無かったと思います。
 ところが、最近のHP等で公表されている経験談は良いもの、悪いものも含めて正に生
の声と言うことが出来るでしょう。実際に自分だけが特殊な経験をして来たのでは無い事
を知って安心している人も多いと思います。

 そうした2世の経験談の中で必ずと言って良いほど出てくるのが虐待に関するものです。
(エホバの証人が言うところの所謂懲らしめのムチのことです)
その多くは何年経っても消すことの出来ない心の傷を受けた辛く悲しい経験です。
 私自身、小学校の高学年になってから母親がエホバの証人になった為、ムチをされた経
験は全くありませんが、歳の離れた弟はしっかりとムチをされて育てられていました。家
庭においても、また王国会館や他の兄弟姉妹の家に行っても日常的に子供達にはムチが与
えられていましたので私はそうした光景を目にしても何も不思議に思わず、むしろ正しい
教育や躾の為には必要なのだと考えていました。完全に感覚が麻痺していたのでしょう。

 そういった中でも、もう十年以上前になりますが私の脳裏にこびりついて忘れられない
幾つかの光景があります。

 私が集会に遅れて行った時にその玄関先で3歳位の女の子が母親にムチをされていまし
た。(その時は素手で叩いていたと思います)
子供がなかなか泣き止まない為、その母親は「泣きやみなさい!」と言いながら繰り返し
叩いていました。子供にとって叩かれて痛ければ必然的に声を出し泣いてしまうというも
のでしょうが、母親は他人の私が見ているのもかまわず叩くのを止めるどころか更に力を
加えて叩いていました。
 すると突然その子供は目に一杯の涙をためながらも自分の小さな手を口に当て、必死に
泣き声が漏れるのを抑えていました。ムチを見慣れていた私もさすがにそれを見て、とて
も嫌な気分になったことをよく覚えています。

 また、ある長老宅に食事招待で呼ばれた時のことですが、そこの家の小学校1年生の女
の子が些細なことで父親に叱られました。注意に対しその子は直ぐに謝り反省した態度を
取っていましたのでまさかムチはしないだろうと思っていたら、一頻りお説教をしたあと
に「じゃあこっちに来なさい」とガスホースを持って別の部屋に連れて行かれました。(後
で聞いたら、その家庭では懲らしめる時に言って聞かせるだけでなく必ずムチがセットに
なっていたそうです)
 丁度私はその子の表情が良く見える場所にいたので、そのガスホースを見た途端顔が見
る見るうちに恐怖に引きつっていくのがよく見えました。その時のなんとも言えない一種
独特なまるでホラー映画の登場人物のような表情は、今でもはっきり覚えています。

 こうした事は、以前のエホバの証人の中ではよくある光景で決して珍しいものではあり
ません。むしろ目を覆いたくなるようなもっと酷いムチを受けたという人は幾らでもいる
でしょう。
 では、こうした経験の当事者である親と子供はこのことを現在どのように捉えているの
でしょうか?

 次の経験はその実態を明らかにしています。

 ある日の奉仕の時のことです。メンバーは、以前自分の子供達にビシビシムチをしてき
て結局はその殆どが離れてしまった姉妹たち数名と、幼少の頃散々ムチをされて育ってき
た若い姉妹、そして私でした。
 途中の公園での休憩中に昔のムチの話が出ました。
 その時に子供を持つ姉妹たちは口々に「でも、あの頃は皆ああだったし、あれはあれで
仕方なかったのよねー。はっはっはっ」と無邪気に笑い飛ばしていました。しかし、その
時の若い姉妹の表情は強張っていました。
 奉仕を再開した後に私は若い姉妹と一緒にまわりましたが、すぐに彼女の目からは大粒
の涙が溢れてきて「あれだけ私達にムチをしておきながら、それを笑うなんて酷い」と言
っていました。
 すぐに彼女を家に返した後、私は一人考え込んでしまいました。

 虐待を受けた方の心の傷は計り知れないものがあり、人によっては何年もそれを引きず
っています。また、虐待が連鎖し自分の子供を無意識のうちに叩いてしまい、それが嫌で
嫌でたまらないという例もよくあるようです。
 ところが、実際にムチをしてきた親の方はそのことがどれほど酷い事であり様々な後遺
症をもたらしているかを余り自覚していないようです。確かにこの事は単に笑って済ませ
られる事ではないでしょう。
 なかには、自分のして来た事の重大さを認識し深く悔いている親達もいるようですが、
実際に多くの親達(特に現役の)は未だにその事を理解していないようです。
 というのも、今でも古い姉妹たちの中には余り躾られていない子供を見ると、さすがに
手を出したり口を出したりはしませんが、陰で「ムチをすれば良いのに。ムチをしないか
らああなのよ」といった発言が聞かれます。
 また、ある兄弟は交際している姉妹のご両親に挨拶に行ったときに、兄弟は小さい頃ム
チをされましたかと聞かれ、無茶苦茶されましたよと答えたらたいそう気に入られ「最近
はムチをされていない2世たちが増えたから、ダメなんだ」と言われたと苦笑していまし
た。

 確かに今振り返ってみれば、当時はエホバの証人である以上どんなに自分が嫌であって
も、また親自身もわけのわからないまま、子供達にムチをしなければならなかったという
状況であったという事は理解できます。協会からは公式にムチをするよう教育されていま
したし、それ以上に会衆内の他の人たちからの圧力が大きかったことでしょう。しかし、
当然の事ながらそれで行ってきたことが正当化されるわけでは決してありません。
 やはり、しっかりとした心のケアが不可欠だと思います。行ってきたことは事実として
受け止めて、現在出来ることを考え積極的に行うことが必要でしょう。もしかすると、専
門家の助けが必要になることがあるかもしれません。
 今まで何もフォローしてこなかったため、いつまで経っても当時の心の傷を引きずって
いるという人が大勢いますが、中には、親が当時のことをただ素直に謝っただけで子供と
しては随分精神的に楽になった、もう親を恨んでいないという人もいます。ぜひ、親の皆
さんにはしっかりとこの事にしっかりと向き合って欲しいと思います。

 そしてなんといっても必要なのは、ものみの塔がこのことをきちんと取り上げて何らか
の行動を起こすことだと思います。
 勿論、たとえ裁判をしたところで協会の責任を問う事は出来ないでしょう。単に一部の
信者が行き過ぎただけで協会はその様な事は全く意図していなかった、個人的な問題に過
ぎないと言うでしょう。しかしそれは本当でしょうか? 事実は大勢の経験者である2世が
知っています。
 それで、法的な責任が無いからといって無関係を決め込むのはどうなんでしょうか? 神
に導かれた唯一まことの組織と自認しているのであれば、どのような対応が必要かはわか
る筈です。これは決して避けることの出来ない重大な責任だと思います。

《編集者より》
ものみの塔の方針に基づく児童虐待問題は世界的に注目されていますが、ものみの塔協会はこれに関しても、うやむやにお茶を濁す方針のようです。世間に高まる批判を気にしたものみの塔協会は、これに正面から対応するのではなく、イメージキャンペーンで注意をそらす方針に出ているようです。つまり、協会はその出版物などであたかも協会は一貫して児童虐待を警めてきたように教え、最近では「子供を守れ」などというメディアキャンペーンまでし始めました。これは一つの企業イメージキャンペーンと同じで、アメリカでもタバコ会社がその健康への害を撒き散らしていることへの批判をかわすために、未成年への禁煙のキャンペーンを始めたのと同じことです。これは端的に言えば、放火をしながら、消防団員として火事場に真っ先に到着して誉められようという放火犯に似ています。もっとも、ものみの塔協会のやっている「子供を守れ」のキャンペーンは実際には、子供にインターネットを使わせるなということで、結局は協会への批判的な情報に子供を近づけるなというのが、本当の狙いなのです。いずれにしても、ものみの塔協会は、他の大企業と同様、企業イメージキャンペーンに躍起になっており、キリスト者の基本である罪の告白とその赦しを乞う態度などは、微塵もないと言えるでしょう。


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